遠隔介護ブログ(第20回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。

お盆休み最終日、自宅で読書などしながら台風10号が行き過ぎるのを待ち、外出せずに待機しておりました。
昨年も自然災害が多く、今年もまだまだ台風もこれからが本格的になる時期だと思います。
大きな被害がないことを祈るばかりです。

そんな台風の最中に読んだ書籍「絶唱」はまさに、24年前に起きた阪神大震災がキーワードとなる物語です。

作者の湊かなえさんは、広島の因島出身で、現在は淡路島に住んでおられますが、大学は武庫川女子大学で、震災は西宮市で体験されております。

私も前職で広島県に住み、因島も仕事で度々訪れ、淡路島には親戚がいますので、年に1〜2回は遊びに行き、今は西宮市の武庫川女子大学の近くに住んでいるということで、湊かなえさんには勝手に親近感を覚え、出される本は全て読ませて頂いてます。

もちろん、湊かなえさんの話の構成がホントに大好きで、私の好きな小説家さんベスト3に入るのですが(1位は永久に向田邦子さん、2位が湊かなえさんで、3位が重松清さんです)、この絶唱は、「小説なのかな?湊かなえさんの実体験なのかな?」と、考えさせられる他の湊かなえさんの小説とは少し違うテイストでした。

その中に、阪神大震災のときのことを、「私はそのとき○○にいて〜」と語れるのは、境界線のもっと外側にいた人ばかりという言葉が出てきます。

確かに、今でこそ減りましたが、兵庫県に住んでいると、阪神大震災の話はどこでも話題に出る頃はありました。
私の住んでた地域は、壁もひび割れし、ガラスも割れ、怪我をする人はいたものの、身内や知人に亡くなる人や自宅の全壊などはありませんでした。ただ、本当の被災地、淡路島や神戸市の大きな被害を経験された方が積極的にその話をされることはありません。

境界線の中側、ど真ん中におられると、言葉では語れないしんどさや辛さがおありだったんだと思います。

私自身も、遠隔介護ブログをもう20回書かせていただいてますが、所詮「遠隔介護」であって、自宅で介護をしながら、生活をしているわけではないので、24時間、365日、介護と向き合ってらっしゃる方が、私のこのブログを読まれても、「介護のこと、何もわかってない」と思われると思います。

もし、自分が結婚を決めたときに今の父の状況で、自分が出ていくと父が一人暮らしになる、、という状況なら、結婚して家を離れることが出来たかと考えると、きっと出れていないと思います。かと言って、主人に、うちの実家に一緒に暮らしてもらって、そこから仕事に通ってほしいとはお願いも難しかったでしょうし、きっと結婚を諦めたような気がします。

あの時は末期がんで余命宣告された母に花嫁姿が見せたい、その一心でしたので、今とはまた状況が違います。

そんな事を考えるとこのブログ、これからも書いて大丈夫なんだろうか、、と考えてもしまいますが、このお盆休み、通常なら帰省しない月曜日に実家に帰省し、いつも月曜日に来てくださってる訪問介護のヘルパーさんとお会いできました。

とっても親しみやすく、そして笑顔の素敵な、一目でお人柄が良いとわかる好感のもてる方で、色々お話もお聞きし、お仕事を終えられて父の寝ているベッドまで行き、「また来週きますね〜今日はご家族がこられてていいですね〜」と声をかけてくださると、父は、すかさず手をのばし、ヘルパーさんに手を握ってもらい、「今は楽しいけど帰ったら寂しいから泣くねん」とかわいく訴えてる姿を見て、私が「セクハラやで」と言うと、父も笑ってました。

私がもし嫁に行かずここにいて、父の世話をしながら、仕事も実家から通勤する生活をしていたら、父はこのヘルパーさんにも出会えてないし、今のデイサービスにも行けてないし、お買い物のヘルパーさんとも会えてないし、私自身は今のこのワークステーションにも入社出来てないし、もちろん主人とも生活が出来てない、といういろんな「出会えなかったかもしれないものや人」の存在を思い、今の自分として書けることはこのブログに書いていきたいと、再度思い直すことが出来ました。

もちろんこれから父がもっと体が動かなくなればどうすべきなのか、そこはいつも考えます。
だからこそ、体がまだ動くうちに父にもいろんな人と、いろんな想い出を作ってもらいたいと思います。

娘がつきっきりじゃないからこそ出会える人たち、事柄をめいっぱい楽しんでもらいたいものです。

 

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遠隔介護ブログ(第19回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ19回。

今年はなかなか梅雨が始まりませんでしたが、始まるとほんとにジメジメが続きましたね。

我が家では、主人&お友だちと埼玉県までプロ野球の観戦に行ったり(ついでに東京観光もしたり)、甲子園球場で開かれたプロ野球のオールスターゲーム観戦したり、何かと「野球好き」にはたまらない1ヶ月を送っております。
が、母が末期がんとわかった12年前からなんとなく、先々の予定をうめることに不安がつきまといます。

家族になにかあると、この予定は行けなくなるんじゃないかな、、と。
それは自分も同じことで、この日まで、健康でいれるかなとか、けっこうマイナスなことをいっぱい考えてしまう癖がつきました。
うちの主人は、そのあたり「毎日一生懸命生きて、前向きに考えてたら案外なんとでもなる」と思う人なので、行けなくなればキャンセル、もしくは誰かに権利を譲れるならそうすれば良い、あかんかったら諦めよう、そのへんの割り切りが気持ちいいくらい出来ていて、羨ましいくらいです。
お子さんがおられる方もきっとそうですよね。
何か大事な予定があるときに限って子供が熱を出す。。とよくお聞きします。
でもそういう「行けないかもしれない事態」を予想し怖がっていたら、ずっと自分の「欲求」が満たされないままになっちゃいますよね。危険度予測は大切ですが、何か起こったときになんとかする力を養うことはもっと大切なのかもしれません。

この12年、先々のいろんな予定がうまることに怯えていた私に、1番大きな出来事だったのは、いま勤めている会社、このワークステーションに入社し、まる1年で迎えた研修旅行でした。
3泊5日の旅行。
その頃はまだ祖父も施設に入らず、家にいましたので、父と祖父の2人暮らし。
喧嘩をするたびに電話が鳴ります。父が怒ると、祖父が、勝手口のところで頭を打って倒れたふりをして救急車で運ばれたこともありました。(実際、ふりだったのか、本当に倒れてたのかは未だに謎です)

今まで夫婦の旅行で、1泊くらい家をあけることがあっても、5日間もインターネットを接続してない父と連絡をとれないという日を経験したことがなく、最初は「私が家をあけていいんだろうか」とほんとに悩みました。
よく考えたら、日頃離れて暮らしてるんだから大したことはないんですが。
以前、母がまだ病気になる前、私が結婚する前、両親と私と弟と4人で行こうとしていた旅行の、直前に祖父が脳梗塞で倒れ入院し、重度ではなかったものの、たった1泊中でも、もし何かあったらあかんからと、旅行をキャンセルした(キャンセル代も半額くらいは払う時期にまできてました)ことを思い出し、ほんまに何かあったらなぁ、身動きとれへんしなぁと思ってました。
でも、高齢者の親族と向き合う時間はいつ終わりがくるかもみえず、何年その状況が続くかもわからない。それこそ状況が良くなることより、しんどくなることのほうが大いにありえる。
なら、旅行で家をあけれない理由に、祖父や父の暮らしをあげるのではなく、2人がいたときでも家をあけれるようにするにはどうすればいいか。
これは必要にかられたときに、その都度、考えていくことが自分の余分なストレスを減らすためにも大事なんだろうなぁと考えることが出来ました。
実際はなんの問題もなかったですが。
要介護のお身内がおられる方々も、ショートステイなども利用しながら、ちょっと介護を忘れて自分のために自分の時間を使うリフレッシュって、すごく大事なことなんだろうなぁと思います。
家族と向き合える日と、ちょっと一人になりたい日。
ちょっと心を弾けさせたい日。
地域の福祉サービスで何か利用できるものがあるなら利用していくのも、経験値にもなりますし、家族みんなの心身の負担を軽くするために必要なことかもしれませんね。

この遠隔介護ブログでも、地域への相談、ケアマネさんとの連携、福祉サービスの利用などいろいろ提案させていただいてますが、1年半、書かせていただいてても私にも先に進んでない問題、いつも頭の片隅にあるのに動けていないことがあります。
それは、空き家問題です。
いろんなかたにアドバイスいただいてもあと一歩の勇気や具体的な行動ができてません。
空き家問題を抱える方も非常に多いと思いますので、またなにか私が動けた際には報告させていただきたいと思ってます。

写真は埼玉の所沢、西武ドームに行ったときのもの。
グランドに書いてある言葉が心に響きすぎて撮影したものです。
「あれもこれも叶う、西武鉄道。」
私は、甲子園球場近くに住んでますのでよく甲子園球場には行きますが、たしかに、たった1回行った西武ドームで野球好きの私が叶えたい「あれもこれも」は叶いました。
8歳のときから35年憧れていた西武ライオンズの本拠地に立てたこと。
1番の願いが叶った思い出の日の1枚です。

 

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遠隔介護ブログ(第18回)

こんにちは。コーディネーター渡邉です。
遠隔介護ブログ第18回。

今回のテーマは「かわいい嘘、許せる嘘」です。

人は時として、相手のために嘘をつかないといけないときもある。私は常々そう考え、一生、嘘をつかずに生き通せる人なんていないと思います。

私自身の忘れられない嘘は、大学時代。
友だちが一目惚れした男性がいまして。挨拶するくらいの仲にはなったんですが、なかなか告白出来ないし、デートにすら誘えない。
私はその男性とちょこちょこ話せる仲だったので、彼女がいないこともわかっていて、なんとかならないかなぁと考え、その告白出来ない友だちは、やさしいし面白いし賢いし可愛らしいし、絶対オススメの女性だと思ったので、その友だちに「こないだ○○君(その好きな男性)が、あんたのこと、可愛いなぁゆうてたで。いけると思うで」と、その男性がゆうてもないことを言ってしまいました。
でもその一言で彼女はデートに誘う事を決意、そこから、数年後。
2人は結婚し、今はお子さんたちもすくすく育ちとっても幸せそうにやってます。

これは、とりあえず、成功の嘘。

でもやっぱりちょっと罪悪感はあり、本人達には話してませんが忘れられない嘘です。

 

前置きが長くなりましたが、この遠隔介護ブログの主役である私の父は、こんな嘘が多いのです。
人のためというより、自分のための都合あわせの嘘。

でも、よくお年寄りとお話してると、自分の都合のいいように過去の思い出話をすり替えるというか、記憶ごと変えてしまってるなぁと、それは認知症というのではなく、人に語りやすいように美しいように思い出話を替えられて、何度でも聞かされるなぁということありませんか?
父は日常茶飯事。

例えば先日、私が平日に休日出勤の振替休日をいただき、実家の平日しか出来ない用事を片付けに帰ったときのこと。
その日、父はデイサービスの日だったんですが、自分が私と買い物に行きたいからとデイサービスに休むと電話したんです。ケアマネさんからは「お父さん、デイサービスに来られてるほうが、めぐみさん掃除とか用事しやすくないですか?大丈夫ですか?」と私の状況までわかってお電話くださったんですが、本人がもう買い物に行く気でいるのでしょうがないですね、となりました。

でも、デイに預けてる薬、休むならその日の分は取りに行かないといけなくて、父に会う前にデイサービスに行きました。
電話をくださったケアマネさんではなく、デイの所長さんとお話すると「娘がデイ休めゆうねん、自分が帰る日はお父さんにおってほしいゆうて、せやから休むわ」と、朝から父が電話で話したとか。

なんという嘘。。自分の気持ちじゃなく私のせいにしてます。そのうえ、前日、デイから近所のショッピングモールにお買い物に連れてってもらう遠足のようなものがあり、介護職さんにつきあってもらいながら、服買いたいと言ってたのに、介護職さんから「服はめぐみさんに選んでもらい、今日は食料品買おう」て言われたから服買ってへんねん、だから今日行きたいと買い物を私にねだってきたのに、所長さんいわく、実際は、何回も介護職さんが「服みーひんの?」と聞いても「娘と見るから今日は食料品買いたい」と自分が言ったそう。。

全く逆です。

ただよくよく聞くと、父以外の利用者さんがみんな、食料品に行くと言われてたそうで、おそらく寂しかったのか、もしくはほんとに私と服を見たくなったのか、真意は定かではありませんが、これもほんとに両方にうまいことついたつもりの嘘が翌日にばれるという事態。

身体に色々不自由がきているのに一人暮らしというしんどさもある中、誰にどう伝えれば自分が少しでも快適に思い通りに過ごせるか考えてこその、口から出た嘘だと思うので、所長さんとも「手かかるけど、一人で頑張って暮らしてるからなんにも言えないです。」と話させてもらいました。

子供もよくちっちゃな嘘ってつきますよね。
でも、誰かを陥れたり、誰かにおっきな迷惑をかけるものでなければ、怒らず騒がず、聞き流すということは、自分の心も穏やかにしてくれると母が亡くなってから、父と密にコミュニケーションとるようになって学びました。何が本当でも、別に今の状況が大幅にかわることもないですもんね。

でも、身内はいいですが、あんまり外でこんなちっちゃな嘘ばかり言ってると、いざというとき信用してもらえないと思うので、いくら自分をかまってほしいための嘘でも、つきすぎたらあかんよとさらっとは父に言っておかねばと思います。

そんなこんなの父の日もあった6月。

 

先月末に、私は以前からファンクラブに入っているサザンオールスターズのコンサートに行ってきました。
今までも行ってますがメンバーの皆さんのご年齢を考えると、15年くらい前から「これが最後かな、今回が最後かな」と毎回ドキドキするんです。
実際、11年前の横浜まで行ったコンサートは、とうぶん活動自体休みますと言われてたし、そのあと、ボーカルの桑田佳祐さんも大病されていたので、ほんとにもうコンサートはないのかもと思ってました。
が、65才を越えたメンバーの方々で作り出されるステージ、今回は3時間半以上もあり、エネルギッシュでしかも、桑田さんは1曲1曲歌い終えるごとに「ありがとう」とお辞儀しながら何回も言われるのです。
桑田さんもまたファンにコンサートで会えること、きっと大病もされ復活されたから余計にありがたいと思ってくださってるんだなぁと思いまして。
そして、コンサートラストには「また絶対会おうね」と言ってくれました。
お歳を考えてもその言葉がとても嬉しくて。

私の母は、氷川きよしさんのファンで、毎年コンサートに友人たちと行ってまして、亡くなる年も、チケットとってとても楽しみにしてたんですが、待ちに待ったコンサートの前日に、肺ガンで亡くなりました。母の友人たちは、母の写真を持って、当日、氷川きよしさんの歌声を全部聞いてきてくださいました。

そしてその友人たちは今も毎年、氷川きよしさんのコンサートに行き、そのチケットは母が生きてたときと同じく私がインターネットで申し込みします。
私は行きませんが、それを続けさせてもらうことで、母がいつまでもその方々と一緒に氷川さんの歌を聞けているような気持ちになります。

そんな母の切ない想い出や、つんくさんがもう歌えない状況になられたことなどから、自分が10代や20代のときには考えたこともなかった、

「コンサートに行けるのは当たり前ではない」「コンサートを開催してもらえるのも当たり前なことではない」ことを思い知りました。

だからこそ余計に今回、自分が元気でサザンオールスターズのコンサートの日を迎えられたこと、サザンオールスターズがまたコンサートをすると言ってくれたことなどに、とても感謝し、生きているこの1日1日を大切にせねばと思えました。

母の氷川さんコンサート友だちは、何かといまだにうちの家族を気遣い、5月には毎年、私の名前と同じトマトをたくさん送ってくださいます。
母から戴いた大切なご縁だと思ってます。

小さな嘘を自分の都合よく、さらっと言っちゃう父でも生きてくれてるだけでありがたい、そう思えるように。
ガミガミ言わないように、ガミガミ言いそうになったら私をこの世に存在させてくれてありがとうと感謝に置き換えて、穏やかに過ごしたいなぁと改めて思いました。

 

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遠隔介護ブログ(第17回)

こんにちは。コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護ブログ17回目を書かせていただきます。

平成から令和へ。
弊社も10連休をいただきました。
連休後の仕事量を考えるとおそろしいと思いつつも10連休、1回だけ休息日を作った以外は全て外出をしました。
もちろんその中には、いつもどおりの私の実家への帰省と、主人の実家への帰省もあります。

私の実家への帰省は2回しました。
1回目は祖父の姉の50回忌の法要もかねてなので、50回忌ということもあり、そんなに大々的なものではなく、ほんとのほんとの身内だけ集まりお寺さんに来ていただき、お経をいただくというもの。
それでも掃除はいつも以上に念入りに行ったのでバタバタしましたが、、
主人にも手伝ってもらい無事に法要を終えました。

2回目の帰省は、わたし一人での帰省で、いつもどおりの掃除と、この時期ならでは、庭に除草剤を撒き、家中の虫除けを取り替え、ゴキブリ退治の薬を撒き、あれこれやっても、ムカデが出てきて「あ~ムカデ除けも買うべきだった」と落ち込み、、心底「都会に生まれたかった」と思いながらの作業をしました。

その日の夜には、地元の同級生と集まる予定だったのですが、地元の同級生たちは、けっこうな割合で、この時期は田んぼの用事(苗の世話や田んぼの整備など)を昼間手伝っているので、その後で来るという友人もいました。

わたしも、うちの母、祖母、祖父が元気だった頃は、もちろん田植えも稲刈りもありましたので、全部手伝っていました。
だからか、蛭も蛙もいまだにあんまり苦手ではないですが、やっぱり手伝いながらも「おっきなビルで働くサラリーマンのおうちに生まれたかった」と思っていたものでした。

田んぼ仕事をしなくなった今となれば、それも懐かしく良い思い出で、あの頃は家族みんなでおにぎり食べながら作業して幸せだったんだなぁと振り返る1コマでもありますが。

そんな、田舎ならではの夏に近づく虫たちの洗礼をうけながらのゴールデンウィークの帰省の中ですが、「田舎だから良かった、ありがたかった」というエピソードがいくつかありました。

父が免許返納になってから、買い物の介助(車の送迎も含め)をお願いしている業者さんが、ゴールデンウィークはお休みだったので、週に1回の買い物が父は出来ず、私が帰省するのを待っての買い物となったので、お店を3件はしごして買うわ買うわ、あれもこれもという状況だったのです。
わたしも、「そんなに要らないんじゃないか」と思いつつも、父の1週間分なので不安なのはわかるし口出し出来ないなぁと思っていると、お店の店員さんや、たまたま居合わせたお世話になっているケアマネさんや、常連のほかのお客さんたちに「保っちゃん(うちの父のニックネーム)、あんまり買い過ぎたらあかんで、それ、やめとき。」と言ってもらったり、「今日は娘さんとなんやなぁ、よかったなぁ」と声かけてもらったり。

靴を脱がないと入れない店では、父が店先で「こんにちは」と言うだけで、店員さんがさっと出てきて、車椅子のタイヤを拭いてくださってすっと入店できたり、ちゃんと地域で「顔馴染み」として自分が過ごしやすいように環境を作っていってる父の強さと、それを受け入れてくださってるまわりの方々の温かさを感じました。

また、この時期、実家ではかなり沢山の筍がとれるのですが、父はもう山に行けないので私の弟や父の弟が山に入り沢山採ってきて、父にも沢山置いて帰ってくれたのですが、父だけでは食べ切れないし、冷蔵庫や冷凍庫にも入りきらず、周辺に配るというのも、父としては自分の足では行けず、、どうしようと悩んでいたら、近所のおばさんが遊びに来てくれて、押し車で一緒にご近所に配りに回ってくださったとのこと。
本当に地域の方々のさりげない優しさに感謝するばかりです。

私はというと、私にはアク抜きする時間もないだろうということで、父がアク抜きまでして筍用意してくれてたのに「なかなか料理する時間がない」と父の優しさにそっけない言葉で返し筍の受け取りを拒否してしまいました。

道端に咲く花を見れば、父はすぐ花と自分の写真を撮ってほしいと言います。
車椅子を花の邪魔にならない角度に動かして撮影をしてとなると、なんとなくめんどくさくて「こんなどこでも咲いとる花の写真要るか?」と暴言を吐いてしまうこともあります。
それでも父は諦めず、撮影してほしいと言います。
邪魔くさいとブツブツ言いながら撮影をする私ですが、頭ではわかってます。
父は何も悪くなくて、自分の心がとても狭くなってるだけなんだと。

優しい祖母がいて、祖父も元気で父も母も元気で働いていて、みんなで土日に田んぼの仕事して、私や弟はのびのび学校行ったり、友だちと遊んだり出来てる頃にはわからなかった、少しずつのちょっとした不便。
自分の「のびのび」は、家族の支えのもと成り立っていたということを思い知る毎日です。

街中で、子供に怒鳴っちゃってるお母さん、親御さんらしいお年寄りと歩きながら、偉そうに注意してる中年の方などを見ると、昔は「(子供やおばあさん、おじいさんが)かわいそう」と思ってましたが、今は、「あのお母さん、よっぽど子育てしんどいんやろなぁ、孤独なんやろなぁ」「あのおじさん(おばさん)、親の世話に疲れてるんやろなぁ」と、目線がかわるようになりました。

私は、会社でもこのようにブログに書かせていただいたりもしてますし、公私ともにまわりの方に聞いていただいたり弱音吐いたり、主人や親戚にも協力してもらって、ケアマネさんやヘルパーさんたちにも助けてもらって、どっぷり介護ではなく、遠隔介護が出来てます。それでもやっぱり、思ってはいけないけど「父がいなければ、いや、施設に入れられたら」と思ってしまうようなこともあります。

反面、一人暮らしさせてごめんなさい、もっと頻繁に帰れなくてごめんなさいと、心底ずっと思ってます。

街中で、お子さんを怒鳴ってるお母さんも、自分の年老いた親御さんに暴言吐いてるひとも、思うようにお世話してあげられない自分へのイライラが、相手へのちょっとしたイライラもまじり醜態に出てしまってるんだなぁと、手をあげてない限りは私もここ数年、悪態づいてるほうの人に同情するようになりました。
もちろん虐待とは違うと思います。

 

父も祖父の介護を自宅でしているときは、「これ以上一緒にいたら、虐待してしまう」と私達に相談してきて、祖父も「息子が怖くなってきた」とつぶやくようになり、施設入居に至りました。
でもやっぱり、父もほんとは祖父と一緒に暮らしたいようで、「おじいちゃんに申し訳ない」とずっと言ってます。

うちの実家にそういう思いが何パターンもあるように各家庭に、介護であれ、子育てであれ、理想と現実の違いも含め、様々なドラマがあるのだと思います。

そういう切なさややるせなさ、どちらの立場になっても、相談できる人がいるかどうか、正論を押し付けるのではなく、何がベストかを一緒に考えてくれる人がいるかどうかで、家庭の中の大小かかわらず問題の結末も違ってくるのだと、「困りごとはすぐに誰かに相談」と考え生きてきた私は思います。

そして、「困りごとはすぐ誰かに相談」してきた私が、経験して乗り越えたこと、乗り越えられなかったことも全部、自分が誰かに相談されたときに、最適で最善を一緒に考えていける人間にならないといけないなぁと思います。

 

令和になり数日、次は、消費税アップに向け、どんな準備が必要か、友人たちと集まると度々そのような話題にもなります。
「ニコニコ現金払い」が大好きでキャッシュレスについて考えてこなかったのですが、いよいよそうも言ってられない状況になりました。こんなときも、キャッシュレスをうまく活用してる友人たちの話を聞きながら、自分に取り入れ、最善の方法で新しい時代を生き抜いていかないとならないなぁと思う令和元年5月です。

写真は、今年3月に尼崎に誕生した尼崎城です。
昔あったお城の再現をある大手企業の創業者さんが多額の寄付をして創られ、それに賛同する尼崎の方々や、市も全面的にバックアップし、尼崎が「尼ジョーのある街」として、より一層活気ある街になっています。
私はお隣の西宮に住んでますので、友人たちと1回、主人と1回、ゴールデンウィークに行ってきました。
お城という歴史あるものが、こないだできたものというアンバランスを絶妙に楽しめる素敵な施設でしたよ♪オススメです!

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遠隔介護ブログ(第16回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。
このブログが弊社のホームページ上にアップされる時には、新元号も決まっているかと思うと、なんだか感慨深いものがありますし、ドキドキします。(ちなみにこれを書いているのは3月末です)

昭和から平成に変わるときには、まだ私も12才。
そこまでの想いがあったわけでもなく、昭和を振り返る番組などを観ても歴史を学び直すくらいにしか思えませんでしたが、今回はやはり、自分が多感な頃から、この42歳になるまでの30年間なので、平成を振り返る番組を観ると、全ての事件や出来事に、思い出すエピソードもあります。
新しい元号は、本当の意味の平和で、日本中にそして世界中に笑顔がもっと増える歴史がつくれるような日々が続くことを祈るばかりです。

そんな中、弊社でも2018年度の営業日が終わり2019年度が始まりました。

2018年度、お世話になったスタッフ様(ご登録看護師さんや医療職の方々)、そして紹介先の施設様や病院様に感謝しながら会社の2018年度お疲れ様でした会に参加し、翌日の土曜は例のごとく実家には帰るものの、そこまで朝早く帰らなくて良いので、今回は二次会まで残りたいなぁと、思っている最中に、父からの何度もの着信。
さすがに会社の飲み会中には出れず、飲み会が終わるとすぐに会場を出て、ある程度家の近くまで帰ってから落ち着いて電話をしました。

そう、2次会も出れずに。。

あ~よく、久々、子供置いて遊びに行こうって言ってる友達が、約束の日に限って子供が熱出して、約束がキャンセルになるってこんな感じかしら、、と思い、どうにもならないことにモヤモヤしたのですが、内容は、日々の孤独の嘆きと、すべってこけて脇腹打ったけど、元気に生きてます、というようなもの。
父はよくこけますが、なぜかいつも怪我はなく、打ち身だけで終わるので、かまってほしいからこけるのかなと思うほどなんですが、その日の不安そうな電話には父の感情について、思うフシがありました。

その前日に、今お世話になってるデイサービスの大好きな看護師さんが退職されたそうで、最終日として、ご挨拶もあり、父は号泣してしまったと電話で教えてくれてた翌日だったので、ちょっとした寂しさがいつも以上に一人暮らしの不安を大きくしたんだろうなぁと思いました。

そう考える中で、私の仕事は、看護師さんにお仕事を紹介することで、お仕事相談を受ける看護師さんと、紹介先の施設様や病院様との相性や条件などのすり合わせにはとても頭を使いますが、看護師さんがその職場を退職されることになったとき、その職場には、患者さんや利用者さんがおられ、今回のうちの父のように悲しくて寂しくて、毎日の生活の中での楽しさが大きく欠けてしまうこともあることを、当たり前であるのにきちんと想像が出来ていなかったことに気付きました。

ただ、転職相談させていただく中では、「今の職場は辞めたいけど、利用者さんのこと考えると、思いとどまることもあって」と、看護師さんからお話いただくこともかなりあり、看護師さんが、職場でどれだけお一人お一人の患者様、利用者様に責任を持ち、心を込めた看護をされているか学ばせていただくことも多いです。

大好きな看護師さんとのお別れを悲しむ父、そして、ちょっとしたことへの不安が膨らむ父の心のケアは、やはり家族である自分がしていかないといけないなぁと想いますし、それだけ頼りにできる看護師さんが、デイサービスにいてくださっていたこと、ほんとにその看護師さんにも感謝しかありません。

とはいえ、すぐに好きな人が出来る父なので、次も優しい看護師さんが入ってきてくださったら、頼りにし、セクハラまがいに懐いていくと思うのですが。なんせ、すぐ落ち込むけどすぐ立ち直るのが父の短所でもあり長所でもあります。

出会いと別れの季節。それが4月。
2019年度も沢山の看護師さんとお会いしてその方の人生にとってプラスとなるようなお仕事紹介やセミナー運営をしていきたいと思っております。

今年度もどうぞ宜しくお願い致します。

写真は先日観た「運び屋」というクリント・イーストウッドさんが監督、主演の映画です。
老いることの孤独や辛さ、しかしまた人生経験を積んだ強さを感じる映画でした。

おすすめです。

 

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遠隔介護ブログ(第15回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
そろそろ春の訪れを感じるような、あったかいなぁと思える日も増えてきましたね。

うちは夫婦共働きのため、洗濯は夜にして、夜干して、また翌日、会社から帰るのが早い方が取り入れてたたむという生活なので、
冬は、外に干すと、冷たすぎて乾いたのか生乾きなのかもわからないようになるので、部屋干しを続けてましたが、ようやく先日から、外干しを復活させました。
ただ、、暖かくなると花粉が心配なので、外に干すのもまたまた考えもの、という、切ない日々です。

夫婦とも、そんなに花粉に大きくは悩まされませんが、布団を干した日から、鼻水が止まらなくなるという昨年の傾向もあるので、
これを読んでくださってる方々にも、なにか、洗濯物花粉対策があれば教えていただけたらありがたいなあと思います。

毎年、冬は、一人暮らしの父にもなにかと事件が起こるのですが
(水道管の中で水が凍り破裂して、夜中に大騒ぎになったり、エアコンを使いすぎて壊れたり、、が昨年です。ちなみにそれは昨年の今頃の遠隔介護ブログ第5回にも書かせてもらいました。)
今年は、電子レンジが壊れたくらいですみました。。
いや、まだ寒い日もあるので気は抜けませんが。

ちなみに、トイレのウォシュレットも壊れていて、裏口の扉の鍵も壊れてたので、いつもお願いしている大工さん(私の親友の旦那様)にお願いして、裏口扉の替えと、トイレのリフォームをしていただいたのですが、
それをお願いしてから、玄関のチャイムも壊れてることが発覚し(父は耳が遠いので、チャイムが壊れてることも、私が帰省したときに、遊びにきてくれた友人が気づくまで全く気付かずでした)、それも付け替えしていただきました。

そしたら、チャイム付け替え時に電気工事屋さんにも見ていただくと、固定の電話機の親機も、ネズミにコードをかじられて、電話機として機能してなかったことが発覚(これも、父は耳が遠いので気付いてないのと、親しい人は携帯にかけてくるので気付いてません)
怪我の功名と言いますか、1つの故障が見つかったおかげで隠れてたいろんな故障まで、修理がお願いでき、安心出来る出来事となりました。もちろん、修理代はその分重なりますが、来客の方、お電話くださってる方に迷惑かけないのは大切なことですよね。

もう一つ、最初に書いた電子レンジの故障。

私はだいたい、2週間に1回の帰省なので、帰省する時の近い日に何かが故障すれば私の帰省で対応できますが、
この電子レンジが故障したのは私が帰省した日の翌日。
そこからもう毎日仕事ですし、その後の土日も予定があり帰省出来ない、、でも、電子レンジがないと、父の食生活が安心して送れない。
ということで、、どうやったら、自分が戻らなくても新しい電子レンジが父のもとに届くか、

もちろん、こちらで買って送ればいいのですが、そこは、説明書も読めない高齢者。
使用方法をちゃんと伝えないと宝の持ち腐れ。

自分の友達や、これも大工さんにお願いしようか、叔父にお願いしようか、弟に帰省できないか聞いてみたりなど色々考えましたが、
電子レンジは案外毎日使うので、即対応いただける人、、
ガイドヘルパーさんの顔が浮かび、一緒に買物していただいて、電子レンジ設置、使用方法伝授までお願いできないかを聞いてみました。

あっさり、2日後には行けるので買物一緒にしますよ〜と。

予算と、父が使える最低限のことまで理解してくださり、それにあったものを選び、設置し、使用方法も教えていただいて
「今完了しました、使い方も大丈夫です。中に何か入っていないと、電子レンジが動かないものを選びました(今までのはターンテーブルだったので何も入ってなくても動いてしまったので)」と報告までくださいました。

しかも、新しい眼鏡を欲しがる(もともと運転してたときの眼鏡があるのに、ほぼつけなかったくせにそれが見えにくいとのことで)父に、いきなり眼鏡屋さんではなく1回、目を診察してもらおうと促し、私が何度言っても嫌がってた眼科にまで連れて行ってくださいました。

自分が近くにいないことでしかも、車がないとどこにも行けない郊外に住んでいて、ほんとに不便が多い高齢者一人暮らしで心配はつきませんが、
もちろん、父も不便を嘆くことがありますが、
運転もしてくださるガイドヘルパーさんや、「1」お願いしたら、「10」以上のことを理解して、アドバイスくれて改善してくださる大工さん、そして、それを見守ってくれる大工さんの奥様(私の親友ですが)がいてくださることもほんとに私には心強いですし、父も安心してなんでも話せるようなので、幸せなことだなぁと思います。

どんなときにどこに相談するか、

もちろん「もっと家族がなんとかしないと」とご近所さんたちには思われてることもあると思いますが
そして、それはそのとおりなんですが、自分の仕事も家庭もあるなかで、高齢の家族を孤独にさせないように考えていくこと、
これはほんまに難しいけど大切なことだと思いました。

そのようにまわりにお願いできることが増えると2週間に1回の帰省でも、数年前までのように切羽詰まって実家の用事をこなし、髪を振り乱して掃除するほどでもなくなり、ちょっと心に余裕が出たため、
昔、玄関にいた、たぬきちゃんの存在を思い出し、庭の方に置き去りになってたたぬきちゃんを拭いて、玄関前に戻してきました。

信楽焼のたぬきです。
いろんな飲食店の店前にあることが多いので、意味を調べると「他を抜き、地域一番になる」と言う意味があるようです。

うちの父も工務店を経営してたので買って飾っていたのでしょうね。

このたぬきちゃんは、亡き祖母に似てるので、久々に優しくて働き者だった祖母を思い出してほっこりしました。

今回も長くなってしまいました。
次書かせていただく頃に、花粉に悩まされてないように、純粋に春を楽しめているように、これから花粉対策頑張ります。

 

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対人コミュニケーション⑥ ~看護師*古上の学び~

<<セルフコンパッション①>>


ご無沙汰をしておりました。メディカル事業部営業の古上です。

1月~3月は「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とは調子よくいったことわざで、一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、わたしも倣って1月は行きさっていました。(苦笑&汗&省)

さて、コミュニケーションのブログを連載しておりますが、今回は「セルフコンパッション」について記事します。

セルフコンパッション「Self-Compassion」お聞きになられたことはありますでしょうか。
私はこのような勉強を始めて、初めて知りました。
日本では「自己への慈しみ」と訳されています。セルフ(=自分に対する)コンパッション(=思いやり)は、自己への慈しみによって「あるがままの自分を受け入れる」ということになるそうです。

テキサス大学で人間開発と文化の准教授を務めているクリスティン・ネフ博士が著書されています。

セルフコンパッションを構成している要素は次の3つであるとされています。

  1. self-kindness:自分への優しさ
  2. common humanity:共通の人間性
  3. mindfulness:マインドフルネス

1.自分への優しさ
他人に接する時のように、自分にも思いやりを持って優しい態度をとること。

2.共通の人間性
自分は周囲の人間関係の中で生きているという自覚。誰もが時には失敗するという認識。

3マインドフルネス
今の経験に対してイライラしたり、不安な気持ちに捉われて判断し行動することをせず、まず今の自分の感情や思考を受け入れ、そこに気づく態度。

では、セルフコンパッションを高めるとどのうような効果があるのでしょうか。

1回ではとても書ききれない濃密な内容だと存じていますので連載してまいります。

今回は言葉の説明とご紹介をいたしました。

恐縮ながら、私はいち営業ですので、自身が学んだ内容を記載しています。もしかすると私フィルターを通った理解になっているかもしれませんが、なるべく事実に基づいて記事していきます。良かったらご参考ください。

ブログをご覧の皆様、寒さがつづいております、どうぞご自愛くださいませ。

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遠隔介護ブログ(第14回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

ついさっき、2019年になったと思っていたのにもう1月も後半。1月は「いく」とはよく言ったものだなぁと思います。

お正月休みに映画
「こんな夜更けにバナナかよ」を観ました。
主演の大泉洋さん、ヒロインの高畑充希さん、どちらものファンだからというのが鑑賞の一番の理由ですし、かなりの話題作ですので、きっとこのブログを読んでくださってる方も、この映画を観られた方が多くいらっしゃると思います。

難病筋ジストロフィーを患っての車イス生活を、わがままでおしゃべりで自由に生きた鹿野靖明さんと、彼に出会って変わっていく人々の人生を、笑いあり涙ありで描く実話に基づく映画です。

これから観られる方もおられると思うので、ネタバレになることは書けませんが、なんせ、鹿野さんは自分を支えてくださるボランティアの方、介護スタッフさん、看護師さん、主治医の先生、ご両親に必要以上には感謝を伝えず、どちらかというと、自分を介護、看護してるおかげで、介護や看護の勉強が出来ていいだろうという、「生きた勉強をさせてやってる」という姿勢を貫かれてるんです。

ただ、それがうちの父とかぶりました。
この遠隔介護ブログを書かせていただきながら、父の人柄にもチョイチョイ触れさせてもらってますが、父は自分の足がだいぶ不自由になってきたり、耳もどんどん遠くなってたり、心臓がもともと弱いのでハードな動きが出来ないことなど、わかってるくせに高齢者大学では皆勤賞をとりたがりますし、遠足や旅行には行きたがるんです。

私はまわりの人に迷惑かける(高齢者大学の講義中に胸の痛み訴えて、自宅に送ってもらい寝かせてもらったりもありますし)ので、あまり無理な行動はしないでほしいのですが、遠足などに行った際も「お父さんがおるおかげでクラスメイトは車椅子の押し方、勉強できて良かったみたいやで」と、車椅子押してもらったことへの感謝ではなく、自分の存在が感謝されるべきだというような事を鼻高々に話してました。

祖父母とでかけると、自分に介助が必要なことを「ごめんね、ありがとう、助かるわ」と、必ず労ってくれるのですが、父にはほんとにその言葉が少しはあっても、こちらが思ってるほどではありません。

それは私が娘だからそうではなく、デイサービスでも高齢者大学でも買い物先でもお友達との集まりでもそのような様子です。

それでも父のまわりから人がいなくなることはなく、年末年始からの忘年会や新年会などに誘われるとお友達たちが送迎もしてくださって連れ出してくださるので「やっぱりお父さんは人気者や」と自分で言ってしまうくらいです。

私には理解ができない言動でしたが、こんな夜更けにバナナかよの映画を観て、鹿野さんの生き方を学んで改めて、自分自身が父のお世話を「してあげてる、だから感謝されねばならない」になっていたことに気付きました。

誰がどんな立場になるかわからない毎日、すべて「ねばならない」という価値観に支配されると、考えが偏り、相手が自分の予想外の反応をすることに苛立ったりがっかりしたり、マイナスな感情をつくりだしてしまうんだなぁということを、改めて考えさせられた映画でした。

 

その後、実家に帰り父が買い物から帰宅して疲れて寝ながら「大相撲が気になる、ラジオ持ってこい、ここに置いてほしいから、延長コードにつなげ、延長コードはあっちの部屋からとってこい」と、次から次へ指示してきたときも、今までならちょっとは自分で動いてほしいと言い返してしまったかもしれませんが、ある程度落ち着いて延長コードを探したりラジオの周波数を合わせたりが出来ました。

ただ、結局、ラジオだけではもの足らず、しぶしぶ起き上がって、リビングまで歩いてテレビで大相撲を観ておりましたが。

そんな父は、昔からえべっさんには出かけてたので(もともと大工で工務店経営してましたので商売繁盛を祈るという本来の目的でむかしから行ってました)
今年も、ちょうど地元のえべっさんが今宮や西宮や柳原、堀川などの大きなえべっさんと違い土日祝で開催ということで、私の帰宅と重なりましたので、一緒に行きたい、母が好きだった岩おこしとカステーラ買って仏壇に供えたいと言ってましたが、いざ当日になると、
「デイサービスの所長から、いま、インフルエンザが流行ってるから、感染したら大変なので人混みには出掛けないように」と注意され、えべっさん参拝を断念してきました。

おかげで父の介助を気にすることなく、たまたま遊びにきてくれた亡き母の親友と私の2人でえべっさんに参拝し、餅まきを見たり、福引に参加したり、カステーラを買ったり、思う存分楽しめたので、ありがたかったのですが、

やっぱり、高齢者になると、そういう自己防衛も大切ですし、まわりの人の忠告を守る素直な姿勢も大切だなぁと思います。
そういえば、父はすぐしんどいと寝込みますが、インフルエンザにかかったことは私が物心ついてから全くないと思います。予防接種も打ってはないはずなのに。
そもそも、日頃から無理をしすぎないというのが何よりの感染予防なんでしょうか。

そんな、実家の地元のえべっさんを楽しんだ私ですが、今住んでる西宮市のえべっさんも本来の期間に参拝しました。

西宮えびすは、皆さんご存知の福男のイベントもありますし、大マグロも拝めます。
福男のイベントには今年、元サッカー日本代表の前園さんも来られていて、前園さんがオーディションで選んだ西宮市出身の芸人さんが、2位になり、福男として選ばれる(3位までが福男なので)といういつも以上の盛り上がりもあったようです。

お正月には初詣も、三社詣りし、その後えべっさんも二社詣りという、なんでもかんでも神頼みみたいな私ですが、平成最後の年がとにかく穏やかな1年であることを祈るばかりです。

 

皆さんの1年もどうか幸せな1年になりますように。

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遠隔介護ブログ(第13回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

遠隔介護ブログも昨年、定期的に書かせていただき、今回で13回目となりました。
読んでくださってる皆様、本当にありがとうございます。

私は、医療も介護もプロの知識がありません。
弟は社会福祉士の有資格者ですし、実際、福祉施設で勤務させていただいたあと、自身でNPO法人を立ち上げ福祉施設を運営していますので、祖父母や父の生活の件で相談できる相手が身近にいるのはありがたいことだと思います。

だからこそ、弊社に登録いただいている看護師さんもそこまで親しいご親族じゃなくてもどの親族のかたより、率先してご親族の介護をされているかたなので、仕事のペースを落とさないといけなくなったという方のお話をよくうかがいます。

お身内の間でも看護師さんが親族の中にいると心強くてついつい頼りに、という気持ちもわかります。

 

私は特に妄想は好きなんですが、想像力が乏しくて自分が経験したこと以外に物事を想像して臨機応変に動くことが出来ないのです。

なので、母が闘病したり、義母の身体の疲れや父や祖父母の身体が不自由になり始めたことに寄り添うなかで、自分たちが良かれと思ってることが高齢者さんにはしんどいと思うことがあることを、1日一緒に過ごすだけで何回も感じます。

例えばトイレ。
祖父母を施設から外出させ親戚の家などに日帰りで一緒に行ったりすることもありますが、もちろん道中、疲れないか、なにか身体の異常は起きてないかなども気にはなりますが、
最初のうち「トイレに戸惑っている」ということに気付かずに、祖母の場合はトイレまで私がついていけるので、祖母のトイレの個室から「流し方がわからへん」と困ってる声が聞こえてきてオシャレなお店のトイレや、ショッピングセンターのトイレなど、ウォシュレットだとボタンもたくさんあるし、レバーに「これでは流さないでください」と書いてあるしで、たしかに戸惑うやろうなぁというのを、そのとき初めて気づいたのです。

祖父は祖父で九十歳超えても最初は足腰元気だったので外出先でも、私たちがついていかずとも一人でトイレ行くと、女子トイレに入ってしまって、次のお客さんをびっくりさせてたりもしました。

それもそれで、お店によって、男女で1つのトイレしかないとこ、男女別々のとこ、あまりにオシャレな男女別の描き方で、自分たちでも「これ、どっちが女トイレやろ?」と思うこともあるので、目も悪くなってきたり英語が読めなかったりする高齢者が間違うのは当然のこと。

それはお店が悪いのではなく、同伴者の私がトイレに対してその想像力がなかったのが1番浅はかだったのです。
結果的に、祖母も祖父もお店の人やまわりの人に謝ったり、情けなそうな顔をしてしょんぼりしていて、ちょっと切なくなりました。

ほかにも、他府県へのおでかけやイベントなど、親の世代でも楽しめるようなものを見ると良かれと思い「せっかくだから一緒に行こう」
この言葉はよく義母や父にも言う「良かれと思って」の言葉ですが、「遠いとこはしんどい」「人が多いのはしんどい」と返事が返ってくることが増えました。

母が闘病中もできるだけいろんなとこに連れ出して、楽しい思いをしてほしくて命が亡くなるまであと3ヶ月という頃に、兵庫県から三重県まで片道5時間位を車の中で過ごしていたこと、
足に水もたまってしまい、ほんとにしんどかったと思うのに、子供たちの想いを無にしまいと旅行中は寝てしまうこともなく、よっぽどじゃない限りは一緒に観光地を歩いたり温泉に入ったりしていて、あの1泊2日、ほんとは家でみんなでゆっくりが1番良かったんだろうなぁと、今となっては思い悔やまれる旅行もありました。

だからこそ、元気なうちにいろんなとこへと、先日もある大型施設のイルミネーションを見ようと父に伝えましたが、あまり気乗りしていなく、
結局は近所のとってもささやかですが数分あれば楽しめるイルミネーションを見に行き「これでじゅうぶんや」と1、2分行った後、「もう寒いから中に入ろう」とすぐ帰りたそうにしてました。

イルミネーションといえば夜なので、夜の寒い中イルミネーションを長い時間見ているよりも自宅でゆっくりお風呂につかり、早目に布団に入るのが何よりの幸せ

日本昔ばなしのエンディングソング「人間ていいな」を思い出す一幕です。

父が免許更新で、反射神経試験不合格でクルマの免許を取り上げられてから約1年、平日の父の用事に付き添いくださる介護運転手さんとは淡路島や出石など、遠出も付き添っていただいてるようですが、
平日だと人も少ないし、運転手さんということで仕事で付き添ってくださってるかただからこそ、父も自分の体調に合わせ自分の要望が言いやすく、私と出歩くよりも身体が楽なのだとも思います。

いつかきっと今の義母、父、祖父母の気持ちを実感する日が私にもくることでしょう。

相手のためにも、自分がしんどいことはしんどいと言えるようにしないといけないなぁと思いました。

お正月の初詣も数年前から父はもうしんどいから自分のぶんまでお参りしてきてと言って、家で留守番するようになりました。

神社はバリアフリーじゃないところが多いので、それも当たり前の言動なんだと思います。

寄り添うものの自己満足にならないようなお年寄りとの関係を築いていかないといけないなぁと実感してます。

 

今年もこのブログは続けさせていただきたいと思います。

看護師でも介護士でもない私の素人ながらの高齢者との向き合い方、
これが一般人の戸惑い、そしてそこから学んでいる現実を少しでも感じていただけるとありがたいです。

今年も、仕事と遠隔介護の生活を、前向きに学び、元気に生きていきたいと思います!

(とは言いつつ、年末はお正月準備のため、父が、自分で動けないのにあれやこれや思いついたことを、毎日毎日同じことをあーだこーだ、、、電話があり、墓参りの花をどうする、数の子どこで買うなど、仕事終わりに留守電を聞くと、ちょっと心がしんどくなるような留守電がだいたい日々、3回以上は入っててけっこう疲れたなぁと思ったのも本音です。。まぁ、毎年なんですが。)

皆様、2019年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

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対人コミュニケーション⑤ ~看護師*古上の学び~

<<無理 ダメ 絶対>>


こんにちは、古上です。コミュニケーションについてのブログを初めて5回目になります。

会社の公式ブログなのでいつも真面目な内容を心がけておりますが、もしどこかでこのブログを読んでくださっている方がいるのならと、すこし自身の話しを混じえて書いてみます。

コミュニケーションを学んでいるのは、もちろん今看護師の方々のご転職に携わっているので、色んな方々の思いやご希望をゆがむことなく訊き、良いご提案ができるようにと続けているのですが、始めたきっかけは私の母との関係性からでした。昔からどうも、、母と意見を話し合うと自分が疲れていました。

母はとても楽観的で直感的で前向きなタイプ、仕事をもっており自立しているので自分の意見や価値観もしっかりもっているひとでした。(看護師ではないです。)

私はどちらかというと、じっくり考えてひとつひとつ丁寧にしたいタイプ。少々ゆったりさんなので、母とはまったくペースがあわず時には頭が混乱することもありました。※会社の皆様、ゆったりさん・・これ本当なんですよ。笑

昔の私は、親だから分かち合うのが親子のあり方だと無意識に思い込んでいましたし、それが正しい親子のあり方だと勝手に何の根拠もなく自分に刷り込んでいました。

なので、母を全部理解し受け入れようと努力というか、我慢や妥協し無理していました。母親、産んだ人は特別ですものね。他人ならそんな人もいるよね・・で終わりますが、そうは簡単に割り切れませんでした。

ですが、人を理解する、対人関係、コミュニケーション、心理についてセミナーを受講したり勉強をするようになって、親子であっても「違う人間・タイプが違う」から別にしっくりこなくてもいいものだと知りました。そして自分の見方を変え、相手を理解するために知識を増やし彼女への関わり方を変える(声かけや彼女に響きやすい単語を取り入れるなど)と、母に対して長年もっていたフラストレーションがなくなりました。

親でも距離感が近くなければいけないわけでもないですよね。いまは互いに心地良い距離で共存する感覚でいます。

それに、一番問題だったのが、これが“あるべき姿”だと思い込んでいたこと。誰もそうしてくれとリクエストされた訳ではないのに、自分が勝手につくったルールに自分を勝手に縛って、自分で自分を苦しめていたことです。

今はそんなことなどを払拭し、自由に、そして自己接待!(楽に優しくしてあげる)を大事にするようしていると、とても心地良い状態で過ごせる様になりました。

 

私もいまや3歳の男の子の母親となり、ちょうど母3年生です。

“矛盾のない自分”でいる私の息子との会話もすこし面白いですよ。笑

19時に保育所から連れ帰り、急ぎばやにご飯を作ってるいる横であれやこれや用事を増やす息子に怒った私に・・

3歳児:「お母さん、ニコっとして」

私:「お母さん怒っているから、いまはちょっと笑えないわ」

3歳児:「じゃあゆっくりしていいからね、ごみ収集車(=youtube)つけて!」

私:テレビでyoutubeを起動

3歳児:ルンルンで自分で操作し観る3歳児。満足。

互いに要望を言う、でも受容もする、母だからと一方が聞くのではなく1対1。

昔なら健気な3歳児には笑顔でこたえるべき!表面的に無理して笑っていたと思います。

でもすこしの無理で、ストレスポイントをためて後々爆発するより、こちらの状況を落ち着いて伝え、ちいさな無理もしない、なるべくニュートラルな気分でいるようにしています。

子供にとってはどんなに長い時間を共に過ごすより、たとえ忙しくて1分しか会えなかったとしても、母親が穏やかな顔でいることの方が大事なんだそうです。そうして互いに本当の意味での心地良い信頼関係がつくれたらと思っています。

麻薬撲滅の広告ではないですが、「無理 ダメ 絶対」だそうです。

この拙いブログをどこかでご覧いただいている方々、看護師としても母としても諸先輩方には、なんだという内容で大変恐縮ですが、もしなにかご意見やアドバイスなどあれば、弊社までご連絡いただけますと幸いです。お仕事のお話しだけでなく色々お聞かせください。もちろん若いピチピチナースのみなさまも是非、なにか話したいことがあれば大歓迎です!!

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