なべめぐのドすっぴんブログ(第11回)

こんにちは、コーディネーターの渡邉です。

梅が咲き始めましたね。

私は冬より夏のほうが好きなので早く暖かくなることを祈りながら生きてますが、今年は、電気代の高さに失神しそうになり(笑)そういう意味でも早く暖かくなって、暖房器具なしで過ごしたいと心より願います。

2月は、一昨年は父の死、昨年は義母の死があり、どちらも、予想もしてなかった突然の出来事だったので、2月というだけで心がチクチクしますし、父の3回忌、義母の1回忌と、けっこうバタバタしてますが、父が生きていた頃も2月は、実家は兵庫県の山間で、しかも田舎の一軒家なので、極寒で、水道管は破裂するわ、電気代が今ほど値上がりしてないのに10万超えるわ、ほんとにヒヤヒヤした想い出ばかりです。

都会で暮らしながら、「田舎に高齢のご家族がおられる方々は、みんな冬は、気が気じゃないだろうなぁ」と想像しています。

そういう心配から解放された私は、おかげで、自分の心配事の大半を占めてた父が亡くなったことで、生活のなにかしらが色々かわったのか、この2年で、8kg太りました。

これはこれで自分の身長、154cmを考えると心配しないといけない事態もしれません。

年齢的にも、遺伝的にも、更年期の様々な症状や、糖尿病、高血圧なども心配しないといけない血筋にあるので、会社でも看護師でもある顧問の楠本に相談したり、医学にまつわるTV番組を観たり、ムリせず続けられる健康法を試したり、おかしいと感じたらすぐにかかりつけ医に相談したりはしてます。

が、私は「めぐみ」という名前だけあってめぐまれてるなぁと感じるのが、今の仕事の役得です。

毎日看護師さんと話せます。

ときには、仕事として、看護師の講師やドクターの講師に依頼してセミナーを開催いただき、毎回最新の医療や医療現場、福祉介護の現場の情報を学ぶことが出来ます。

母がステージ4の肺癌と言われたときに、この仕事が出来ていたなら、もっと違うアプローチを母に出来たのにと、後悔してもしょうがないことを悔やむくらい、仕事をしながら日々学ばせていただいてます。

先日は循環器のドクターと泌尿器のドクターから、最新の医療情報、ビッグデータも用いた内容のご講義をいただき、私も会場で学ばせて頂き、自分がどのタイプでどういうときに病気に気をつけたらいいかなども考えながら学ぶことが出来たとともに、看護師さんたちが、もちろん、この日だけではなく、日々いろんな勉強をされていて、仕事や生活に生かされていることも、ご感想をいただくなかでお聞きすることができ、そこからまた自分も学ばせていただきました。

どんなことでもそうですが、分野問わず、勉強を続けることに得はあっても損はないとあらためて感じました。

そして、私にいろんなことを教えてくださる、看護師さんたちが皆さん共通しているのが、前向きであること。

ストレスをうまくリフレッシュして、向き合う相手に元気を与え「また話したい」と思わせてくださるかたであること、が、本当に感動で、この会社で、この仕事をしてなかったらお会い出来てないご縁に、本当に感謝するばかりです。

子育て、介護、ご自身の病気、職場でのこと、悩みのない人なんていなくて、それでも、発散できることがあったり、話せる人がいたり、それを、学びにどう変えれるかでお顔のツヤ、肌の輝きまで変わるんだなぁと思ったりします。

それは決して、美人とか美魔女とかそういうことではなく、この人に話を聞いてみたい、この人と話したい、この人「に」話したい、この人「に」聞きたいという魅力だと想います。

人気過ぎる映画はあまり観ない私なのに「レジェンド&バタフライ」は観ました。
戦国時代ではなく織田信長と濃姫の夫婦を描いた映画でした。

濃姫はまさしく、そういう女性でした。

常に前向きでした。
後ろ向きな部分も垣間見れましたが、それこそが人間味であり、まっとうすぎなくて、尊敬されると感じる女性でした。

もちろん、事実をもとにしながらのフィクションではありますが、濃姫をより好きになる内容でした。

私は昔から片頭痛持ちです。

朝、頭痛があると、鎮痛剤を飲み少し寝てから、学生時代は休まず学校に行き、小中高と、インフルエンザ以外では休まず皆勤賞でした(今は皆勤賞てないんですよね)

会社でも「私が休んでる日になにか面白いことがあったらどうしよ」と変な理由で(これは学生時代もそう思ってました)休めません。

現に、うちの会社はほんとに人間関係もよく、面白い人たちばかりで、1日に何度も爆笑の場面が各セクションであります。

先日も、朝、片頭痛でロキソニンを飲み、多めに寝て、間に合うように会社に行きました、

仕事して、また先輩や後輩と話して笑ってる間に頭痛はとんでました。

会社に行ってよかったと想いました。

リモートで仕事ができる時代でも、医療や介護に関わる方々は出勤が必要ですし、それを一端でも支えさせて頂いている私達も、もちろんリモートなく出勤してます。

それをプラスなことと考えられるのがこの会社にくることで味わえる温かさなのかもしれません。

話すこと、笑うこと、聞くこと、学ぶこと を大切に、更年期も元気に楽しく、そして悩みも次への勉強に変えて乗り切っていきたいです。

数年後、後輩に更年期の乗り切り方を相談されたら、なんでも答えられるようになりたいなって想います。

※梅の撮影は主人が西宮市内で撮影したものです。

もう春がきてますね♪


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なべめぐのドすっぴんブログ(第10回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

2023年がスタートして早いものでもう半月以上が過ぎてしまいました。

新年から、淀川に漂流してきた淀ちゃん(クジラ)のニュース。
名付けられた後、亡くなってしまって心がよけいに傷みましたが、次は淀ちゃんのご遺体をどうするかで、大阪市が色々模索しているニュースを観て、主人と昨年に観た「大怪獣のあとしまつ」という映画を想い出し、こういうことって、本当にあるんやなぁと会話をいたしました。

昨年は予期していなかった義母の死から始まり、それこそあっという間すぎる一年でした。

そんな中でも沢山の映画を観て、沢山の本を読みました。
withコロナの時代にもなったので、久々の友人たちにも沢山会い、3年ぶりに東京にも旅しました。

私の東京の目的は、東京のお友達、知人に会うこと、野球オタクの主人は神宮大会観戦が目的でしたが、1日だけ、夫婦で「葛飾区柴又」に出かけました。

目的はもちろん、私達夫婦が大好きな「寅さん」に会うこと。

50年続いた映画、男はつらいよシリーズの寅さんです。

もちろん亡くなられてますので、ほんものには会えませんが、寅さんの記念館、山田洋次監督の記念館もありますので、そちらに行ったり、柴又の町並みを歩き、寅さんゆかりのお店で飲食したり、帝釈天へお参りしたり、細川たかしさんの歌でも有名な(平成世代には伝わらないかもですが)矢切の渡しに乗ったりしました。

柴又に行くのも3年ぶりです。

正直、寅さんの魅力にとりつかれたのは、寅さんが亡くなってから、というよりも50作目の、おかえり寅さんという映画を観てからです。

存在は知ってましたし、ここ15年位の山田洋次監督の映画はほぼ全部観てましたので気になってましたが、なにか古臭い気がして、あえて観ようとはしてませんでした。

ただ、吉岡秀隆さんがその50作目は主演であることと、なによりファンクラブまで入ってるサザンオールスターズの桑田佳祐さんが主題歌を歌うということで観ました。

で、寅さんのとりこになり、一度柴又へ。

そこからコロナ禍。
BSテレビ東京で毎週土曜、全作を一年かけて放映してくれたので、全部観て、翌年また全作をもう一度放映してくれたので、また全部観ました。

寅さん、そして登場人物のみなさんが教えてくれること。

いろんな魅力はありますが「ご縁は大事」ということをとてもとても学びます。
自分のしたことは自分にかえってくる、それも学びます。

いろんなセリフが忘れられませんが「人はなんのために生きてるか」と甥っ子に質問された寅さんが「生きてて良かったなぁていう日がたまにあるだろう、その日のために生きてるんじゃないかな」て返した場面はほんとに胸にささり、どんなにしんどくても生きてて良かったていう日は絶対あるから、それを信じて生きよう、しんどいときは寅さんの言葉を思い出そうと、寅さんの名言集の日めくりカレンダーまで今回は買ってしまいました。

 

最近は古き良き人を知る、ことにけっこう時間を費やしてます。

良き人、という言葉には語弊があるかもしれませんが、やはり、歴史に名を残した人には、良くも悪くも何かしらの理由があり、歴史的に意味のあることをされていると感じ、わたしの興味のある人が、これもまた運良く、私の大好きな瀬戸内寂聴さんが小説にされているので「伊藤野枝」さんと「岡本かの子」さんについての小説をたて続けに読みました。

こういった女性たちに興味をもつことになったのは弊社の顧問楠本と、昨年亡くなった義母の、影響が大きいです。二人共、私の知らない日本のこと、世界のこと、歴史をたくさん教えてくれます。
皇室のこと、歌舞伎の世界、女性活動家、様々な歴史上の人物、聞いたことのない名前の方々まで、幅広い知識で、お話聞けるのでほんとに勉強になるし楽しいのです。
母よりも一世代上の義母や楠本に出会えて、身近でふんだんにお話が聞けることは、私の人生にとっても大きな財産です。

その中で、私自身は、そこそこ封建的と言いますか、さだまさしさんの関白宣言のような、妻は旦那より先に起きる、お風呂はあとに入る、寝るのも旦那より後、という自分のなかでの決まりがあり、(幼い頃からそういう母を見てきたのでですが)、それ以外にももちろん仕事でも、自分の「ねばならない」に支配された頭で生きてきていて、それを捨てれば楽になるのに、自分のその古い考えだけで、勝手に疲れてしまってることが多いなぁというのは、人からも言われるし、自分でも感じてました。
完全な完璧主義者ではないからこそ、余計にジタバタすることも多く。

伊藤野枝さんや岡本かの子さんは大正時代、昭和初期ではまさしく浮いた人たちだと思いますし、当時の女性の「ねばならない」には一つも当てはまってない人生だと思います。

特に、岡本かの子さんは、あの太陽の塔で知られる、岡本太郎さんのお母さんなのですが、岡本かの子さんを知ると、「岡本太郎さんはまだまだ常識人」と思わせるくらいの破天荒な人生を歩まれ、破天荒な性格をされていたことが小説からもわかります。
そして、魅力的なのです。

でも、本人の中には芯があり、情があり、たくさんまわりに迷惑をかけても、恩はちゃんと返す情もあり、自分のだめな部分も理解し、きちんと人を頼れる、どこかしら寅さんに似ているので、小説を読めば読むほど、岡本かの子さんをもっと知りたくなりました。

日々葛藤しながら生き、自分の欠点も理解する年齢になり、でも、そこをあらためることももう苦痛になるので、(たとえば私なら、ねばならないをやめねばならないと思うことがまた苦痛)これはもう、この性格に付き合いながら人に迷惑かけても、ちゃんと謝れたり、恩を返せるように心がけて生きていくことを大切にしたらいいよね、と、私が愛する破天荒な人たちが教えてくれている気がします。

「子供は産んでおくべきだった」と、ときどき考えることがあります。
欲しかったといえば、やはり欲しかった、ですね。

私には4人の姪がいます。
もう、主人側の姪2人にはそれぞれ、娘もいて、いわゆる姪孫という存在までいる私です。

姪や姪孫たちのことがこんなにかわいいなら、きっと自分の子供ならどんなにかわいかっただろうとも思います。

でも、同じ思いがいる人に出会ったときに同じ目線で話せて、私にしか打ち明けられないようなドロドロした感情を話してもらえることもなんだか特権だと感じてしまってます。

両家の親とも亡くなり、お正月に、それぞれの実家には帰るものの、言えばもう「帰らないといけない実家」ではなくなったのもたしかです。

ただ、そんな姪、姪孫、全員に会える(そして、2人の姪がもう既婚なので、いわゆる義甥にまで会えます)のはとっても幸せなお正月。

今年は初めて、まだ子供の方の姪2人がうちに泊まってくれました。

その長女のほうは、私や亡き母(姪からみれば祖母)と同じ辰年。

生まれたときから人懐っこく、そして10歳になった今は、おばバカながら「むちゃくちゃ賢いんちゃうか」と思わせてくれます。

そんな長女が今年、私に、はっとさせてくれた言葉をひとつ。

私の弟(その姪からすれば父親)がもう40歳を超え、加齢臭なのかおじさん臭なのかを気にし始め、私の主人が使っている、柿渋ボディソープに興味を持っていたので、本人がいないところで姪に、「お父さん臭い?」て聞いたら「お父さんは臭くないよ、ただ、私の鼻が敏感になってきてん。香水とかもあかんし、臭いものを感じやすくなってしまった」てさらっと答えたんです。

きっと、お父さんのおじさん臭も感じるときがあるけど、お父さんが臭いんじゃなく、自分の鼻が敏感になっただけと言いたい可愛さ。

おばバカですが、ほんまに賢いし、ええ子に育ってるなぁ、きっと学校でも、お友達と楽しく過ごせてるんやろなぁと思いました。

でも、どんな子でも、悩む日もくるし、人とうまくいかないときも出てくると思います。
そんなとき彼女たちの母世代より一世代上になる伯母の私にも、相談したいなと思ってくれるような存在になれたらなと思います。

私が義母や顧問の楠本にそうしてきたように。

2023年初のブログも長くなってしまいました。

今年もいろんなことがあると思います。

去年を振り返れば、義母が亡くなった2月の辛さと、自分が右耳前にできたしこり手術&入院した4月の大変さが心に残り、激動の1年でした。

乗り越える度に、経験値があがりますが辛さが軽くなることはありません。

でも、いろんな人の立場にたって、一緒に考えられる人間にはなっていってると、勝手に自負しています。

看護師さんとお話すると、よく、患者さんに寄り添う看護がしたいと、心から言われるかたが多いです。

私も微力ながら、お仕事を相談してくださる看護師さんをはじめ、医療職の皆さんの心やお立場に寄り添い、なんでも相談しやすいと思っていただけるコーディネーターになっていきたいと心より願う年頭です。

今年もよろしくお願い致します。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第9回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

すっかり涼しくなってきましたね。
芸術の秋、食欲の秋、読書の秋、いろいろ秋は適した季節と言われますが、私は寒いのが苦手なので、いつ本格的に寒くなるかとビクビクする季節、そして、田舎のやたら部屋が沢山ある家屋で育った私は、結婚して町でマンション住まいになってから衣替えという行事をすることになり(田舎は箪笥や衣紋掛けも含めどこでも置けたので年中全部の服がすぐ出せるので。。)色々億劫になる季節の変わり目、秋、冬への入り口です。

父の1周忌も終わり、いよいよ空き家問題が本格的になるなかで、大量の蜂の巣発生問題にも悩まされてます。

施設にいる祖母の家も空き家になって17年近く、祖母が元気でいてくれるうちは現存保護したかったけど、そろそろそれも限界かもしれないなど、休日に体を休めてても「こんなことしてていいんかな、ほんとは空き家問題考えないといけないのに」と罪悪感にかられます。

故郷の友人たちとは、集まれば自分たち世代で墓じまいもどうするかなどの話になります。

家もお墓も先祖がお金を貯めて買ってくれた大切な大切な宝物なのに、しまわないといけない悩みなんて悲しくて切ないですがそれが現実ですね。

そんな現実から逃避ということで20年ぶりくらいに1人で映画を観ました。

主人も映画好きなので、ほとんど主人と行きますが、女子同士で観たいものは、友達誘ってというのがいつもの私ですが、どうしてもこれは、誰かを誘う前にもう、チケット予約したい! と席をおさえた映画「スペンサーダイアナの決意」。

子供の頃からの憧れもあれば同情、悲しみいろんなものが渦巻く想いがあるダイアナ妃のある3日間だけを描いた映画です。

そもそも、以前「英国王のスピーチ」という映画を観て、子供の頃のエリザベス女王も描かれていて、国王家も大変なんだなぁとぼやっと思ってましたが、先日エリザベス女王がお亡くなりになったときに、昨年のクリスマスのときのスピーチ、
「多くの人々にとってクリスマスは喜びと幸せに満ちた時期ですが、大切な人を亡くした人々にとっては辛い時かもしれません。今年は特に、その理由がよくわかります」
の言葉が再度流れていて、沢山のお子さん、お孫さん、ひ孫さん、国民の皆さん、お付きの方々に囲まれている女王も、愛する人を亡くしたときに、このような想いになられるんだなぁととても親しみがわいたのですが、
ダイアナ妃が、人生において重要な決意をしたある年のクリスマスについてエリザベス女王はどんな風にみておられたのかなと、そういうことも気になって観た映画でした。

結局、ダイアナ妃の目線なのでエリザベス女王のお気持ちは知り得ない内容でしたが、フィリップ殿下を亡くされたときのクリスマスでエリザベス女王はきっとダイアナ妃のこのときの思いも理解されたのではないかなと感じます。

自分も、子供の頃はクリスマスは家族で過ごしていたのにもちろん、大学に通うようになった頃からはクリスマス、いや誕生日も含めて家にいることはありませんでした。

母が末期がんとわかって急に家族と過ごすようになりました。

そして祖父母も両親も主人の親も亡くした今、子どもがいない私達夫婦はほんとに自分たちだけのクリスマス、自分たちだけのお正月がやってきます。

両家とも弟妹家族、親族もありがたいことに仲良しなので、コロナ禍とはいえ、ご挨拶や行き来はするでしょうが、大切な人を亡くしてからの家族的な行事ごとが、どれだけ寂しいものか、、

エリザベス女王があらためて感じられ言葉にされたことで自分も再認識できた次第です。

当たり前のようにやってくるいろんな行事や記念日が世界中の全員にとって楽しく幸せなものじゃないことも理解したうえで、思いやりや配慮のある言動、お祝いをしていきたいし、そうあるべきなのかもしれないなとあらためて思いました。

でも、いつかだれにでもおとずれるその寂しく切ない時間のときのためにも、楽しい時は思い切り楽しんで幸せを記録、記憶しておくということも大切なんでしょうね\⁠(⁠^⁠-⁠^⁠ ⁠)

今年のクリスマスが戦争のない世の中になって迎えられるように、ただ祈るしかないのが無力ですが、祈ります。

スペンサーダイアナの決意、ジェンダーレスの世の中ではありますがやっぱり女性におすすめの映画です。
ダイアナ妃を演じられた女優さんがダイアナ妃の表情、姿勢まで完璧に、降臨したかのようになりきっておられます。その点も、ダイアナ妃と同じ時代を生きた皆様に、観ていただきたいです。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第8回)

夏の甲子園。
通常どおり、入場制限無しで観客を入れての開催が3年ぶりとなりました。ブラスバンドによる応援も復活。ただ、ブラスバンドの人数は制限されているという状況ではありました。


こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

私は幼い頃から、野球好きの家族に育てられましたが、結婚した相手が、無類の野球好き。なので、プロ・アマ問わずいろんな野球を観ます。
全部付き合うわけではありませんが影響をうけて、高校野球は、独身時代よりもハマりまくってます。

夏は、何度も熱中症になり、試合を観れず、球場でひたすら、冷えピタ貼って寝るみたいなことも毎年やりながらもそれでも観たくて、夏の大会も、春の大会も、毎年1回ずつは必ず行ってます。
なのでコロナ禍、観客数制限があるなかでもなんとかチケットを手に入れて観戦はしてましたがやはりこの満員の状況での熱気や興奮は、3年ぶりだなぁと会場に着いた段階で感動しておりました。

毎年ドラマがあります。
ドラマは書ききれないほどあります。
今年は、「優勝旗が白河の関を超えた」が、野球ファンではないかたにも響き渡るほど、ニュースにもなりました。
以前から、ユニフォームの雰囲気と選手の個性が毎年好きで、
そして、前任の監督さんも好きで応援してきた「仙台育英高校」が東北勢初の優勝旗を手に入れるという感動で私も大会が終わり1週間以上がたっても興奮しておりますが、この優勝でもうひとつ、何回も報道番組で流され、ネットニュースにもなり感動をよんでるのが「青春は密です」という仙台育英の監督さんが、優勝監督インタビューで述べられた言葉。
たしかに、青春は密で、仲間との日々は濃くて、それが全部、禁じられてお互いの顔すらマスクで隠されてという毎日は大人の「密禁止」よりも、どれだけの影響があり、寂しいものだったか想像すると、自分が体験したコロナ禍の不自由さなんて、ちっぽけなものだったなあと感じました。

仙台育英高校の監督さんの言葉は其れ以外にも本当に心に残る、そして、聴いてる人、すべてのかたの心を撃つ内容でした。
自分以外の、家族以外の誰かを、部員さん、部員さんをとおしての世界中の学生さんのことを真剣に考え大切に考えてらっしゃるからこそ、自ずと出てくる言葉なんだと思いました。

しんどいときだからこそ、自分以外のまわりのことを思いやる気持ちってとっても大事だけどなかなか実践できません。

だからこそ、この人すごいなぁ、尊敬するなぁという人に出会ったりこのように実際にお会いしなくても報道で知ったり、本を読んだり、なんらかのかたちで知ったことを誰かに話したり日記に記録したりこのようにブログに書かせていただくと、自分の中で再認識できて、見習いたいという気持ちが重ねて確認できるので、インプットしたことをアウトプットすることの大切さも、改めて感じました。

私は自他ともに認めるミーハーです。
なので、なんとなく、いろんなことを浅く知識として仕入れます。
浅いので時々、とんでもない勘違いをしていることもありますが、
それでも、ちょっとした情報からも助けられることは多々あります。

落ち込んだときもそうかもしれません。
めちゃくちゃ悔しいことがあったときによく思い出すもの。

それこそ、夏の甲子園であとちょっとのところで負けて、相手チームの校歌が流れている横で号泣している敗戦チームのメンバーが夜の熱闘甲子園(ABCテレビの夏の甲子園期間中だけやっている、その日の甲子園の高校野球の戦いをまとめた番組です)で映される宿舎でみんなで爆笑したり、もりもり食堂のご飯を食べてるというような場面です。

「一緒に笑いあえる人がいたら大丈夫、いや、今は一人ぼっちでもご飯が食べれたら大丈夫、生きてたらなんとかなる」と、思えるのです。

母が末期がんで闘病中にその当時のトップアーティスト、ZARDの坂井泉水さんが同じく癌の闘病中で入院されてる病院で、ご自身一人でおられるときに事故で亡くなられました。
衝撃的なニュースでしたが、母は「事故じゃなく自死されたんじゃないかな」とポツリと言いました。本当に不幸な事故だったんだと思うのですが、同じ闘病中の母からそのような言葉が漏れると「母もそのくらい心がしんどいんだな」と改めて気づき、いまだに忘れられない言葉で、思い出すと胸が苦しくなります。

どんな言葉をかければよかったのかいまだに正解はわかりません。
正解なんてないのだと思います。

でもそんなときこそ、例えば珈琲でもいいし、なにか同じものを食べて、飲んで美味しいね、と、笑顔で言えたら今を生きてることを一緒に感じれたら少しは痛いだけの想い出にならないのかなとも思います。

いつも、大切なことを教えてくれる夏の甲子園。
大会が終わると、一気に秋を感じますが、高校球児は次の世代がもう、秋の大会を闘ってます。

来年こそ、PCR検査なしで、選手のみなさんがノビノビと試合にのぞめ、ブラバンのみなさんも、定員制限無しで迫力ある演奏をコロナ禍前みたいにしていただけるような世の中になっていることを望むばかりです。

密な青春が復活しますように、願いをこめて。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第7回)

こんにちは
コーディネーターの渡邉です。

期待とは裏腹に、またコロナがはびこりはじめました。
去年、『来年の夏こそは』と思っていた、いろんな楽しみが、また消されていきますが、本当にwithコロナをどう考えていくか、国によっても、人によっても考えが違い、自分と違う考えもどう受け入れていくかということでも日々考えることが多くなりました。

そんな中、飛沫感染の心配のない楽しみ、2つのイベントで、感じたことを今日は書かせていただきたいです。

まず、私は、『マスターズ甲子園』という、元高校球児さんたちが、母校で集まり、都道府県別にトーナメントで野球の試合をし、各都道府県で優勝した高校が秋に甲子園球場で闘うという、神戸大学の教授や学生さんやOB・OGさんが中心となり、其れ以外の学生さん、一般ボランティアの方々など、全国で関わられている方が沢山おられる、もう15年以上続いていて、
あの『とんび』など沢山の名作を書かれた重松清さんが、マスターズ甲子園を題材に書かれた小説が、中井貴一さん主演で映画化されたり、
大会のテーマソングは浜田省吾さんが歌ってくださってたり、名誉会長は星野仙一さんだったりと、
今や『秋の甲子園』と言われるなかなか有名な大会に、ちょびっとだけ関わらせていただいてまして、

というのも、主人がカメラ好き、今やカメラで生きてるくらいの人で、
マスターズ甲子園には、長年、撮影ボランティアとして参加させていただいているので(永年ボランティア表彰までいただいたくらいです)
甲子園球場での本大会には観客で行ったりもしてたんですが、
其れ以外に、県外から、ボランティアで参加される方に、うちの家に泊まっていただいたり、
私自身も、ひょんなきっかけから奈良県大会のアナウンスやヒーローインタビューをさせていただいたりなど、
マスターズ甲子園に出会えて無かったら出来てなかったような体験をさせていただきました。

コロナ禍で、観戦もボランティアも行けてませんでしたが、久しぶりに先日、奈良県大会の準決勝、決勝を観戦に行きましたら、当日、事務局のかたに、『ヒーローインタビューしてほしい』と頼まれ、覚悟してなかったので、かなりの緊張のなか、ですが、楽しくヒーローさんにインタビューさせていただきました。

そのときに、ある大会ボランティアのかたから聞いたお話しがとても心に残りました。

そのかたは55歳で、ご自身も、選手として、マスターズ甲子園に参加されてます。

自分がこの大会に出続ける意味について
○本気でもう一回甲子園が目指せる
○職場では誰にも怒られることもなくなった自分が怒られたりする
○歳上の先輩から、「お前なんかまだ若いんやぞ」と言われる
○数十年ぶりに呼び捨てで呼ばれる
○もう一度真剣に野球をやるようになって、娘たちからかっこいいと言われるようになった
など、
本当に青春を取り戻し、仕事以外で全力に取り組めることに出会い、また仲間と一致団結し、一喜一憂し、その姿を、子どもたちに見せれるという幸せ、年長者からまだまだ学び、叱咤激励していただくことに喜びを感じるという感覚、
お聞きしていて、娘さんが「お父さんかっこいい」と言われるの、わかるなぁと思いました。

私も久々のヒーローインタビュー担当、うまく質問が思い浮かばなかったり、ボランティアの神戸大学のOGさんが言われていた「主役は選手の皆さん」ということを忘れてしまっていた自分勝手なインタビュー内容を反省することも多々あったので、
「仕事以外で、反省して次にむけた勉強をすること」って、最近なくなったなぁと思うと、本当に貴重な体験をさせていただけているなぁと、関係者の皆様に感謝感謝です。

そしてもうひとつ。
今回「スカイ」という、70歳前後のアーティストさんが4人集まられてデビューされたバンドさんのライブに行きました。

お目当てはそのメンバーの中の1人、『松任谷正隆』さんです。そうです、松任谷由実さんの旦那様です。

10歳くらいからユーミンファンのわたし。
ただ、私が知った頃には、もう松任谷由実さんでした。だからこそ、松任谷正隆さんのことも好きになりました。
名曲『春よ来い、』はもちろん、ユーミンの歌声、歌詞、曲、すべてが最高ですが、なによりイントロの正隆さんの編曲のピアノの旋律が素晴らしいと思い、余計に正隆さんの音楽の魅力を感じたものです。

そんな松任谷正隆さんが舞台に出られる方のライブ。
コロナ禍中に活動を本格化されただけあり、歌詞の内容も、コロナ禍ならではのものが多かったですが、デビューライブということでゲストも、松任谷由実さん、奥田民生さん、スカイのメンバー内にご主人がおられる尾崎亜美さんと、むちゃくちゃ豪華でそれもまた感動でしたが、なにより私の心を撃ったのは、
『65歳を超えてから、大御所になってから、新しいバンドでデビューする』という、
メンバー4名の皆さん、それぞれ地位も確立されているのに新しいことを始められたチャレンジ精神と、向上心です。

何歳からでも、やりたいことは始められる
何歳からでも、失敗できる、成功できる
これってすごい強さだなぁと思いました。

マスターズ甲子園も、このスカイのライブも、昭和生まれが頑張ってるんですよね〜
もちろん私も昭和生まれ、令和の時代に頭がついていかなくなってますが、
「若い人にはかなわない」
ではなく、年齢ではなく、
自分がいま頑張りたいことを、やりたいことをやる力は、
年齢は関係ないんだなぁと思います。
そういえば、亡き父も、65歳で高齢者大学に入学し、
大学院まで行って卒業するまでは死ねないと言っていて
大学院の卒業式にも私は同席させていただいて、父の勇姿を見届けたときは
かっこいいなと思ったものでした。
あの日、一番におめでとうと言ってあげられたこと、今でも誇りに思います。

大好きな瀬戸内寂聴先生が、亡くなられる直前まで恋愛相談にものられていたように。
輝いているかたのまわりには、今をしっかり生きてる方のまわりには、年齢ではなく、そのかたの魅力で人は集まってくる、それを肝に銘じ、
たしかに、わたしも、いま、そろそろ更年期やな、、と思うくらい、しんどい身体をひきずる日が多いですが、いただけるご縁を大切にしながら、臆病にならずに生きていきたいなぁと
輝く人生の先輩たちを見ながら思った7月でした。

まだまだ暑い日が続く中なのに、マスク生活も続きますが、コロナ禍の経験も、これからの自分たちに絶対プラスになるはずなので、へこたれずに楽しめる方法で夏を安全に楽しみたいですね( ꈍᴗꈍ)


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なべめぐのドすっぴんブログ(第6回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

蒸し蒸しする季節がやってきましたね。
服装にも悩みますし、日々の洗濯物を外に干すか中に干すかも悩みます。

コロナも医療職の皆様のご尽力のおかげで落ち着きつつあり、数年ぶりに知人に会えたり、ちょっと遠出してみたり、遠出したことをSNSにもあげてみたりと、ほんとに2020年の3月上旬ぶりのコミュニケーションを少しだけ楽しみつつある最近。

久々の友人、知人に会うと、やっぱり昔話にもなります。
10代、20代、あんなに悩んで、不幸自慢をお互いにしあって、
悩みすぎて、占いに一緒に行って、結果に一喜一憂しあったことなど、
若い頃の悩みなども思い出し、
悩みを乗り越えるたびに経験値になり、その頃のことを笑えるということを認識できたら、
これからもしんどくなってもきっと乗り越えていけるんやろな、とかも改めて感じる、久々の知人たちとの面と向かってのコミュニケーションの時間です。

私は比較的、職場でもプライベートでも、困ったことや悩みは、すぐに口にするタイプです。
それはなんでも我慢する(ように見えた)母に比べ、我慢って言葉が辞書にないんかな?て思うくらい、我慢が苦手な父の影響が大きいかと思います。

車の免許をとり、車を親から与えてもらったとき(実際には祖父のおさがりですが)
父が私になんども言った言葉
「車故障したり、パンクしたり、1人の時になにか困ったら、車を路肩に停めて、車の横で泣いてたら、優しい誰かがきっと助けてくれる。女の子はそれでいい」、、
なかなかのインパクトでしたが、
実際、初めてパンクして、やばいっと思った時、父の言うとおりにしたら、
優しいおじさんが、スペアタイヤに替えてくれました。
やっぱり、頼れるものには頼る人生の父の生き方は間違ってないんやと思った瞬間です。

いろんなタイプの人がいて、人にSOSを出さずとも生きていけるかたもおられると思います。
実際、そういう強さが欲しいとも思います。
そして、Instagram、Facebook、ブログ、SNSを色々見てると、みんな強くて、楽しそうで幸せそうで、自分だけが弱い気になります。
自分だけが寂しい気もします。
個性もなく、趣味もなく、特技もなく、それこそ、子育てもせず、
自分が生きた証なんてなにもないなとか。
卑屈になったり情けなくなったり。

コロナのおかげか久々会う知人、友人にはそのことさえも吐露してしまったりして、
そうすると、相手もこのコロナ禍での苦労や、それ以外でも実はこんなことしんどくて
など、悩みや、それをどう乗り越えたかや、
なにかしら立ち直るきっかけになった出来事、言葉、本、などを教えてくれます。
それが全て自分にとって、励みになるし、やっぱり人と会うのはいいなぁと思わせてくれます。

社員全員で、ある方の講話を聞かせていただく機会がありました。
その方が、
家庭内で悩みがないひとは、職場で悩みがある、職場でも家庭内でも悩みがない人は、親戚に悩みがある、近所に悩みがある、
なんにも悩みがない人はいない、
苦手な人がいない人なんていない
と言われていました。

それをどう乗り越えるか。。
誰でもしんどいことはある、、
だからこそ、1人で抱えない、、それがどれだけ大切かを、心がしんどくなることが多い現代だからこそ、もし人に会えなくても、電話でもメールでも伝え合えたり、
時々私も、こんな時代だからこそ「自筆の手紙」を書くのですが、それがメールよりも気持ちを伝えられることもあるので、書いてみる、もよいのかなと思います。

心の悩みではないですが、わたしは、すぐ体に力を入れてしまう体質だし、むくみやすさもあるので、実は結婚指輪が数年前からむちゃくちゃ曲がってしまい、どうしても抜けなくなってました。

日頃はなんとも思ってなかったですが、4月の入院と手術の時に貴金属は全部はずさないといけないのに指輪がぬけず、どうしても抜けず、看護師さんを困らせました。
主治医が今回の手術なら、外さなくてもなんとかなると言ってくれ、そのままで大丈夫でしたが本来なら指輪切断になります。

今後、急な際にも、指輪は外せるようになってたほうがいい。
サイズ変更もしたい、
意を決して、退院してから切断を決意。

まわりからは「消防署じゃないと無理だと思う」
と言われていたものの、とりあえず、貴金属修理のお店に相談、
指輪切断の際に、時々怪我をしてしまうかたがおられるので、
やはりお店では無理で、消防署になると言われ、
その後消防署で切断してもらいました。
慣れてらっしゃる消防士さんたちは淡々と手続きと処置を実行。あっさりしたもんでした。

まわりの人にも聞いてたから、切断や、消防署行きも決意できましたが、
聞いてなかったら、何件か、貴金属修理屋さん、はしごしてしまったかもしれません。

ささいなことですが、どんなことでもまずは相談してみる、って大事だなと思いました。
話はそれすぎかもですが。

なんの特技がなくても、誇れるものはなくても、躊躇なく人に相談できる、この性格は、父が残してくれた「頼れる才能のおこぼれ」だと信じ、これからも、まわりを巻き込んで生活していきたいと思います。

そして、日々経験値アップです。
コロナ禍が教えてくれたこと。
会いたい人に会えるのは当たり前ではないこと。

だからこそ、人とのコミュニケーションをより大切に生きていきたいものです。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第5回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

前回、前々回と、入院について書かせていただきました。
前回は入院を、きっかけに襲ってきた「不安」について書かせていただいたところ、読んでくださったいろんな方から
「私も不安に襲われることが多いです」
「入院中同じ経験しました」
「知人がこないだ入院して、同じことに退院してから悩まされてました」
など、さまざまな声をいただきました。

なかには
「渡邉さんでも不安に悩まされることがあるんですね!」
と言ってくださるかたもいました。
その言葉は、自分の自信になりました。
その言葉が、少しお世辞というか、お話を盛ってくださってるとしても、その方の目には私は、明るい性格にうつってるのかなと思うと、心が安心できました。

人の言葉で思わず励まされることがある、ほんとに素敵な例だと思いました。
そして何より、ブログを読んでくださり感想をくださることがとっても励みになります。

しかし、あれから、不安で眠れない日は減少したものの、夜中に突如襲ってきたり、涙が止まらなくなる日がまだあります。
いや、それは、入院は関係なく、ここ数年、そんなことが増えてる気がします。

そろそろ、更年期障害に入ったかなとか、友人たちと話すこともありますが、
先日、仕事の事で、自分のふがいなさや、いろんな後悔で、家に帰ってもなにもやる気がおきず、主人も出かけてましたので、レンジでチンするご飯にふりかけかけて、納豆と、お湯注ぐだけの味噌汁での夕飯をすませ、溜めてたテレビの録画観ようとすると、内容が入ってこないくらいに胸が苦しくなり、
あ〜私はもう、前には進めないかもしれない、このまま心を壊すのかもしれない
と思ってしまい、また不安に苛まれました。

趣味はテレビを観ること!という私がテレビを観てても、なにも入ってこないなんてよっぽどだと思いました。
そして、頭も痛くてふらふらして、まだ水曜でしたので木曜、金曜、働けるかなと思ってました。
寝苦しくてもとりあえず寝て朝を迎え、まだ頭はふらつくまま、出勤。
そして、仕事をしていると、あるお話が聞こえてきました。

衝動的に仕事を辞めたかたが、後悔しているお話でした。
そのかたがなぜ後悔しているか。
あまりにも忙しい日で、もうムリだと思い、その日退職願を出して帰宅すると、「生理」になってたそうで、
あっ、わたし、生理やからイライラしてただけやん。。。
と、思えたと。

その話を聞いて、私もハッとしたのが、その前日の、もうムリかもしれないと思うくらい何もやる気が出なかった日に生理になってたのです。

あ〜そうやって考えると、「そらしゃあないわ、しんどいわ」って思えるなぁと。
もう35年以上、そんなしんどさと毎月闘ってきてても、忘れてしまうときもあるもんだと意外に思いました。
そのくらい、落ち込んでたのかもしれません。

でも、それに気づいた時にフッと楽になり、落ち込んでもいいんや、投げ出したくなってもいいんや、なんもせん日があってもいいんやと、急に肩の力が抜けました。

その日にそのタイミングでそのお話が耳に入ってきたことは、今の自分への救いになったと感じ、
やっぱり、いろんな人のいろんなお話を聞かせてもらうことって大切だなあと感じましたし、
自分のこの体験も、「生理」とかってちょっと口にしにくいことかもですが、
男性にも知っておいてもらうことだとも感じるので、ブログでも書かせていただいてもいいかなと思いました。

世間ではSNS疲れという言葉がよく聞かれます。
わたしもさまざまなSNSを活用しています。自分が発信したことで誰かを疲れさせてるのかもしれないとも思います。

でももう、生きていればどんなに気をつけていても、人を傷つけることも人に傷つけられることもあると思うので、心の免疫をつけることも考え、自分にとってプラスかマイナスかを考えると、私にはSNSはプラスなのでやり続けています。

先日の母の日、私は母も義母も亡くしましたので、生まれて初めて何もプレゼントする相手がいない母の日になりました。
もちろん、母と義母の写真の前にカーネーションを供えましたが、GWのお墓参りでもカーネーションを供えましたが、なにか違います。

そんななか、いつもお世話になっている女性に、そのかたは、誰からも母の日に贈られることのないかたなので花を贈りました。
それだけで自己満足でした。

すると、母の日の翌日、主人が、ちょっと高めのコンビニスイーツを買ってきてくれました。
いつも誰かにあげてばかりの母の日だけど、めぐみも生んでないけど母になったもんね
と、主人が母の日をしてくれました。

流産したときのしんどさを、主人もまだ覚えてくれてたんだなぁと想いました。
1日遅れてごめんねと。

母になれなかったけど、そこまで母になることをちゃんと望めてたわけではないけど、
やっぱり友人たちのSNSを見て、母の日に贈られる側になってるのを見ると、羨ましいなぁて思ってたので(もちろん子育ては想像以上に大変だとは理解してます)
だいぶ嬉しくて、何をもらうとかではなく、ちゃんとわかってくれてるんや、という主人の心遣いに泣けてきました。

20代の頃、「ベターハーフ」という言葉を知ったのですが、
魂の片割れという意味で、良きパートナーという意味合いでよく使われるということ。

そんな人にいつか出会えるのかなと思ってましたが、私にとって主人は本当の「ベターハーフ」なんだろうなぁと感じます。

もちろん、ベターハーフは、配偶者の意味もあるかもですが、私はそれが友人や子供や家族や、いろんな人に使える言葉じゃないかなとも思います。

私のベターハーフは、私が疲れている時になにをすれば楽になるかも尊重してくれます。

最近は「モーニング巡り」が私の心のオアシス。
友人とも行きますし、主人とも行きますし、一人でも行きます。
土曜の朝に実施することが多いです。

この写真は内科と歯医者の受診の合間のモーニング。一人です。

仕事の失敗で落ち込み、這い上がれないかもと思った日も、
モーニング代は稼がないと、と心にポチッと思ってました。
いや、読書したいから本代も。
いや、映画も観たいから映画代も。

欲望の塊ですが、仕事も会社も同僚も大好きなので、そして、日々お話、メールさせていただくご登録の医療職の皆さまにも本当にお力をいただき、
欲望のためにというよりは、仕事のストレスは仕事で発散するくらい、仕事を楽しませていただいていると感じる日々です。

これからも、土曜には「今週もお疲れ様」の自分へのご褒美モーニング巡りが出来るように、働き続け、気付きもこうやってブログで発信させていただきます。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第4回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

前回、このドすっぴんブログで、思いがけない手術と入院生活について書かせていただきました。

あのブログは入院中に書きました。

今回は、その後退院してから自分にふりかかった意外なことを書かせていただきます。少し、もちろん入院生活にもふれます。

耳下前部に出来た脂肪腫切除、3センチちょっとの大きさなので、たいした手術ではないため、手術の翌日からは、頭もすっきりし、食欲もあり、痛みもほぼなく元気に過ごせました。
点滴も翌日にはとれ、抜糸も翌日でした。

ただ、苦労したのは、夜に寝れないこと。
手術の日は麻酔のしんどさもあり、そこそこ寝れたものの、
翌日は、早朝まで寝れず、そうなると「昼間に寝るから夜寝れなくなる」と、昼間はなにもすることないのに必死で起きていたものの、それでも夜が寝れない。
その翌日もまた、昼間は寝ない、なのに夜は寝れないという状況で退院。

私は、主人もびっくりするくらい、寝るとなったら寝落ちまでのスピードが早いので、そんなことになると思ってなくて、寝れない夜の過ごし方にも慣れておらず、寝れる音楽、朗読、画像、動画、色々検索するも寝れずで、
やはり夜中は良いことは考えないので、どんどん心がしんどくなりました。

なにを考えたか。。
まわりのおばあさんたちの、コロナ禍だからこその家族に面会出来ない孤独からくる、
「帰りたい帰りたい、死にたい」
の訴えを昼間も夜中も聞いていると、(それを都度対応される看護師さんの対応力にも脱帽しました。)
わたしもいずれ歳を取り、おばあさんたちのようになったとき、私には子供がいないし、主人も16歳も上なので、コロナ禍じゃなくても誰にも会うこともなく、入院せずとも孤独と闘う日がくるんだろうかとか、
いや、普段は友だちがいても、親族がいても、入院したら、施設とかに入ったら、やっぱり孤独なんじゃないかとか、
母も最期、私のことを毎日病室に呼んでたし、父もサ高住に入居してから、帰りたい帰りたい、死にたいと言い出したし、
祖父も老健や療養病棟で、もう死にたいとよく言ってたなぁと考えると、
あ〜わたしは、その孤独をちゃんと理解してあげてなかったなぁと、どうしようもなく心がギュッとなったりしました。

でも退院すればその気持ちも晴れる、とりあえず今はこの病室の雰囲気にもっていかれてるんやと考えていたのですが、
そして、退院した初日は、たまった録画観たり、下着洗濯したり、久々料理したりで楽しく過ごし、翌日は普通に出勤するので、それにそなえました。

まわりの人達からは、身体のために翌日くらい休んだら?と言われたものの、開腹手術でもないし、耳の前だけの傷だしと思い、休んでると仕事も気になるので、あたしってやっぱり社畜やなとか思いながら出勤を決意。

そして、退院翌日の朝、6日ぶりの出勤の朝、6時すぎに起きたらいいのに5時に目覚めてしまい、しかも泣きながら目覚め、寝れなくなり、主人を起こし、嗚咽。

仕事に行くのが嫌だからでもなく、痛みからでもなく、ただただ、孤独が怖い、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして、先日亡くなったお義母さんにも孤独な思いさせてた、申し訳なかったと、止まらない恐怖と反省で泣きじゃくり、泣きながら「あ〜あたし完全に壊れた」と思ったのです。

愚痴や反省や涙は日々多いものの、けっこうしんどいときでも心は壊れなかった(主人や家族をはじめ、温かいまわりの皆さんのおかげでありますが)ので、自分でも意外でした。

でも泣きながら、若い頃、失恋したときとかは、夜より朝に泣いてたなぁとか思いだしたりもしてましたが、その孤独とはまた別格でした。

15年前に疲労でたおれ、入院したことがあります。ちょうどお盆休みの前日に入院したので、主人が毎日昼間は病室にいてくれましたし、友人たちもお見舞いにきてくれました。

でも今回はずっと1人。
この違いってすごい大きいんやなぁ、、と思いました。

義母の葬儀のときに、コロナで亡くなる方と、コロナ禍でコロナ以外の死者も増えて、葬儀場も斎場も予約がとれないと聞いてましたが、
孤独から病気が悪化することもあるんだろうなぁと、泣きながら考えました。

結局泣き止み、出勤。
温かい職場の仲間に色々声掛けいただき、すぐに朝の涙も忘れられるくらい笑いながら仕事をやりきりました。
定時で帰ろうと思ってましたが、あれよあれよと2時間近く残業。
それでも、ご登録の看護師さんたちとメールやお電話させていただくことや、同僚と話が出来ることが楽しくて、全く疲れもなく、逆に元気をもらって帰りました。
仕事が最高の心の薬になりました。

もちろん、沢山の方々が仕事が毒になり、心が疲れてらっしゃる世の中の状況もあります。
ですので、今回の私の体験が全ての方々に適用されるとは思えません。

でも、「孤独じゃない」と思うことで心が救えることがある、
「居場所は誰にでもある」がわかることで心が楽になる、
きっとそれはある程度共通することではないかなぁと思ってます。

昔から、自分が一人ぼっちが苦手なのでということと、
小学生のときに一人でいる同級生に、誰もが声かけてなくても私が声掛けしないと担任の先生に呼び出されて「お前は声かけろ」(←※昭和の喋り方ですね)と言われてきたこともあり、
出来るだけ自分も寂しくないようにですが、まわりをみての声かけは大事にしてきたつもりなのですが、
今回の退院後、そこは余計に意識するようになり、
もちろん、後輩さんたちは、「今話しかけられても」と思うかもしれないのですが、
やたら、仕事中も、世間話をふっかけるようになってると思います。

それがなんの効力もなくても、昭和なやりかたかもやけど、コミュニケーションは百利あっても一害無しと信じて。

社会人歴浅い頃、とっても話しかけやすい12歳年上のお姉さまがおられました。
私は営業で、そのかたは事務さんでした。
営業ってなかなかベテラン事務さんに依頼がしにくいタイミングとかもあるのですが、そのかたはほんとにいつも笑顔で、気さくで、かと言って「優しすぎるから気使う」ということはなく、誰にでも平等に、あかんものはあかんと言われる人でした。
なので、なんでも相談が出来ました。あかんことはあかん言うてくれはりました。
あんなベテランさんになりたいな、と、ずっと思ってました。

自分はまだまだそこまでなれてないけど、自分の子供であってもおかしくない年齢の人たちとも働くようになった今、遠慮なくなんでも聞ける存在に、ちょっとでもなれるように、この入院で覚えた、孤独は怖いという経験ももとに、また人見知りの自分も、奮起して明るく生きていけたらなぁと思います。

そんなことを考える退院後の初の休日。

大好きな甲子園球場を観ながらランチと読書で、自分への快気祝いを楽しんでます。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第3回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

なべめぐのドすっぴんブログ。
いま、ドすっぴん3日目で書いてます。

というのも。
昨年の春くらいから、というか、いつ気づいたかももう不明なのですが、
右耳の前あたり、右顎のうえあたりに、ちっちゃいしこりができてまして、それがどんどん大きくなって、これは、ヤバいかもと思い、内科の主治医に相談したら、すぐに耳鼻科に行くようにと言われ、耳鼻科受診。
顔の動きははっきりしてるから悪性ではないと思うけど、、念の為と、総合病院を紹介され、ちょうど前回書いた、義母の告別式の翌日に総合病院受診。

細胞診やMRIなどもうけ、99%良性ではあるが、置いとくとけっこう大きくなるので、切除したほうが良いと。

3月は仕事も忙しいので、4月中旬に、ということに。

私は、10代の頃にも、首と、膝に、良性の脂肪腫が出来たので、そのときは、どちらも10分くらいの日帰りオペだったので、今回もそのくらいの軽い気持ちでいたのですが、
なんとなんと、全身麻酔での手術、4泊5日の入院と聞き、おったまげました。

全身麻酔てのも、ピンときてなくて、大腸ファイバーのときも眠ったしなぁとか、流産手術のときも、眠ったしなぁとか思ってましたが、全然違うと知り、全然麻酔で起きるかもしれない副作用を聞かされるだけで気が遠くなりました。

でも、もう、切除はしたい。

そこから、社内の、全身麻酔経験者に色々話を聞きました。1人、2人、聴いてるうちに、私もやったよ、私も経験ありますよと、けっこうな人数が経験していて、詳しく教えてくれて。

それ以外にも、私が担当させていただいている派遣看護師さんにも相談したり、プライベートの友達にも相談したり、オペ自体より、全身麻酔のことで頭でっかちになって、当日を迎えました。

いざ入院となると、人生二回目の入院ではあるのですが、前回はまだこの仕事に就く前だったのと、疲労で倒れての入院で、最初の記憶がないので、
今回のように元気なまま、頭はっきりしてるままの入院は初で、
「いっぱい看護師さんの動き見て、勉強して帰ろう」
と心に決めました。

まず、担当看護師さんたちの丁寧なご挨拶や、点滴のルート確保も私はなかなか大変な腕らしく、2回失敗されましたが、焦らず丁寧に気遣いされながら痛くないようにしてくださったり、そこだけで大感動。

そのあと、オペ室に入ると(あっ、このくらいのオペなら歩いて入るんやと、ちょっとおもしろくなりましたが)笑顔でスタッフのみなさんが挨拶してくださり、そこでもオペ担当看護師さんが名乗ってくださり、丁寧なご挨拶あり、

そしてベッドに横になり、いよいよ全身麻酔やとびびってるとき、ベテラン風の看護師さんがずっと手握って、腕さすってくれ、その手のひらがむちゃくちゃ温かくて、安心できる手だったことに感動。
それだけでこの方の仕事への年輪を感じました。患者さんがなにを求めてるかを知ってる手。
素晴らしいなぁと感動してるうちに眠りにつき、あっというまに終わってました。

この経験、ほんまに無駄やないと思いました。

その後、病室に帰ったら、やはり麻酔後の頭痛になやまされ、夕食も3口くらいしか食べれませんでしたが、翌日は頭痛も治り、微熱だけで元気に過ごし、抜糸も終わり。
病室にもオペ担当看護師さんが来てくださり
「お顔拝見したくて〜、どうですか、痛くないですか?」
と。

オペの看護師さんが病室まで来てくださるなんてとこれまた感動。

薬剤師さんも優しく丁寧で、お薬をしっかり説明してくださったり、ほんとに至れりつくせりで、なんの不安もなく入院生活も3日目です。
なので、
ドすっぴん3日目です。

病室は私以外、高齢で、腸瘻とかされてたりして皆さん重症ぽく、ご飯食べたらあかん言われたと嘆いてたり、早く帰りたいと泣いてたり、みんな大変な思いして生きてらっしゃいます。

私だけ、ご飯完食して、歩きまわって、自由で、なんか申し訳ないと思いつつ、こんな時代も送られたであろう人生の先輩たちに、早く皆さんがよくなられますようにと、祈るしかないと思います。

コロナ禍だから誰とも面会もできないけど、抜糸も出来たから両耳でイヤホンつけてテレビも見れるし、本もたくさん読めます。

仕事も、会社のみんなの協力で心配なく進んでるし、ほんまに感謝しかない日々です。

看護師さんにお仕事を紹介しながら、こんなにも中から看護師さんのお仕事をじっくり見させていただくのは初めてで、すべてが感動の嵐。

夜中は、ずっとナースコールが鳴ってます。
夜勤、何人体制なのかなぁと考えながら、動きを観察してると、昨夜は2時間くらいしか寝れませんでした。

潜入体験みたいな日々です。
貴重な時間です。

写真は、私が入院生活のために買った本。

若い頃は興味のなかったロイヤルファミリーの内情が、この歳になると、、
というか、弊社顧問の楠本や、先日亡くなった義母の影響でとっても興味あるものになり、この本も2日くらいかかるかと思いきや、3時間で読み切りました。
とっても読み応えがありました。

いつの世も、平和のために、世界中の様々なお立場の方々が奮闘されてます。
今の世の中の不安も、誰がどうすれば落ち着くのかはわかりませんが、一人ひとりが平和を願う気持ちが世界を動かすと信じるばかりです。


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なべめぐのドすっぴんブログ(第2回)

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

春が来ました。
コロナ禍前の夏の高校野球以来、2年半振りに春の選抜高校野球を観戦に行ってきました。

せっかく地域代表として選抜された高校も、チーム内のコロナ感染で出場辞退もあり、
もちろん、高校野球だけではないですが、
オリンピックもパラリンピックも、どんなスポーツも、どんな行事も
目に見えないウィルスに邪魔されてしまうこんな日々、
誰のせいでもないですが、辛いものだなぁと思います。

昨年父を亡くした私は
今年、先月、義母を亡くしました。
コロナ禍で、感染による死ではないものの2人の親を見送ることになり、
コロナ禍前とコロナ禍だけではなく、
昨年と今年、郊外と大阪市内での違いを痛感することがありました。

それは、
「大阪市内、府内、
コロナだけではなく、医療の逼迫で救える命も救えなくなり、死亡者が増え、葬儀が増え、火葬場の予約がとれない」
という事態でした。

その件には後ほどふれさせていただくこととしますが、少し義母のことを書かせていただきたいです。

私は15年前に結婚しました。
母がそのときもう、末期がんとわかっていたのですが、私が結婚して2年で亡くなりました。
生前の母から義母に送った年賀状に「娘のことを宜しくお願いします」と書かれていたのが今でも忘れられません。

その言葉どおり、というか、義母の根からの優しさ、人としての器の大きさ、経験値の深さで、私は義母と出会い、娘にならせてもらってから15年、義母のことを尊敬しかない日々を送らせてもらいました。

長男の嫁としての立場の私なのに、わたしの実家の用事が私には多いことをわかってくれてらっしゃったので、会えばいつも、わたしの実家のことを心配し、優先するように促してくれました。

最初はやはり「姑」ということで、気を使うことも心得てた私でしたが、気づいた頃にはもう、なんでも話せる、今のお母さんとして、母を亡くしてからも、もちろん寂しいことはありましたが、苦しいときも相談できる相手、義母がいたことで乗り越えられたことも多かったです。

1回だけ妊娠して流産したときも、泣きながら電話で報告したら
「2人の赤ちゃんが1回でも出来てたんやということを誇りに生きていけるじゃない」
と優しく明るい声で返してくれました。
その言葉も今でも忘れられません。

義母とは、大相撲が好きということや、ロイヤルファミリーの話や、大河ドラマや朝ドラの話や、いっぱい世間話もつきることなくいろんな話をしました。
宝塚歌劇団にも以前、お友達もたくさんおられたので、宝塚歌劇の話もたくさんうかがいました。

義母と買い物に行ってもいつしか、実の息子の主人よりも、私のほうが義母がいま何が欲しくて、種類はどれを好んでて、などもわかるようになってましたし、家のどこになにがあるかも、わかるようになってました。
それが私の誇りでもありました。

コロナ禍になってから義母が、死ぬなら今のほうが、葬式もあんたらが楽でええやろなぁと、よく話すようになりましたが、一人暮らしで、なんでも自分でして、特に大きな病気も抱えずという状況なので、その言葉を冗談のように受け流してましたが、突然の別れがきました。

状況はほんとに「ピンコロ」でした。
義母がそうなったらいいなぁと話していた、ピンピンころり、
朝は買い物に行き、食べたいお菓子も買い、
買い物から帰ってきて、玄関で戸締まりもして靴を脱いだときくらいに倒れた感じの最期でした。

家族はもちろん突然のことで悲しみが止まりませんでしたし、
自宅での死なので、警察も来たりで
義母が自宅にもう一度戻るまでは少し時間がかかりましたが

そこから、火葬場の予約まで通常は亡くなった翌日か翌々日にお通夜、その翌日が告別式という3日、4日で終わることが
まるまる一週間後でないと火葬場がおさえられないという状況、それでもまだ早い方と言われた事態で、コロナ禍で報道されていること以外にも、沢山の異常事態があることを思い知らされました。
大阪府は大変だと他の地域のかたからも言われる状況がよく理解できました。

ただ、突然の別れだっただけに、家族には、最期のお別れまでの時間が予想以上にもうけられたことに、心を落ち着ける時間にもなり、
今となってはこれもお義母さんがくれたプレゼントタイムだなぁと思いました。

2022年になってから社内でも親族の不幸ごとが続いてますが、やはり、人口の多い地域での不幸ごとほど、火葬場の予約が出来ない、葬儀場もあいてないということを聞いてます。

普通のことが普通ではない日々の経験、あまりしたくない経験ではありますが、
医療の逼迫という状況がもたらすこと、その医療現場におられる方々の報道される以上の大変さを感じたこのことを忘れることなく、
自分の仕事も、その現場に少しでも役立てるように頑張ることができる仕事なので、日々再度精進していきたいと考えます。

来年の春の選抜高校野球の頃には選手のPCR検査自体が不要な日々となっていることを祈って。
ますます感染対策を怠らないようにしていきたいです。

そして、義母が、私にしてくれたように、常に相手の立場を尊重出来るような人間に、
今経験していることを生かしていきたいと思いました。


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