遠隔介護ブログ(第22回)

こんにちは。コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ22回目です。

季節がどんどん進み、すっかり朝晩冷えるようになりましたね。
私の実家がある兵庫県の内陸部は、山も色づき始めました。

 

前回95歳の祖父が亡くなったことを書かせていただきました。

母が亡くなったときは、もう終末期に入っていることが家族で認識出来ていたので、悲しくて悔しいながらも母の死を受け入れる準備も始めていたのですが、祖父はこの10年、親戚で「危篤詐欺」と呼ぶくらい、危篤と病院から言われて、みんな病院にかけつけてみては持ち直す。というのを繰り返してましたので、まだまだ生きていてくれるという気になってました。

が、それはほんとにある日突然で、私たち夫婦と父とでお彼岸のお墓参りをして帰ってきた夜中に、祖父のキーパーソンとして病院に連絡先を伝えている私の弟から電話が鳴り、亡くなったとのこと。

そこからの数日は、死亡届の提出、病院からの荷物の引き上げ、通夜、告別式への用意、家の掃除など、、目まぐるしく「しないといけないこと」がおとずれ、母の死のときにも感じたことですが、身内の死を悲しんでる暇がないくらい、寂しさを感じる暇もないくらい、やらないといけないことが多いのが身内の死、、ほんとにそうでした。

弔問してくださった、古くから家族ぐるみの付き合いをしている60代の知人に言われたのが、「私まだ、家族見送ったことないねん。めぐみちゃん私よりだいぶ若いけど、もう2人も段取りしてやってんねんな、プロやな。」という言葉。

あっけらかんとしてて、悲しさや寂しさや忙しさの中でも、私は声を出して笑ってしまいました。

ほんまや、私はもう40代前半で二人も自分で段取り考えて見送ってるんや、経験値どんどんあがるやんと。

正直、祖父の死で、他の孫たちより仕事を休まないといけない日数も多かったり、考えないといけないことも多くてクタクタだったんですが、その言葉にちょっと勇気付けられたのと、もう1つ、私を鼓舞させてくれた言葉が。

祖父が死んだら、もちろん喪主は跡取りであるうちの父。
そして、父の妹弟もいますので、孫の私がいろいろと手配したり動くのもほんとは役割ではないんですが、亡くなった母から、そういう家のいろんな行事の引き継ぎもうけ、田舎ならではの特有のご近所のつながりなども教え込まれてるため、私がちゃんとしなきゃ、でもほんとは私じゃなくてもいいのに、、と、どこかこの役割を、やらされてる感があってモヤモヤしてたのも確かなんです。

通夜の寝ずの番のときも、父と父の妹弟は寝ており、私と主人、弟夫婦と、従妹という孫たちで夜中じゅう起きて色々話してたんです。

そのとき、私がふと、ほんまは孫じゃなく子がやることやんなぁと呟くと、弟の嫁、私の義妹に、「でも、私らのほうが若いですもん。若くて元気で、だから出来る人が出来ることすべきなんです。自分の子供にもそう教えたいから。」と言われたんです。

あ〜義妹ちゃんも家族になって、この役割を、やらされてる感ではなく、ちゃんと自分のできることと捉えて考えてくれてるんやなぁと嬉しくなり、私ももう立場がどうとか、そんなこと考えてたらあかんなぁと思いました。

自分が段取りを考えさせてもらえるので、ある程度私の予定に合わせてお寺さんへもお願いが出来ますし、内容も告別式の規模なども親族の想いを聞きながらとはいえ、私の都合が一番優先させてもらえます。

決められたことをやることより、ある程度自分の段取りでやりたい私の性格にはちょうどよいし、母はそれも見越して、私にいろんなことを預けて亡くなったんだなぁと、今回も思い知らされました。

寝ずの番を含め、亡くなった日の夜中ももちろん寝れてませんので、ほぼ2日間ゆっくり寝れず、いつも誰か親族と一緒で、一人でゆっくりする時間はなかったですか、その分、家族や親戚と今まで話したことのないような深い話をしたり、祖父への想い出話をしたり、いくらでも話すことはあり、告別式が終わっても法要ごとに集まり、会話が増え、絆が深まっていくことを日増しに感じてます。

 

亡くなった人を送る気持ちとその人への感謝は、残された者がよりつながりを深め、いつまでも仲良く協力しあい、寄ればみんなで想い出話をする。
それが一番の故人への「ありがとう」になるんだなぁと、お互いいろんな言葉をかけ合う中でまた1つ勉強させていただきました。

大人たちの様々な思いと疲れの中、ひ孫たちが走り回り、でも、火葬場ではまだまだ幼いひ孫たちも泣き、悲しみに包まれながらも、温かい思いに包まれたこの1ヶ月。

どう生きるか、どう死ぬか、これは永遠のテーマだなぁと思います。

 

そして、「やらされてる感」じゃなく、物事を考えられた瞬間に見えてきたことは、段取りは私がしているかもしれませんが、それがスムーズに進むよう、その場にいる全員の人がどれだけ考えて動き、協力してくれてるかです。

これはほんとに仕事にも言えることで。
いや、人生すべてにいえることで、余裕なく心が疲れてるときほど、一度立ち止まり、自分のまわりの環境を見て、まわりに感謝すると自分の心もふわっと軽くなる。

そして疲れもちょっと飛んでいく。

良い循環になる方法、わかっていてもすぐに忘れるので、これからはしんどくなったらまず、あの寝ずの晩のこと、思い出したいと思いました。

写真は、平日は仕事、土日は益々実家の用事に追われてるこの10月に、無理やり時間作ってまで観た映画「イエスタデイ」。

「世界からある日、ビートルズが消えた」という設定(自分以外誰もビートルズを知らない)の、ありえない映画で、私はビートルズ世代じゃないんですが、とにかく、観終わったら、足取りが軽く、心がスキッとして、ビートルズの名曲を口ずさむという気持ちの良い映画でした。

忙しいときこそ、自分のしたいことのために時間を無理につくるのもリフレッシュのため、ほんとに大事なことですね。

 

さてさて、これからどんどん冬に向かい寒くなりますよね、、
一人暮らしの父は、冬にいつもなんだかんだトラブルを起こして、私や弟にヘルプ出しをしてきます。今年はなにが起こるのか。ただ不安ではありますが、それもこの生活で避けられぬこと。

1つ1つ乗り越えて勉強していきたいと思います。

皆様も、冷えぬよう、あったかい生活を送ってくださいませ。

 

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遠隔介護ブログ(第21回)

こんにちは。コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ21回目です。

9月は敬老の日がありました。

幼い頃から、両家の祖父母に絵を描いたり、手紙を書いたり、プレゼントを買ったり、ご飯を食べに行ったり、敬老の日はいろんな思い出を作ってきたはずなのに、いま、4人いた祖父母が2人になって、2人ともが施設や病院にいて、外出届けすら出せないくらいになって、祖父のほうは差し入れも難しくて。となると、あれもしたかった、あそこにも行きたかった、そんな思いがいっぱいで、ここ数年、敬老の日をちょっと切ない思いで迎えています。

そして切ないといえば。。

父は地元の高齢者大学に行き、まだ足腰が元気な頃は、学年代表で弁論大会にも出たり、みんなとの遠足や旅行にも参加して頑張ってましたが、やはり押し車や車椅子が主となり、遠足や旅行にも参加したいと言ったものの、「家族(介護者)同伴でないと難しい」と返答されたんですね。
もちろん、父の遠足のために私や弟が仕事休むことも出来ないので、父には我慢してもらっていたのですが、そこから、父が高齢者大学を休むようになり、もう行きにくくなったんかなと思ってました。大学は送迎もあるので、車がなくなったことが原因ではないですし。

そしたら、「大学で過ごすときのお弁当がないから」という理由で、最近大学に行けてなかったことが判明したんです。

料理はするので、お弁当も以前は作ってましたが、今は、目も悪くなり、お弁当というものを作るのがしんどくなり、車もないので、買い物のガイドヘルパーさんや私と一緒でないと買い物もできず、学校に行く前に、賞味期限を気にしながらパンやお弁当を買うことが出来ない。

ちょっと不憫でした。
そこで、大学に行く3日前に実家に帰れた私は、少し日持ちする、ママカリ寿司を買い、大学に持っていくように言いました。
そしたら、ちゃんと大学に行き1日楽しく過ごしたそうで。

物事には全て理由があり、解決策もだいたいのものにはあるのを感じた出来事です。

写真の姫ひまわりは、実は父が見知らぬ女性からもらったもの。

ある日、ガイドヘルパーさんと、いつものスーパーで買い物をしてると、見知らぬご婦人から声をかけられ、「以前は奥様とお買い物されてましたよね、そして、お父様と来られてたときもありましたよね。」と。
仲睦まじく買い物する様子をそのご婦人は度々見られており、ただ、最近は父が車椅子に乗り、ガイドヘルパーさんと買い物するようになったのを見て、嫁や父がそばにいなくなったことを察してくださったようで、そのあと「お仏壇に供えてください」とこの花をくださったとのこと。

なんて心の優しい方なんでしょうか。
きっと、人のいたみがわかる、深みある人生を生きてこられたかたなんだろうなぁと思いながら、母の好きだった花瓶に入れ、仏壇の部屋に飾らせていただきました。

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そして、今回のブログ、ここまで書いてからもう少し書きたいけど後で。と思っていたら、、
病院に入院していた95歳の祖父が急死いたしました。

ブログの最初に「祖父と祖母、4人中2人生きてる」と書いたばかりですが、もう、母方の祖母一人になりました。

祖父はここ10年、入退院を繰り返し、その度に「危篤です」と病院や施設に呼ばれることもありましたが、会いに行くとピンピンしているということを繰り返していました。
わたしの地元では「ハブ」と呼ぶ、いわゆる毒蛇「まむし」に、数年前、畑仕事中にかまれたときも、これ以上被害者が出ぬようにと、持ってた草刈りカマでまむしを殺し、畑の近くのおうちまで行き、救急車呼んでもらって、自分で毒を吸い出したりしながら、病院についたときにも、ドクターに処置を指示したほどの強靭な心身を持つ祖父でしたので、100歳まで生きてくれるかな、父より祖父のほうが長生きしてくれそうだなとか、思ってたんですが。。

最後はあっけなく、でも、とても穏やかな表情で天に召されました。

しかも、宗派問わず言われる「1年で1番幸せな亡くなる日」とされている9月23日、お彼岸の中入りに。

1週間前に、わたしの従妹と叔母がそれぞれ行くと「今日、何日や」と聞いてきたそうなので、お彼岸の中入りを計算していたのかもしれません。

祖父への想いや、祖父の死、送る立場として学んだことを書くと、このブログがどんどん長くなってしまうので次回にさせていただきます。

そんな忘れられない9月を過ごした渡邉でした。

 

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遠隔介護ブログ(第20回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。

お盆休み最終日、自宅で読書などしながら台風10号が行き過ぎるのを待ち、外出せずに待機しておりました。
昨年も自然災害が多く、今年もまだまだ台風もこれからが本格的になる時期だと思います。
大きな被害がないことを祈るばかりです。

そんな台風の最中に読んだ書籍「絶唱」はまさに、24年前に起きた阪神大震災がキーワードとなる物語です。

作者の湊かなえさんは、広島の因島出身で、現在は淡路島に住んでおられますが、大学は武庫川女子大学で、震災は西宮市で体験されております。

私も前職で広島県に住み、因島も仕事で度々訪れ、淡路島には親戚がいますので、年に1〜2回は遊びに行き、今は西宮市の武庫川女子大学の近くに住んでいるということで、湊かなえさんには勝手に親近感を覚え、出される本は全て読ませて頂いてます。

もちろん、湊かなえさんの話の構成がホントに大好きで、私の好きな小説家さんベスト3に入るのですが(1位は永久に向田邦子さん、2位が湊かなえさんで、3位が重松清さんです)、この絶唱は、「小説なのかな?湊かなえさんの実体験なのかな?」と、考えさせられる他の湊かなえさんの小説とは少し違うテイストでした。

その中に、阪神大震災のときのことを、「私はそのとき○○にいて〜」と語れるのは、境界線のもっと外側にいた人ばかりという言葉が出てきます。

確かに、今でこそ減りましたが、兵庫県に住んでいると、阪神大震災の話はどこでも話題に出る頃はありました。
私の住んでた地域は、壁もひび割れし、ガラスも割れ、怪我をする人はいたものの、身内や知人に亡くなる人や自宅の全壊などはありませんでした。ただ、本当の被災地、淡路島や神戸市の大きな被害を経験された方が積極的にその話をされることはありません。

境界線の中側、ど真ん中におられると、言葉では語れないしんどさや辛さがおありだったんだと思います。

私自身も、遠隔介護ブログをもう20回書かせていただいてますが、所詮「遠隔介護」であって、自宅で介護をしながら、生活をしているわけではないので、24時間、365日、介護と向き合ってらっしゃる方が、私のこのブログを読まれても、「介護のこと、何もわかってない」と思われると思います。

もし、自分が結婚を決めたときに今の父の状況で、自分が出ていくと父が一人暮らしになる、、という状況なら、結婚して家を離れることが出来たかと考えると、きっと出れていないと思います。かと言って、主人に、うちの実家に一緒に暮らしてもらって、そこから仕事に通ってほしいとはお願いも難しかったでしょうし、きっと結婚を諦めたような気がします。

あの時は末期がんで余命宣告された母に花嫁姿が見せたい、その一心でしたので、今とはまた状況が違います。

そんな事を考えるとこのブログ、これからも書いて大丈夫なんだろうか、、と考えてもしまいますが、このお盆休み、通常なら帰省しない月曜日に実家に帰省し、いつも月曜日に来てくださってる訪問介護のヘルパーさんとお会いできました。

とっても親しみやすく、そして笑顔の素敵な、一目でお人柄が良いとわかる好感のもてる方で、色々お話もお聞きし、お仕事を終えられて父の寝ているベッドまで行き、「また来週きますね〜今日はご家族がこられてていいですね〜」と声をかけてくださると、父は、すかさず手をのばし、ヘルパーさんに手を握ってもらい、「今は楽しいけど帰ったら寂しいから泣くねん」とかわいく訴えてる姿を見て、私が「セクハラやで」と言うと、父も笑ってました。

私がもし嫁に行かずここにいて、父の世話をしながら、仕事も実家から通勤する生活をしていたら、父はこのヘルパーさんにも出会えてないし、今のデイサービスにも行けてないし、お買い物のヘルパーさんとも会えてないし、私自身は今のこのワークステーションにも入社出来てないし、もちろん主人とも生活が出来てない、といういろんな「出会えなかったかもしれないものや人」の存在を思い、今の自分として書けることはこのブログに書いていきたいと、再度思い直すことが出来ました。

もちろんこれから父がもっと体が動かなくなればどうすべきなのか、そこはいつも考えます。
だからこそ、体がまだ動くうちに父にもいろんな人と、いろんな想い出を作ってもらいたいと思います。

娘がつきっきりじゃないからこそ出会える人たち、事柄をめいっぱい楽しんでもらいたいものです。

 

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遠隔介護ブログ(第19回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ19回。

今年はなかなか梅雨が始まりませんでしたが、始まるとほんとにジメジメが続きましたね。

我が家では、主人&お友だちと埼玉県までプロ野球の観戦に行ったり(ついでに東京観光もしたり)、甲子園球場で開かれたプロ野球のオールスターゲーム観戦したり、何かと「野球好き」にはたまらない1ヶ月を送っております。
が、母が末期がんとわかった12年前からなんとなく、先々の予定をうめることに不安がつきまといます。

家族になにかあると、この予定は行けなくなるんじゃないかな、、と。
それは自分も同じことで、この日まで、健康でいれるかなとか、けっこうマイナスなことをいっぱい考えてしまう癖がつきました。
うちの主人は、そのあたり「毎日一生懸命生きて、前向きに考えてたら案外なんとでもなる」と思う人なので、行けなくなればキャンセル、もしくは誰かに権利を譲れるならそうすれば良い、あかんかったら諦めよう、そのへんの割り切りが気持ちいいくらい出来ていて、羨ましいくらいです。
お子さんがおられる方もきっとそうですよね。
何か大事な予定があるときに限って子供が熱を出す。。とよくお聞きします。
でもそういう「行けないかもしれない事態」を予想し怖がっていたら、ずっと自分の「欲求」が満たされないままになっちゃいますよね。危険度予測は大切ですが、何か起こったときになんとかする力を養うことはもっと大切なのかもしれません。

この12年、先々のいろんな予定がうまることに怯えていた私に、1番大きな出来事だったのは、いま勤めている会社、このワークステーションに入社し、まる1年で迎えた研修旅行でした。
3泊5日の旅行。
その頃はまだ祖父も施設に入らず、家にいましたので、父と祖父の2人暮らし。
喧嘩をするたびに電話が鳴ります。父が怒ると、祖父が、勝手口のところで頭を打って倒れたふりをして救急車で運ばれたこともありました。(実際、ふりだったのか、本当に倒れてたのかは未だに謎です)

今まで夫婦の旅行で、1泊くらい家をあけることがあっても、5日間もインターネットを接続してない父と連絡をとれないという日を経験したことがなく、最初は「私が家をあけていいんだろうか」とほんとに悩みました。
よく考えたら、日頃離れて暮らしてるんだから大したことはないんですが。
以前、母がまだ病気になる前、私が結婚する前、両親と私と弟と4人で行こうとしていた旅行の、直前に祖父が脳梗塞で倒れ入院し、重度ではなかったものの、たった1泊中でも、もし何かあったらあかんからと、旅行をキャンセルした(キャンセル代も半額くらいは払う時期にまできてました)ことを思い出し、ほんまに何かあったらなぁ、身動きとれへんしなぁと思ってました。
でも、高齢者の親族と向き合う時間はいつ終わりがくるかもみえず、何年その状況が続くかもわからない。それこそ状況が良くなることより、しんどくなることのほうが大いにありえる。
なら、旅行で家をあけれない理由に、祖父や父の暮らしをあげるのではなく、2人がいたときでも家をあけれるようにするにはどうすればいいか。
これは必要にかられたときに、その都度、考えていくことが自分の余分なストレスを減らすためにも大事なんだろうなぁと考えることが出来ました。
実際はなんの問題もなかったですが。
要介護のお身内がおられる方々も、ショートステイなども利用しながら、ちょっと介護を忘れて自分のために自分の時間を使うリフレッシュって、すごく大事なことなんだろうなぁと思います。
家族と向き合える日と、ちょっと一人になりたい日。
ちょっと心を弾けさせたい日。
地域の福祉サービスで何か利用できるものがあるなら利用していくのも、経験値にもなりますし、家族みんなの心身の負担を軽くするために必要なことかもしれませんね。

この遠隔介護ブログでも、地域への相談、ケアマネさんとの連携、福祉サービスの利用などいろいろ提案させていただいてますが、1年半、書かせていただいてても私にも先に進んでない問題、いつも頭の片隅にあるのに動けていないことがあります。
それは、空き家問題です。
いろんなかたにアドバイスいただいてもあと一歩の勇気や具体的な行動ができてません。
空き家問題を抱える方も非常に多いと思いますので、またなにか私が動けた際には報告させていただきたいと思ってます。

写真は埼玉の所沢、西武ドームに行ったときのもの。
グランドに書いてある言葉が心に響きすぎて撮影したものです。
「あれもこれも叶う、西武鉄道。」
私は、甲子園球場近くに住んでますのでよく甲子園球場には行きますが、たしかに、たった1回行った西武ドームで野球好きの私が叶えたい「あれもこれも」は叶いました。
8歳のときから35年憧れていた西武ライオンズの本拠地に立てたこと。
1番の願いが叶った思い出の日の1枚です。

 

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遠隔介護ブログ(第18回)

こんにちは。コーディネーター渡邉です。
遠隔介護ブログ第18回。

今回のテーマは「かわいい嘘、許せる嘘」です。

人は時として、相手のために嘘をつかないといけないときもある。私は常々そう考え、一生、嘘をつかずに生き通せる人なんていないと思います。

私自身の忘れられない嘘は、大学時代。
友だちが一目惚れした男性がいまして。挨拶するくらいの仲にはなったんですが、なかなか告白出来ないし、デートにすら誘えない。
私はその男性とちょこちょこ話せる仲だったので、彼女がいないこともわかっていて、なんとかならないかなぁと考え、その告白出来ない友だちは、やさしいし面白いし賢いし可愛らしいし、絶対オススメの女性だと思ったので、その友だちに「こないだ○○君(その好きな男性)が、あんたのこと、可愛いなぁゆうてたで。いけると思うで」と、その男性がゆうてもないことを言ってしまいました。
でもその一言で彼女はデートに誘う事を決意、そこから、数年後。
2人は結婚し、今はお子さんたちもすくすく育ちとっても幸せそうにやってます。

これは、とりあえず、成功の嘘。

でもやっぱりちょっと罪悪感はあり、本人達には話してませんが忘れられない嘘です。

 

前置きが長くなりましたが、この遠隔介護ブログの主役である私の父は、こんな嘘が多いのです。
人のためというより、自分のための都合あわせの嘘。

でも、よくお年寄りとお話してると、自分の都合のいいように過去の思い出話をすり替えるというか、記憶ごと変えてしまってるなぁと、それは認知症というのではなく、人に語りやすいように美しいように思い出話を替えられて、何度でも聞かされるなぁということありませんか?
父は日常茶飯事。

例えば先日、私が平日に休日出勤の振替休日をいただき、実家の平日しか出来ない用事を片付けに帰ったときのこと。
その日、父はデイサービスの日だったんですが、自分が私と買い物に行きたいからとデイサービスに休むと電話したんです。ケアマネさんからは「お父さん、デイサービスに来られてるほうが、めぐみさん掃除とか用事しやすくないですか?大丈夫ですか?」と私の状況までわかってお電話くださったんですが、本人がもう買い物に行く気でいるのでしょうがないですね、となりました。

でも、デイに預けてる薬、休むならその日の分は取りに行かないといけなくて、父に会う前にデイサービスに行きました。
電話をくださったケアマネさんではなく、デイの所長さんとお話すると「娘がデイ休めゆうねん、自分が帰る日はお父さんにおってほしいゆうて、せやから休むわ」と、朝から父が電話で話したとか。

なんという嘘。。自分の気持ちじゃなく私のせいにしてます。そのうえ、前日、デイから近所のショッピングモールにお買い物に連れてってもらう遠足のようなものがあり、介護職さんにつきあってもらいながら、服買いたいと言ってたのに、介護職さんから「服はめぐみさんに選んでもらい、今日は食料品買おう」て言われたから服買ってへんねん、だから今日行きたいと買い物を私にねだってきたのに、所長さんいわく、実際は、何回も介護職さんが「服みーひんの?」と聞いても「娘と見るから今日は食料品買いたい」と自分が言ったそう。。

全く逆です。

ただよくよく聞くと、父以外の利用者さんがみんな、食料品に行くと言われてたそうで、おそらく寂しかったのか、もしくはほんとに私と服を見たくなったのか、真意は定かではありませんが、これもほんとに両方にうまいことついたつもりの嘘が翌日にばれるという事態。

身体に色々不自由がきているのに一人暮らしというしんどさもある中、誰にどう伝えれば自分が少しでも快適に思い通りに過ごせるか考えてこその、口から出た嘘だと思うので、所長さんとも「手かかるけど、一人で頑張って暮らしてるからなんにも言えないです。」と話させてもらいました。

子供もよくちっちゃな嘘ってつきますよね。
でも、誰かを陥れたり、誰かにおっきな迷惑をかけるものでなければ、怒らず騒がず、聞き流すということは、自分の心も穏やかにしてくれると母が亡くなってから、父と密にコミュニケーションとるようになって学びました。何が本当でも、別に今の状況が大幅にかわることもないですもんね。

でも、身内はいいですが、あんまり外でこんなちっちゃな嘘ばかり言ってると、いざというとき信用してもらえないと思うので、いくら自分をかまってほしいための嘘でも、つきすぎたらあかんよとさらっとは父に言っておかねばと思います。

そんなこんなの父の日もあった6月。

 

先月末に、私は以前からファンクラブに入っているサザンオールスターズのコンサートに行ってきました。
今までも行ってますがメンバーの皆さんのご年齢を考えると、15年くらい前から「これが最後かな、今回が最後かな」と毎回ドキドキするんです。
実際、11年前の横浜まで行ったコンサートは、とうぶん活動自体休みますと言われてたし、そのあと、ボーカルの桑田佳祐さんも大病されていたので、ほんとにもうコンサートはないのかもと思ってました。
が、65才を越えたメンバーの方々で作り出されるステージ、今回は3時間半以上もあり、エネルギッシュでしかも、桑田さんは1曲1曲歌い終えるごとに「ありがとう」とお辞儀しながら何回も言われるのです。
桑田さんもまたファンにコンサートで会えること、きっと大病もされ復活されたから余計にありがたいと思ってくださってるんだなぁと思いまして。
そして、コンサートラストには「また絶対会おうね」と言ってくれました。
お歳を考えてもその言葉がとても嬉しくて。

私の母は、氷川きよしさんのファンで、毎年コンサートに友人たちと行ってまして、亡くなる年も、チケットとってとても楽しみにしてたんですが、待ちに待ったコンサートの前日に、肺ガンで亡くなりました。母の友人たちは、母の写真を持って、当日、氷川きよしさんの歌声を全部聞いてきてくださいました。

そしてその友人たちは今も毎年、氷川きよしさんのコンサートに行き、そのチケットは母が生きてたときと同じく私がインターネットで申し込みします。
私は行きませんが、それを続けさせてもらうことで、母がいつまでもその方々と一緒に氷川さんの歌を聞けているような気持ちになります。

そんな母の切ない想い出や、つんくさんがもう歌えない状況になられたことなどから、自分が10代や20代のときには考えたこともなかった、

「コンサートに行けるのは当たり前ではない」「コンサートを開催してもらえるのも当たり前なことではない」ことを思い知りました。

だからこそ余計に今回、自分が元気でサザンオールスターズのコンサートの日を迎えられたこと、サザンオールスターズがまたコンサートをすると言ってくれたことなどに、とても感謝し、生きているこの1日1日を大切にせねばと思えました。

母の氷川さんコンサート友だちは、何かといまだにうちの家族を気遣い、5月には毎年、私の名前と同じトマトをたくさん送ってくださいます。
母から戴いた大切なご縁だと思ってます。

小さな嘘を自分の都合よく、さらっと言っちゃう父でも生きてくれてるだけでありがたい、そう思えるように。
ガミガミ言わないように、ガミガミ言いそうになったら私をこの世に存在させてくれてありがとうと感謝に置き換えて、穏やかに過ごしたいなぁと改めて思いました。

 

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遠隔介護ブログ(第17回)

こんにちは。コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ17回目を書かせていただきます。

平成から令和へ。
弊社も10連休をいただきました。
連休後の仕事量を考えるとおそろしいと思いつつも10連休、1回だけ休息日を作った以外は全て外出をしました。
もちろんその中には、いつもどおりの私の実家への帰省と、主人の実家への帰省もあります。

私の実家への帰省は2回しました。
1回目は祖父の姉の50回忌の法要もかねてなので、50回忌ということもあり、そんなに大々的なものではなく、ほんとのほんとの身内だけ集まりお寺さんに来ていただき、お経をいただくというもの。
それでも掃除はいつも以上に念入りに行ったのでバタバタしましたが、、
主人にも手伝ってもらい無事に法要を終えました。

2回目の帰省は、わたし一人での帰省で、いつもどおりの掃除と、この時期ならでは、庭に除草剤を撒き、家中の虫除けを取り替え、ゴキブリ退治の薬を撒き、あれこれやっても、ムカデが出てきて「あ~ムカデ除けも買うべきだった」と落ち込み、、心底「都会に生まれたかった」と思いながらの作業をしました。

その日の夜には、地元の同級生と集まる予定だったのですが、地元の同級生たちは、けっこうな割合で、この時期は田んぼの用事(苗の世話や田んぼの整備など)を昼間手伝っているので、その後で来るという友人もいました。

わたしも、うちの母、祖母、祖父が元気だった頃は、もちろん田植えも稲刈りもありましたので、全部手伝っていました。
だからか、蛭も蛙もいまだにあんまり苦手ではないですが、やっぱり手伝いながらも「おっきなビルで働くサラリーマンのおうちに生まれたかった」と思っていたものでした。

田んぼ仕事をしなくなった今となれば、それも懐かしく良い思い出で、あの頃は家族みんなでおにぎり食べながら作業して幸せだったんだなぁと振り返る1コマでもありますが。

そんな、田舎ならではの夏に近づく虫たちの洗礼をうけながらのゴールデンウィークの帰省の中ですが、「田舎だから良かった、ありがたかった」というエピソードがいくつかありました。

父が免許返納になってから、買い物の介助(車の送迎も含め)をお願いしている業者さんが、ゴールデンウィークはお休みだったので、週に1回の買い物が父は出来ず、私が帰省するのを待っての買い物となったので、お店を3件はしごして買うわ買うわ、あれもこれもという状況だったのです。
わたしも、「そんなに要らないんじゃないか」と思いつつも、父の1週間分なので不安なのはわかるし口出し出来ないなぁと思っていると、お店の店員さんや、たまたま居合わせたお世話になっているケアマネさんや、常連のほかのお客さんたちに「保っちゃん(うちの父のニックネーム)、あんまり買い過ぎたらあかんで、それ、やめとき。」と言ってもらったり、「今日は娘さんとなんやなぁ、よかったなぁ」と声かけてもらったり。

靴を脱がないと入れない店では、父が店先で「こんにちは」と言うだけで、店員さんがさっと出てきて、車椅子のタイヤを拭いてくださってすっと入店できたり、ちゃんと地域で「顔馴染み」として自分が過ごしやすいように環境を作っていってる父の強さと、それを受け入れてくださってるまわりの方々の温かさを感じました。

また、この時期、実家ではかなり沢山の筍がとれるのですが、父はもう山に行けないので私の弟や父の弟が山に入り沢山採ってきて、父にも沢山置いて帰ってくれたのですが、父だけでは食べ切れないし、冷蔵庫や冷凍庫にも入りきらず、周辺に配るというのも、父としては自分の足では行けず、、どうしようと悩んでいたら、近所のおばさんが遊びに来てくれて、押し車で一緒にご近所に配りに回ってくださったとのこと。
本当に地域の方々のさりげない優しさに感謝するばかりです。

私はというと、私にはアク抜きする時間もないだろうということで、父がアク抜きまでして筍用意してくれてたのに「なかなか料理する時間がない」と父の優しさにそっけない言葉で返し筍の受け取りを拒否してしまいました。

道端に咲く花を見れば、父はすぐ花と自分の写真を撮ってほしいと言います。
車椅子を花の邪魔にならない角度に動かして撮影をしてとなると、なんとなくめんどくさくて「こんなどこでも咲いとる花の写真要るか?」と暴言を吐いてしまうこともあります。
それでも父は諦めず、撮影してほしいと言います。
邪魔くさいとブツブツ言いながら撮影をする私ですが、頭ではわかってます。
父は何も悪くなくて、自分の心がとても狭くなってるだけなんだと。

優しい祖母がいて、祖父も元気で父も母も元気で働いていて、みんなで土日に田んぼの仕事して、私や弟はのびのび学校行ったり、友だちと遊んだり出来てる頃にはわからなかった、少しずつのちょっとした不便。
自分の「のびのび」は、家族の支えのもと成り立っていたということを思い知る毎日です。

街中で、子供に怒鳴っちゃってるお母さん、親御さんらしいお年寄りと歩きながら、偉そうに注意してる中年の方などを見ると、昔は「(子供やおばあさん、おじいさんが)かわいそう」と思ってましたが、今は、「あのお母さん、よっぽど子育てしんどいんやろなぁ、孤独なんやろなぁ」「あのおじさん(おばさん)、親の世話に疲れてるんやろなぁ」と、目線がかわるようになりました。

私は、会社でもこのようにブログに書かせていただいたりもしてますし、公私ともにまわりの方に聞いていただいたり弱音吐いたり、主人や親戚にも協力してもらって、ケアマネさんやヘルパーさんたちにも助けてもらって、どっぷり介護ではなく、遠隔介護が出来てます。それでもやっぱり、思ってはいけないけど「父がいなければ、いや、施設に入れられたら」と思ってしまうようなこともあります。

反面、一人暮らしさせてごめんなさい、もっと頻繁に帰れなくてごめんなさいと、心底ずっと思ってます。

街中で、お子さんを怒鳴ってるお母さんも、自分の年老いた親御さんに暴言吐いてるひとも、思うようにお世話してあげられない自分へのイライラが、相手へのちょっとしたイライラもまじり醜態に出てしまってるんだなぁと、手をあげてない限りは私もここ数年、悪態づいてるほうの人に同情するようになりました。
もちろん虐待とは違うと思います。

 

父も祖父の介護を自宅でしているときは、「これ以上一緒にいたら、虐待してしまう」と私達に相談してきて、祖父も「息子が怖くなってきた」とつぶやくようになり、施設入居に至りました。
でもやっぱり、父もほんとは祖父と一緒に暮らしたいようで、「おじいちゃんに申し訳ない」とずっと言ってます。

うちの実家にそういう思いが何パターンもあるように各家庭に、介護であれ、子育てであれ、理想と現実の違いも含め、様々なドラマがあるのだと思います。

そういう切なさややるせなさ、どちらの立場になっても、相談できる人がいるかどうか、正論を押し付けるのではなく、何がベストかを一緒に考えてくれる人がいるかどうかで、家庭の中の大小かかわらず問題の結末も違ってくるのだと、「困りごとはすぐに誰かに相談」と考え生きてきた私は思います。

そして、「困りごとはすぐ誰かに相談」してきた私が、経験して乗り越えたこと、乗り越えられなかったことも全部、自分が誰かに相談されたときに、最適で最善を一緒に考えていける人間にならないといけないなぁと思います。

 

令和になり数日、次は、消費税アップに向け、どんな準備が必要か、友人たちと集まると度々そのような話題にもなります。
「ニコニコ現金払い」が大好きでキャッシュレスについて考えてこなかったのですが、いよいよそうも言ってられない状況になりました。こんなときも、キャッシュレスをうまく活用してる友人たちの話を聞きながら、自分に取り入れ、最善の方法で新しい時代を生き抜いていかないとならないなぁと思う令和元年5月です。

写真は、今年3月に尼崎に誕生した尼崎城です。
昔あったお城の再現をある大手企業の創業者さんが多額の寄付をして創られ、それに賛同する尼崎の方々や、市も全面的にバックアップし、尼崎が「尼ジョーのある街」として、より一層活気ある街になっています。
私はお隣の西宮に住んでますので、友人たちと1回、主人と1回、ゴールデンウィークに行ってきました。
お城という歴史あるものが、こないだできたものというアンバランスを絶妙に楽しめる素敵な施設でしたよ♪オススメです!

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遠隔介護ブログ(第16回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。
このブログが弊社のホームページ上にアップされる時には、新元号も決まっているかと思うと、なんだか感慨深いものがありますし、ドキドキします。(ちなみにこれを書いているのは3月末です)

昭和から平成に変わるときには、まだ私も12才。
そこまでの想いがあったわけでもなく、昭和を振り返る番組などを観ても歴史を学び直すくらいにしか思えませんでしたが、今回はやはり、自分が多感な頃から、この42歳になるまでの30年間なので、平成を振り返る番組を観ると、全ての事件や出来事に、思い出すエピソードもあります。
新しい元号は、本当の意味の平和で、日本中にそして世界中に笑顔がもっと増える歴史がつくれるような日々が続くことを祈るばかりです。

そんな中、弊社でも2018年度の営業日が終わり2019年度が始まりました。

2018年度、お世話になったスタッフ様(ご登録看護師さんや医療職の方々)、そして紹介先の施設様や病院様に感謝しながら会社の2018年度お疲れ様でした会に参加し、翌日の土曜は例のごとく実家には帰るものの、そこまで朝早く帰らなくて良いので、今回は二次会まで残りたいなぁと、思っている最中に、父からの何度もの着信。
さすがに会社の飲み会中には出れず、飲み会が終わるとすぐに会場を出て、ある程度家の近くまで帰ってから落ち着いて電話をしました。

そう、2次会も出れずに。。

あ~よく、久々、子供置いて遊びに行こうって言ってる友達が、約束の日に限って子供が熱出して、約束がキャンセルになるってこんな感じかしら、、と思い、どうにもならないことにモヤモヤしたのですが、内容は、日々の孤独の嘆きと、すべってこけて脇腹打ったけど、元気に生きてます、というようなもの。
父はよくこけますが、なぜかいつも怪我はなく、打ち身だけで終わるので、かまってほしいからこけるのかなと思うほどなんですが、その日の不安そうな電話には父の感情について、思うフシがありました。

その前日に、今お世話になってるデイサービスの大好きな看護師さんが退職されたそうで、最終日として、ご挨拶もあり、父は号泣してしまったと電話で教えてくれてた翌日だったので、ちょっとした寂しさがいつも以上に一人暮らしの不安を大きくしたんだろうなぁと思いました。

そう考える中で、私の仕事は、看護師さんにお仕事を紹介することで、お仕事相談を受ける看護師さんと、紹介先の施設様や病院様との相性や条件などのすり合わせにはとても頭を使いますが、看護師さんがその職場を退職されることになったとき、その職場には、患者さんや利用者さんがおられ、今回のうちの父のように悲しくて寂しくて、毎日の生活の中での楽しさが大きく欠けてしまうこともあることを、当たり前であるのにきちんと想像が出来ていなかったことに気付きました。

ただ、転職相談させていただく中では、「今の職場は辞めたいけど、利用者さんのこと考えると、思いとどまることもあって」と、看護師さんからお話いただくこともかなりあり、看護師さんが、職場でどれだけお一人お一人の患者様、利用者様に責任を持ち、心を込めた看護をされているか学ばせていただくことも多いです。

大好きな看護師さんとのお別れを悲しむ父、そして、ちょっとしたことへの不安が膨らむ父の心のケアは、やはり家族である自分がしていかないといけないなぁと想いますし、それだけ頼りにできる看護師さんが、デイサービスにいてくださっていたこと、ほんとにその看護師さんにも感謝しかありません。

とはいえ、すぐに好きな人が出来る父なので、次も優しい看護師さんが入ってきてくださったら、頼りにし、セクハラまがいに懐いていくと思うのですが。なんせ、すぐ落ち込むけどすぐ立ち直るのが父の短所でもあり長所でもあります。

出会いと別れの季節。それが4月。
2019年度も沢山の看護師さんとお会いしてその方の人生にとってプラスとなるようなお仕事紹介やセミナー運営をしていきたいと思っております。

今年度もどうぞ宜しくお願い致します。

写真は先日観た「運び屋」というクリント・イーストウッドさんが監督、主演の映画です。
老いることの孤独や辛さ、しかしまた人生経験を積んだ強さを感じる映画でした。

おすすめです。

 

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遠隔介護ブログ(第15回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
そろそろ春の訪れを感じるような、あったかいなぁと思える日も増えてきましたね。

うちは夫婦共働きのため、洗濯は夜にして、夜干して、また翌日、会社から帰るのが早い方が取り入れてたたむという生活なので、
冬は、外に干すと、冷たすぎて乾いたのか生乾きなのかもわからないようになるので、部屋干しを続けてましたが、ようやく先日から、外干しを復活させました。
ただ、、暖かくなると花粉が心配なので、外に干すのもまたまた考えもの、という、切ない日々です。

夫婦とも、そんなに花粉に大きくは悩まされませんが、布団を干した日から、鼻水が止まらなくなるという昨年の傾向もあるので、
これを読んでくださってる方々にも、なにか、洗濯物花粉対策があれば教えていただけたらありがたいなあと思います。

毎年、冬は、一人暮らしの父にもなにかと事件が起こるのですが
(水道管の中で水が凍り破裂して、夜中に大騒ぎになったり、エアコンを使いすぎて壊れたり、、が昨年です。ちなみにそれは昨年の今頃の遠隔介護ブログ第5回にも書かせてもらいました。)
今年は、電子レンジが壊れたくらいですみました。。
いや、まだ寒い日もあるので気は抜けませんが。

ちなみに、トイレのウォシュレットも壊れていて、裏口の扉の鍵も壊れてたので、いつもお願いしている大工さん(私の親友の旦那様)にお願いして、裏口扉の替えと、トイレのリフォームをしていただいたのですが、
それをお願いしてから、玄関のチャイムも壊れてることが発覚し(父は耳が遠いので、チャイムが壊れてることも、私が帰省したときに、遊びにきてくれた友人が気づくまで全く気付かずでした)、それも付け替えしていただきました。

そしたら、チャイム付け替え時に電気工事屋さんにも見ていただくと、固定の電話機の親機も、ネズミにコードをかじられて、電話機として機能してなかったことが発覚(これも、父は耳が遠いので気付いてないのと、親しい人は携帯にかけてくるので気付いてません)
怪我の功名と言いますか、1つの故障が見つかったおかげで隠れてたいろんな故障まで、修理がお願いでき、安心出来る出来事となりました。もちろん、修理代はその分重なりますが、来客の方、お電話くださってる方に迷惑かけないのは大切なことですよね。

もう一つ、最初に書いた電子レンジの故障。

私はだいたい、2週間に1回の帰省なので、帰省する時の近い日に何かが故障すれば私の帰省で対応できますが、
この電子レンジが故障したのは私が帰省した日の翌日。
そこからもう毎日仕事ですし、その後の土日も予定があり帰省出来ない、、でも、電子レンジがないと、父の食生活が安心して送れない。
ということで、、どうやったら、自分が戻らなくても新しい電子レンジが父のもとに届くか、

もちろん、こちらで買って送ればいいのですが、そこは、説明書も読めない高齢者。
使用方法をちゃんと伝えないと宝の持ち腐れ。

自分の友達や、これも大工さんにお願いしようか、叔父にお願いしようか、弟に帰省できないか聞いてみたりなど色々考えましたが、
電子レンジは案外毎日使うので、即対応いただける人、、
ガイドヘルパーさんの顔が浮かび、一緒に買物していただいて、電子レンジ設置、使用方法伝授までお願いできないかを聞いてみました。

あっさり、2日後には行けるので買物一緒にしますよ〜と。

予算と、父が使える最低限のことまで理解してくださり、それにあったものを選び、設置し、使用方法も教えていただいて
「今完了しました、使い方も大丈夫です。中に何か入っていないと、電子レンジが動かないものを選びました(今までのはターンテーブルだったので何も入ってなくても動いてしまったので)」と報告までくださいました。

しかも、新しい眼鏡を欲しがる(もともと運転してたときの眼鏡があるのに、ほぼつけなかったくせにそれが見えにくいとのことで)父に、いきなり眼鏡屋さんではなく1回、目を診察してもらおうと促し、私が何度言っても嫌がってた眼科にまで連れて行ってくださいました。

自分が近くにいないことでしかも、車がないとどこにも行けない郊外に住んでいて、ほんとに不便が多い高齢者一人暮らしで心配はつきませんが、
もちろん、父も不便を嘆くことがありますが、
運転もしてくださるガイドヘルパーさんや、「1」お願いしたら、「10」以上のことを理解して、アドバイスくれて改善してくださる大工さん、そして、それを見守ってくれる大工さんの奥様(私の親友ですが)がいてくださることもほんとに私には心強いですし、父も安心してなんでも話せるようなので、幸せなことだなぁと思います。

どんなときにどこに相談するか、

もちろん「もっと家族がなんとかしないと」とご近所さんたちには思われてることもあると思いますが
そして、それはそのとおりなんですが、自分の仕事も家庭もあるなかで、高齢の家族を孤独にさせないように考えていくこと、
これはほんまに難しいけど大切なことだと思いました。

そのようにまわりにお願いできることが増えると2週間に1回の帰省でも、数年前までのように切羽詰まって実家の用事をこなし、髪を振り乱して掃除するほどでもなくなり、ちょっと心に余裕が出たため、
昔、玄関にいた、たぬきちゃんの存在を思い出し、庭の方に置き去りになってたたぬきちゃんを拭いて、玄関前に戻してきました。

信楽焼のたぬきです。
いろんな飲食店の店前にあることが多いので、意味を調べると「他を抜き、地域一番になる」と言う意味があるようです。

うちの父も工務店を経営してたので買って飾っていたのでしょうね。

このたぬきちゃんは、亡き祖母に似てるので、久々に優しくて働き者だった祖母を思い出してほっこりしました。

今回も長くなってしまいました。
次書かせていただく頃に、花粉に悩まされてないように、純粋に春を楽しめているように、これから花粉対策頑張ります。

 

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遠隔介護ブログ(第14回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

ついさっき、2019年になったと思っていたのにもう1月も後半。1月は「いく」とはよく言ったものだなぁと思います。

お正月休みに映画
「こんな夜更けにバナナかよ」を観ました。
主演の大泉洋さん、ヒロインの高畑充希さん、どちらものファンだからというのが鑑賞の一番の理由ですし、かなりの話題作ですので、きっとこのブログを読んでくださってる方も、この映画を観られた方が多くいらっしゃると思います。

難病筋ジストロフィーを患っての車イス生活を、わがままでおしゃべりで自由に生きた鹿野靖明さんと、彼に出会って変わっていく人々の人生を、笑いあり涙ありで描く実話に基づく映画です。

これから観られる方もおられると思うので、ネタバレになることは書けませんが、なんせ、鹿野さんは自分を支えてくださるボランティアの方、介護スタッフさん、看護師さん、主治医の先生、ご両親に必要以上には感謝を伝えず、どちらかというと、自分を介護、看護してるおかげで、介護や看護の勉強が出来ていいだろうという、「生きた勉強をさせてやってる」という姿勢を貫かれてるんです。

ただ、それがうちの父とかぶりました。
この遠隔介護ブログを書かせていただきながら、父の人柄にもチョイチョイ触れさせてもらってますが、父は自分の足がだいぶ不自由になってきたり、耳もどんどん遠くなってたり、心臓がもともと弱いのでハードな動きが出来ないことなど、わかってるくせに高齢者大学では皆勤賞をとりたがりますし、遠足や旅行には行きたがるんです。

私はまわりの人に迷惑かける(高齢者大学の講義中に胸の痛み訴えて、自宅に送ってもらい寝かせてもらったりもありますし)ので、あまり無理な行動はしないでほしいのですが、遠足などに行った際も「お父さんがおるおかげでクラスメイトは車椅子の押し方、勉強できて良かったみたいやで」と、車椅子押してもらったことへの感謝ではなく、自分の存在が感謝されるべきだというような事を鼻高々に話してました。

祖父母とでかけると、自分に介助が必要なことを「ごめんね、ありがとう、助かるわ」と、必ず労ってくれるのですが、父にはほんとにその言葉が少しはあっても、こちらが思ってるほどではありません。

それは私が娘だからそうではなく、デイサービスでも高齢者大学でも買い物先でもお友達との集まりでもそのような様子です。

それでも父のまわりから人がいなくなることはなく、年末年始からの忘年会や新年会などに誘われるとお友達たちが送迎もしてくださって連れ出してくださるので「やっぱりお父さんは人気者や」と自分で言ってしまうくらいです。

私には理解ができない言動でしたが、こんな夜更けにバナナかよの映画を観て、鹿野さんの生き方を学んで改めて、自分自身が父のお世話を「してあげてる、だから感謝されねばならない」になっていたことに気付きました。

誰がどんな立場になるかわからない毎日、すべて「ねばならない」という価値観に支配されると、考えが偏り、相手が自分の予想外の反応をすることに苛立ったりがっかりしたり、マイナスな感情をつくりだしてしまうんだなぁということを、改めて考えさせられた映画でした。

 

その後、実家に帰り父が買い物から帰宅して疲れて寝ながら「大相撲が気になる、ラジオ持ってこい、ここに置いてほしいから、延長コードにつなげ、延長コードはあっちの部屋からとってこい」と、次から次へ指示してきたときも、今までならちょっとは自分で動いてほしいと言い返してしまったかもしれませんが、ある程度落ち着いて延長コードを探したりラジオの周波数を合わせたりが出来ました。

ただ、結局、ラジオだけではもの足らず、しぶしぶ起き上がって、リビングまで歩いてテレビで大相撲を観ておりましたが。

そんな父は、昔からえべっさんには出かけてたので(もともと大工で工務店経営してましたので商売繁盛を祈るという本来の目的でむかしから行ってました)
今年も、ちょうど地元のえべっさんが今宮や西宮や柳原、堀川などの大きなえべっさんと違い土日祝で開催ということで、私の帰宅と重なりましたので、一緒に行きたい、母が好きだった岩おこしとカステーラ買って仏壇に供えたいと言ってましたが、いざ当日になると、
「デイサービスの所長から、いま、インフルエンザが流行ってるから、感染したら大変なので人混みには出掛けないように」と注意され、えべっさん参拝を断念してきました。

おかげで父の介助を気にすることなく、たまたま遊びにきてくれた亡き母の親友と私の2人でえべっさんに参拝し、餅まきを見たり、福引に参加したり、カステーラを買ったり、思う存分楽しめたので、ありがたかったのですが、

やっぱり、高齢者になると、そういう自己防衛も大切ですし、まわりの人の忠告を守る素直な姿勢も大切だなぁと思います。
そういえば、父はすぐしんどいと寝込みますが、インフルエンザにかかったことは私が物心ついてから全くないと思います。予防接種も打ってはないはずなのに。
そもそも、日頃から無理をしすぎないというのが何よりの感染予防なんでしょうか。

そんな、実家の地元のえべっさんを楽しんだ私ですが、今住んでる西宮市のえべっさんも本来の期間に参拝しました。

西宮えびすは、皆さんご存知の福男のイベントもありますし、大マグロも拝めます。
福男のイベントには今年、元サッカー日本代表の前園さんも来られていて、前園さんがオーディションで選んだ西宮市出身の芸人さんが、2位になり、福男として選ばれる(3位までが福男なので)といういつも以上の盛り上がりもあったようです。

お正月には初詣も、三社詣りし、その後えべっさんも二社詣りという、なんでもかんでも神頼みみたいな私ですが、平成最後の年がとにかく穏やかな1年であることを祈るばかりです。

 

皆さんの1年もどうか幸せな1年になりますように。

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遠隔介護ブログ(第13回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

遠隔介護ブログも昨年、定期的に書かせていただき、今回で13回目となりました。
読んでくださってる皆様、本当にありがとうございます。

私は、医療も介護もプロの知識がありません。
弟は社会福祉士の有資格者ですし、実際、福祉施設で勤務させていただいたあと、自身でNPO法人を立ち上げ福祉施設を運営していますので、祖父母や父の生活の件で相談できる相手が身近にいるのはありがたいことだと思います。

だからこそ、弊社に登録いただいている看護師さんもそこまで親しいご親族じゃなくてもどの親族のかたより、率先してご親族の介護をされているかたなので、仕事のペースを落とさないといけなくなったという方のお話をよくうかがいます。

お身内の間でも看護師さんが親族の中にいると心強くてついつい頼りに、という気持ちもわかります。

 

私は特に妄想は好きなんですが、想像力が乏しくて自分が経験したこと以外に物事を想像して臨機応変に動くことが出来ないのです。

なので、母が闘病したり、義母の身体の疲れや父や祖父母の身体が不自由になり始めたことに寄り添うなかで、自分たちが良かれと思ってることが高齢者さんにはしんどいと思うことがあることを、1日一緒に過ごすだけで何回も感じます。

例えばトイレ。
祖父母を施設から外出させ親戚の家などに日帰りで一緒に行ったりすることもありますが、もちろん道中、疲れないか、なにか身体の異常は起きてないかなども気にはなりますが、
最初のうち「トイレに戸惑っている」ということに気付かずに、祖母の場合はトイレまで私がついていけるので、祖母のトイレの個室から「流し方がわからへん」と困ってる声が聞こえてきてオシャレなお店のトイレや、ショッピングセンターのトイレなど、ウォシュレットだとボタンもたくさんあるし、レバーに「これでは流さないでください」と書いてあるしで、たしかに戸惑うやろうなぁというのを、そのとき初めて気づいたのです。

祖父は祖父で九十歳超えても最初は足腰元気だったので外出先でも、私たちがついていかずとも一人でトイレ行くと、女子トイレに入ってしまって、次のお客さんをびっくりさせてたりもしました。

それもそれで、お店によって、男女で1つのトイレしかないとこ、男女別々のとこ、あまりにオシャレな男女別の描き方で、自分たちでも「これ、どっちが女トイレやろ?」と思うこともあるので、目も悪くなってきたり英語が読めなかったりする高齢者が間違うのは当然のこと。

それはお店が悪いのではなく、同伴者の私がトイレに対してその想像力がなかったのが1番浅はかだったのです。
結果的に、祖母も祖父もお店の人やまわりの人に謝ったり、情けなそうな顔をしてしょんぼりしていて、ちょっと切なくなりました。

ほかにも、他府県へのおでかけやイベントなど、親の世代でも楽しめるようなものを見ると良かれと思い「せっかくだから一緒に行こう」
この言葉はよく義母や父にも言う「良かれと思って」の言葉ですが、「遠いとこはしんどい」「人が多いのはしんどい」と返事が返ってくることが増えました。

母が闘病中もできるだけいろんなとこに連れ出して、楽しい思いをしてほしくて命が亡くなるまであと3ヶ月という頃に、兵庫県から三重県まで片道5時間位を車の中で過ごしていたこと、
足に水もたまってしまい、ほんとにしんどかったと思うのに、子供たちの想いを無にしまいと旅行中は寝てしまうこともなく、よっぽどじゃない限りは一緒に観光地を歩いたり温泉に入ったりしていて、あの1泊2日、ほんとは家でみんなでゆっくりが1番良かったんだろうなぁと、今となっては思い悔やまれる旅行もありました。

だからこそ、元気なうちにいろんなとこへと、先日もある大型施設のイルミネーションを見ようと父に伝えましたが、あまり気乗りしていなく、
結局は近所のとってもささやかですが数分あれば楽しめるイルミネーションを見に行き「これでじゅうぶんや」と1、2分行った後、「もう寒いから中に入ろう」とすぐ帰りたそうにしてました。

イルミネーションといえば夜なので、夜の寒い中イルミネーションを長い時間見ているよりも自宅でゆっくりお風呂につかり、早目に布団に入るのが何よりの幸せ

日本昔ばなしのエンディングソング「人間ていいな」を思い出す一幕です。

父が免許更新で、反射神経試験不合格でクルマの免許を取り上げられてから約1年、平日の父の用事に付き添いくださる介護運転手さんとは淡路島や出石など、遠出も付き添っていただいてるようですが、
平日だと人も少ないし、運転手さんということで仕事で付き添ってくださってるかただからこそ、父も自分の体調に合わせ自分の要望が言いやすく、私と出歩くよりも身体が楽なのだとも思います。

いつかきっと今の義母、父、祖父母の気持ちを実感する日が私にもくることでしょう。

相手のためにも、自分がしんどいことはしんどいと言えるようにしないといけないなぁと思いました。

お正月の初詣も数年前から父はもうしんどいから自分のぶんまでお参りしてきてと言って、家で留守番するようになりました。

神社はバリアフリーじゃないところが多いので、それも当たり前の言動なんだと思います。

寄り添うものの自己満足にならないようなお年寄りとの関係を築いていかないといけないなぁと実感してます。

 

今年もこのブログは続けさせていただきたいと思います。

看護師でも介護士でもない私の素人ながらの高齢者との向き合い方、
これが一般人の戸惑い、そしてそこから学んでいる現実を少しでも感じていただけるとありがたいです。

今年も、仕事と遠隔介護の生活を、前向きに学び、元気に生きていきたいと思います!

(とは言いつつ、年末はお正月準備のため、父が、自分で動けないのにあれやこれや思いついたことを、毎日毎日同じことをあーだこーだ、、、電話があり、墓参りの花をどうする、数の子どこで買うなど、仕事終わりに留守電を聞くと、ちょっと心がしんどくなるような留守電がだいたい日々、3回以上は入っててけっこう疲れたなぁと思ったのも本音です。。まぁ、毎年なんですが。)

皆様、2019年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

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