2016年の終わりに

申年ではあり、少しは、年女としてこの1年をどう生きるか?
意識しながら過ごしたように思います。
子供が地上にもたらすものは、さまざまではあるものの、
それぞれにお母さん、お父さんの喜びと希望の中に生まれ出でてくるのですが、
この世には既に高齢者族が加速的に増加しており、はたしてグローバル化の中で、
価値観の修正までも試みながら、高齢者の多くは、ざわめきながら落ち着かない
この世の趨勢に足並みをそろえて歩んでいるようにも見えて、
自身の心が少しばかり白々しくなります。

しかしまあ、昨日は厚生労働省の発表によると、2016年の人口動態統計の推計では、
今年生まれの赤ちゃん数は100万人を下回り、
98万1000人と死亡数を31万人以上も下回り、人口減は加速しているという。
(既に以前から予測されていたと言われれば、そうなのだけれど、
なかなか一向に子育て支援対策が及ばないのですかね。
住みにくい世の中…みたいな実感もしてくるのですが、この際、
やはり、真剣に深刻に受け止めて考えてみようと思っているのです。
(遅まきながらということですが、年末に帰郷する息子たちと、
デイスカッションしてみる機会でもあるかな?)

2017年が、よきお年となりますよう、皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げ、
今年の私のブログを締めくくりたいと思います。
2017年もよろしく、おつきあい下さいますようお願い申し上げます。

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~世界的な高齢化社会の流れ に抗して叫んでみると~

国際労働機関ILOの報告によると、高齢化などで、
医療・介護の需要が世界的に増大しているという。
そんな中、推計約5700万人が、
家庭で無給の介護などをして需給のギャップを埋めていると発表している。
各国政府に対して、高齢化や失業問題に対応するため
医療・介護分野への投資が不可欠だと呼びかけているのだ。
ご多分に漏れずどこも一緒の現象なのかと思うが、
やはり無休で働く人の大半が女性で、正規の就業機会を奪われていると。
こうした現象は「経済成長に大きな影響を与える」と指摘されて久しく、
そしてやはりそうだと実感するのではないかな?

日本では、320万人が無休で介護に携わっているとのこと。

医療の現場さることながら、介護福祉関係の人不足を補うために、
4~5年前からアジア圏の経済協力開発機構(OECD)協定を結び、
フィリピン、インドネシア、ベトナムなどから人材が集まっている。
この人たちは、研修を終えて医療・介護現場に働きながら
国家試験の受験勉強もするなどして、僅かな給料をして、祖国への仕送りなどして、
日本の不足を補うに必要な土壌つくりが始まっているが、
そうした外国人の労働条件・労働賃金は厳しいものがあり、
本当に定着に向かうのだろうかと心配もする。
ま、しかし、現に日本の国家資格をとり、
労働開始しているアジアの人々は徐々に増えているし、
彼女(彼ら)達の表情は明るく頼もしい。

ILOは、「医療・保険関係の雇用を生み出すことで、
各国は生活水準や経済成長の改善も期待できる」
と発表しているのだから、期待してこれからを見届けていきたいね。

とにかく、不安情報として、2018年度に向けた介護保険制度の見直し作業終わったらしい。
「介護保険 軽度者除外」の方向にかじを取った流れになってきている。
しかも、実施においては自治体に任せられているものの、
自治体は、サービス事業者に任せて、保険や福祉的な事業から手を引いてきていると。
軽度介護者(支援1~2)は、全国一律の保険給付から外し、
自治体が報酬や基準を決める地域支援事業に移行すると決めたということだ。
自治体格差拡大は免れない介護保険の行方は、問題を少しづつ積み上げながら、
切々と私たちの生活形態にかかわってくる。
これは、意図的に関心を高めていくべき大きな課題と
重く受け止めていくべきではないかと、私の心は波立っているのです!!
個人の課題として、将来に備えるべき対策を考えなくっちゃ!!

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新聞拾い読み:光が見える

小林麻央さんが、今年のBBC「100人の女性」に選ばれた。
乳がんの闘病記をブログ発信し始めてからの閲覧数は、
1000万超えと言われていますが、日本だけでなく世界に影響を与えているのだ。
「影響力を持ち、人の心を動かす 女性100人」。
選出の理由であるが、たしかに、闘病中の経験や思いなどを
包み隠さずブログ発信しており、進行性のがんと対峙している。
本当は苦しい悩みが、押し寄せてくる日々であろう波のうねりに屈せず、
葛藤の先にたどり着く思い「私が恐れていた世界は、優しさと愛に溢れていました」
そして「明るさこそ勝」と、がんとともに生きる今の心境を伝えている。
ブログ上での明るさは、もうしっかりと自分に俯瞰させていてゆるぎない。
何か、魔物を落としきったようなしなやかさがあって、逞しい。
凄いと申し上げる他ないです。

私の幼少期からの友人二人が、10年前(60歳前後のころ)、
それぞれ乳がん、子宮がんを発症し凄まじい闘病を経験している。
二人とも、治療上の後遺症(リンパ郭清術後のリンパ液うっ滞により
上肢や下肢がぱんぱんに膨張するなど)に影響された苦痛を日常的に背負っている。
二人とも「私のお世話になってきた大切な手足」と、
重量感の増す不自由で疼痛の伴う手足を、愛おしさを込めて丁寧に手当てしながら、
今においても社会的な仕事をしている。
麻央さんのように、お若くて進行性のがんという苦しみとは異なるかもしれないが、
「がん」という絶望的な重さが響く言葉が、わが身に降りかかる驚き、
「なぜ 私?」受け入れがたき言葉への虚脱感(このような表現は、
必ずしも適正なものではないかもしれないが)、
大きなショックを受けストレスが体全体を縛るような苦しみと葛藤で、
しばらくは身の置き場なく悩んだであろう嘗ての日々は、
もう遠く彼方の空に飛んでいったような…。
70歳を超えて、がんとの共存を受けいれて、明るく立派に社会貢献している姿を、
目の当たりにすれば、私の生き方、思想は、軟弱に思えてくる。
否々! ノンちゃん!くたばるな!と私自身に発破を掛けてみることにしよう。

「引きこもり」が続くと不安増大することを、京都大大学院医学研究科の研究グループが、
マウス実験で突き止めたと、23日に米科学誌「セル・リポーツ」に掲載された。
不安を和らげる「認知行動療法」や抗不安薬の開発に役立つ成果ということのようだ。
もう少し詳細に読み進めると、不安や快感などに
重要な役割をはたしている脳内の「側坐核」に着目。
隔離されたマウスの側坐核の働きが低下し、
意欲や気力に関係する脳内物質「ドーパミン」が分泌されにくいことが分かった。
また側坐核の機能低下に特定のたんぱく質がかかわっていることも分かったと。
グループは「社会から隔絶されると不安が強くなることを、
神経科学の視点からも明らかにすることができた。
人間でも同じメカニズムがあると考えられる」と。(11/24付毎日新聞より)

TVや新聞・雑誌などで「ひきこもり」の人たちへの、
様々な社会的・実験的な取り組みがなされているのが紹介されているが、
科学的に「引きこもりメカニズム」が、
こうして次第に明らかさを増して発表されると、うれしい。
現実的に吐露してみれば、「ひきこもり」の人々と容易には接しきれないし,
それゆえ処し方がわからず、理解深まらないままに遠ざかっていく。
遠く存在性を気にしながら、そのままに遠ざかっている(少なくとも、私はそのようだ)。
けれど、このように神経学的メカニズムが解明されてくると、反省的に理解的に、
状況を理解する努力が促されてくる。世の中、明るい光が差し込めてくると感じたものだ。

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日曜日のお話は、ホットな感動物語。

昨日(13日 日曜日)は、午前中の外出から始まり一日の終わり(夜9時わが家到着)
までの間に、(会った、在った、有った)話を致しましょう。

午前中の外出は、ほとんどが超高齢者+若い方々も集っている学びの場所に行きました。
私たち生涯を通して、どれだけ自身のこの命(気づいていない生命力)を
大切にして行動を起こしているか?
それが人間の価値性を高めるという内容と捉えた私は、心の深層にグサッと来た感じ。

さてそのような学びの中に注目の一ご老人(90歳に近い)がいたのですが、
3年来、肺の障害で簡易の携帯酸素ボンベを離せないで、
外出時は相当に重い(お米の5kgを超えているんじゃないかな?)
携帯酸素ボンベをキャリーバック風にして運搬しているのだ。
駅のホームのエスカレーターや遠くに設置されているエレヴェーターへの移動、
乗り物への乗降、目的地までの道すがらは、どう見てもこのご老人には酷な情景である。
にもかかわらず、ご本人は、目的をもって外出すれば多少の困難があっても、
そのほうが私の心が開放できると。
社会経済が豊かな時代、大会社で重要なポストに就き、
長い外国駐在などの活躍をされてきた方なのだ。
それ故かな?とでも言いかわしたい気持ちになる(意味ないんだけど)。
街中という外の刺激を受け、しかも人達との交流を楽しむからには、
相当のエネルギーが消耗されるはず。
焦らず緩やかに悠然と行動されているのだから 参りました~!!
わが身に置き換えてみれば、そのような積極的でなおかつ建設的な意欲は、
到底湧き出しそうにない。と白旗を上げる次第です。

午後からは、「チャリティー ジャズ メッセ」と題して
33年間継続しているコンサートに出かけました。
私は初めての参加でしたが、何らかの障碍者を対象にしたチャリティーということで
大勢の人たちがこれに参加されていましたが、まさに継続は力なりを証明していましたね。
ジャズバンドやボーカルの出演者は定番の方たちですが、もうそれは凄い!
ベテランで場づくりが上手く構成されていて、華美にならず安易さに傾くことなく、
入場チケットは決して高価ではなく、ジャズ・シャンソンが大好きなんですっていう
ミュージシャンの立ち居振る舞いは、相当に楽しめましたね。
二部構成の終わりに、今日の収益を以って、目録にしてお渡しするのですが、お金ではなく、
「その施設にとってニーズの高い欲しいもの」を寄付するという形でお渡ししていました。
会場には施設の人々もご招待しており、22歳のダウン症の男性が代表で受け取られたのですが、
お礼に、なんとその男性が、覚えたピアノを弾くというハプニングがあったのです。
簡単な曲なのかな?と思って聴き始めると、相当に高度な曲を最後まで引き切ったのです。
男性は、「ありがとう、うれしいです」のワンフレーズの言葉を繰り返すだけだった状況からして、
ある種の固定観念の中で、同情に近い感情で捉えていた彼への思いは、もうブチ切れて、
感動に変わりました。こんなにも、こんなに大勢の聴衆を一瞬にして感動させたんですよね。
稚拙な言い方かもしれませんが、想定外のハプニングは33回継続してきて初めてということでした。
何しろ彼は、ピアノが好き というその個性を持つ中で、譜面を読むことはできないから、
いつも音楽を耳に覚えて、指でたどりながらその曲を覚えて弾くというのです。
片手だけ、単音だけ、ではないのです。しっかり両手の指は、左右対称の単調音を弾くのではなく、
和音を形成した左右不対称の指遣いで、一つの迫力のある楽曲を奏でるのです。
真面目に、感謝の思いを込めて、時に指が絡まりそうになりながらも、
前に前にエネルギーを回転させながら、最後まで弾ききったのです。
お分かりでしょう?私には何を言うべきことばのない感動でした。

「チャリティー ジャズ メッセ」が終わり、友人と二人でレストランに向かいましたが、
感動の余波は続いたせいか、二人とも道中何も語ることなく歩き、
ようやく「ここでお食事しようか」と二人して吟味もせず、
イタリアン居酒屋にて食事をしたのですが、それは大いなる失楽を選択してしまった次第。
(;´д`)トホホな食事で今日の一日を締めたというわけです。
これもまたわが行動においては、白旗を上げざるを得ないですね。

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村上春樹さんとアンデルセン文学賞受賞スピーチ考

デンマークでは、
2007年「ハンス クリスチャン・アンデルセン文学賞」が創設され、
村上さんは5人目の受賞者ということだ。
永らくの間、毎年ノーベル文学賞にノミネートされながら、
一向に受賞のお知らせが届かないが、世界では色々な文学賞が創設されていて、
彼はやはり受賞対象者として注目の作家なのだ。
村上文学の熱烈なファンが相当数いるようで、毎年「ハルキスト」と自認する人たちは、
ノーベル文学賞受賞の知らせを、陽気ににぎやかに待っている
(彼らは、受賞に至らなくても感情的にはならず、必ずや受賞する夢を追い続けているようだ)。
それはそれなりに、好ましい光景のニュース映像ではある。
私は、村上氏の作品に、特別熱い感情を持っているわけではなく、
2作品しか読んでないが、身近なところで熱い感想を聞くことが多いし、
結構なヒットを飛ばし続けているのだから凄い。
やはり凄い!! おめでとうございます。

アンデルセン童話は、言わずもがな世界的に有名な童話なのだが、
私は小さいころそれほど馴染めなかった。
必ずしも…そうは言っても…う~んなんで?…戸惑いを持ちながら読んでいたと思う。
心が固まってしまって尾を引いてしまっていたというべきか。
10年ほど前、再度特集していた本を買って読んでみたが、
その本を本棚に置くことなく友人に渡したと思う。
アンデルセンの童話創作活動は、30歳ころから40年間にわたり、
156編もの童話を書いたというから、なるほど結構たくさん私たちの目に届いているはずだ。
「ユーモアとペーソスと機知に富んだ童話集」とは定番の書評で称賛されている。
私はどうも、このペーソスと機知の展開が、すっと受け止められず、
したがってユーモアに繋がっていかなかった感想をもっている。
あの、もの悲しい情緒や哀愁というか、死ぬ結末が多い物語への拒絶観が強かったように思う。
結構私は、不安感の強い悲観的な感性が強かったからかもしれない。
いまだにその余韻が残っていて、意外としつっこい。

ところで村上氏の受賞スピーチは、やはり考察・洞察が凄い。(毎日新聞記事から引用)
「影の持つ意味」と題するスピーチで、主人公の影が一人歩きを始め、
恐ろしい結末につながるアンデルセンの作品「影」に触れ
「「個人だけでなく全ての社会と国家には影があり、個人と同様、向き合わなければならない」
「どんなに高い壁を築いて外から来る人を締め出そうとしても、
どんなに厳しく部外者を排除しようとしても、
どんなに自分たちに都合よく歴史を書き直したとしても、
結局は自分を傷つけるだけ。私たちは辛抱強く、
影と共に生きていく道を探っていかなければなりません」と。(後略)

今年の読書週間標語は「いざ、読書」。いざ!の意気込みの響きに応えてみようか。

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すごいな!!人生蘇る幸せ

人生いろいろっていうけれど、幸せもいろいろ(十人十色あるもんだな?)
とつくづく思う。しんみりと秋の夜長の夜風に身を縮ませて、
幸せ感を想い浸りながら、誰とも話し相手のいないのがちょっぴり寂しい。
私の横脇で暖を取るように寝入っている老猫に話しかけてみると、
目をしばしばさせながら、何の用もなければ失礼!とばかりに、
すぐに猫円(まる)体勢に仕切り直して、
鼻をクークー鳴らしながら合歓(ねむ)ってしまった。
(なんてこったぁ??)

ところで私は、何をおっしゃりたいのやら、呟きたいのやら……???
昨日14日、アメリカ人歌手(シンガーソングライター)のボブ・ディラン氏が、
ノーベル文学賞受賞との発表があった。
TVの速報で知ったわけだが、えっ?ほんと?何?の、声も出ない驚きであり、
瞬時ノーベル文学賞の意味も解らなくなった。
ボブ・ディランの歌は、私の青春まっただ中(20代前半)のアーティストであったけど、
その頃の時代背景的には、長引くベトナム戦争(確かではないかもしれないが、
1960年前後~1970年まで)に反対する運動気運が高まり、
反体制・反戦平和運動が世界的な流れになっていたように思うが、
何しろ、心地よく心根に浸みわたるような歌が次々にヒットしたものだ。
彼について詳しくは知らないが、アーティスト仲間の間には、大きく影響を与えたらしい。
ともかくも、歌詞は素敵であったし、メロディーと歌う声は、渋く魅かれるものがあったわけです。

私の青春の思い出が、次第に遠のいていき、時代背景も今は、
想像さえ難い痛みがあり、懐かしい。
そして、想像だにしていなかったノーベル文学賞の報に、
俄かに幸せの一時代感が蘇ってきたっていうわけであります。

そして、少しばかりセンチな心境にも浸りまして、まっこと、人の幸せ、人の愛について
こんな風に吟遊?してみました。
その行いの中に、どれだけ愛を注いでいるかが、問題であり大切なのだと。

時間とともに、彼の受賞への反響は祝意も然ることながら、反発も湧き上がっているが、
彼が、かつて、そして現在において、人々にどれだけ愛を注ぎ続けてきたのかが大切だ。
彼の詩は、私は人々に愛を注ぎ続けていると、肯定できると思うのであります。
(ボブ・ディランをよく知らないのに、よくも書けましたね。なんだろう?これって)
つまりは、わが人生の蘇りを感じたってことなのだろうね

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わが家の猫ちゃん!得意の仕草

わが家の猫ちゃん(人呼んで、Qちゃん)は、かれこれ16歳の高齢猫。
とはいえ、近年の家飼い犬猫たちは、20年前後の寿命を全うするという、
大往生の犬猫物語が多く聞かれる。だから、わが家の猫を飛び切り、
「高齢猫」と自慢するわけにはいかないが、このQちゃんのおかげで、
わが家はどれだけ癒され、助けられてきたことか……。
大いなる感謝あるのみ。

ところで16年を生きてきた猫ちゃんの心根はどんなものだろうか?
三毛猫美人というこの猫ちゃん。
容姿端麗(飼い主が自画自賛してもしょうがないが)、
スマートで艶な猫。賢くて、人と会話する(会話できる)というわけ。
彼女がわが家に来たときは、その3~4カ月前に雌の雉猫が先入りしていて、
それがどうも気にくわない三毛。雉が近づくとファ~ッ!
と息を噴き上げて威嚇して2階への階段を駆け上がる。
階下の私たちがどれだけ呼び寄せても一向に来ようとはせず、
しばらくというか静かに目と耳を凝らして中階段のところで見つめているのである。
そのいでたちは、まるで豹のような鋭い眼差しにスラーっとした姿態。
もうぞっこん惚れ惚れしましたね。
そのうち私が、中階段まで迎えに行こうとすれば、
ササーッと上階段を駆け上がって、素直じゃない。近寄ってこないのだ。

ところが、雉猫が2年後に病死した際には、弱っている雉ちゃんのところに寄ってきて
鼻を摺り寄せてからだを舐めてやったりして、ちょっと不思議な行動をしていたりしてね。
雉猫が亡くなって2~3日後には、Qちゃんは私たちに、
頭突きしてきたり猫なで声で何やらおしゃべりをしてき始めましたね。
それ以降、この家の主は私ってな風情で向こう三軒両隣の庭庭を悠々自適の闊歩。
夫々の猫には猫の得意技、仕草があるのは、もう皆さんご存知かと思うが、
Qちゃんは、時に舌出し猫の幸せ、日向ぼっこの幸せ、木登りの幸せ、
木の上の昼寝の幸せ、人気スポットの主人的な幸せ、
動くものすべて(小鳥やネズミ、ヤモリなど)獲物取りの幸せ、
をおう歌するといった自由猫になりました。

ある夜半、階下でドタドタバタバタのけたたましい物音に、猫も私も飛び起きた!!
そぞろそぞろに階下に降りてみたら、トイレ方向に物音しかり。
入口ドアが開いていたから、人間が忍び込んでいないのは確か。
でも大きな狸の類でもない。Qちゃんがそぞろに忍び寄って
獲物めがけてとびかかろうとしたその瞬間、
2~30cmほどの茶色物体がササッと素早く走り出てきたが、
私はギャッと固まってQちゃんを見ると、
Qちゃん目をしばしばシバかせてぐるぐる回っている。
と見るや、なんとまあオナラ臭いが充満しているじゃありませんか。
イタチはそのまま逃げおおせてしまい私たちは、
しばしオナラ臭を鎮めるために、そこかしこの窓を開け、夜の珍客騒々の後始末。

Qちゃんとは、こんな風にたくさんの時間を共にしてきましたが、
あれだけ飛び跳ねて高所登りを得意とした彼女の仕草は、近頃は悉く失敗を重ね、
高所の高さもだんだん低くなってきている。
それでも失敗する時があり、そのたびに私は、
Qちゃんの心に負うだろう痛みを切なく感じている。
ずーっと寝ていることも多くなってきているが、
私が外出から帰ってくれば玄関に迎えてくれ、友人たちが来れば、
挨拶かたがた顔見世をして何やらおしゃべりをして静かにそばにいてくれるのである。

あとどれくらい一緒に生き合えるのかわからないけど、
やはりお互いに癒しあって優しく生きていこうねと、
ぎゅっと抱きしめて確認しているこの頃なのです。

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駅のホームは「欄干のない橋」の危険

いよいよパラリンピックが開催されますが、
彼らは、自身の身体上の障害を乗り越え障害者というその表現に
縛られてしまいやすい自己確立から解放されて、
社会に人として生きる共存者として自由な自己確立を築き上げて、
逞しく明るく、私たちに感動を与えてくれる存在になっている。
まもなく、リオでの戦いを思う存分に私たちに見せて魅せて観せてくれる。
期待したい。

遅まきながらの話題ではあるが、8月15日、視覚障碍者のホーム転落事故で、
盲導犬を連れた男性が線路に転落して死亡したという痛ましいニュースが流れた。
1994年以降、視覚障碍者のホームからの転落事故による死亡、
または重症を負った人は、47人にのぼるという。
実際、視覚障碍者でなくとも、駅のホームは、欄干のない橋として危険なのだ。
近年、駅のホームには、ホームドアが設置されてきている。
費用の関係上、まだ全体の3割程度らしく、
全てに設置されるには長い時間が掛るという。

それにしても目の不自由な人にとって、ホームがどれほど怖い場所なのか?
私は、看護学校時代の実習で、目隠しをして杖をもって、
車道に面した歩道やら、駅のホーム(視覚障碍者用に設けられた黄線、白線に沿って)
を仲間の学生に介添えしてもらっての歩行体験をしたが、
歩道路ですらおぼつかなくて足が竦み、ましてや駅の構内、
ホームとなると、恐怖の想像逞しく動けなかったのを覚えている。

視覚障害の方々は、音に敏感で手先に伝わる杖の感触の察知は鋭い。
であっても駅は構造が複雑で騒音もすごく、勘所は油断ならず、
近辺を察知しかねてしまうという。

筝曲家で盲目の宮城道雄氏(彼は夜汽車内での移動時、誤って転落死された)は、
こんなことばを残している。
『自分の歩くところは、狭いが、耳や心に感じる天地は広い。』
この言葉を紹介された解説者曰く。
少しの想像力が、人の安心して歩けるところを広げていくことができる。と)、
極めて明るい光ある温かい解説だ。
目の不自由な人にとって、ホームがどれだけ怖い場所か?少しの想像を働かせよう!
障碍者、例えば、視力が無い(もしくは光を感知することができる程度)の方々は、
日常的に五感神経を研ぎ澄ませながら感知能力を高めていらっしゃる。
そしてやがて彼らの能力に沿う生活スタイルを作り上げて、
自分らしさをしっかり主張できる生活手段を獲得しているのだ。
障碍者が普通にアイデンティティーを持つのだ。
「咲かなかったら枯れる」「咲かなかったら 咲かない花になる」(中略)
自分が、どんな考えで、どの立場で、できるのか?
できることをしようと思わない限り花は咲かない。
…自分の花を咲かそうと思えば、どんなにつらくても咲く力がある。

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ノンちゃんのリオ;オリンピック考

リオ;オリンピックは終盤戦の熱気さながら、
あっという間に8月22日の閉幕セレモニーとなった。
日本は史上最多のメダル数を獲得し、2020年東京オリンピックに
幸先よく繋ぐことができたとは、誰しもが認めるところで、やはりうれしい。
初の女性東京都知事の会見、メッセージ、日本の存在感、固有のおもてなし感が、
南国の陽気さと華やかさにマッチングして
好感が持てたのではないかと、ノンちゃんは思う。

いつのニュースを見ても、メダル獲得数が報じられ、
何かしら戦利品の金銀宝石品をかき集めて喜んでいるような感じにもなって、
ちょっと静かにしてほしいとも思ったが、各選手にとっては、それが命の戦いをした証。
凄まじいパワーを発揮されたわけですが日本の威信をかけた活力・実力を
世界に鼓舞すべく責務を担った重責に、素直に応援よろしく喜ぶべきとは思う。

新人選手、ベテラン選手共々に、インタビューでのコメントが、やっぱり凄い!
日頃の練習の積み重ねの結果を出したアスリートの
篤い抱負の語りの裏には、壮絶なドラマがある。
切磋琢磨する日々の練習、訓練、新技開発への努力や精神力、
常に怪我や病気に見舞われる負荷を乗り越え、必ずや目指すは“金”。
柔道に至っては、メダルではなく”金“なのだ。
違和感を感じることもあるが、そこは、素直に了解しておこう。

オリンピックは閉幕し、引き続きパラリンピックが始まる。
身体の障害を持つ彼等のアスリート性(力)には、何を語らん!先ずは脱帽だよね。
スポーツにより人間性が磨かれ、
究極の技能に高められ成長し続けるあの機動性は、芸術的であって感動を呼ぶ。
打ちひしがれた(必ずしも適切な表現でないかもしれないが)
谷間に落ち込んだ暗闇をさまよい、前に前に歩みを進めながら、
生きる道しるべとなる希望の閃きに支えられ、勇気あるわが道を開いていく。
この道程に、ノンちゃんはただ立ちすくみ、私にはできない…と、
怖気づいてしまう始末。
応援しよう!!
日頃、私たちが向き合いきれずに知らないままに見逃している領域に
こんな時こそ、しっかり目を向けて、応援していこう!!

しかしまあ、リオ;オリンピックの日本勢の活躍は、
ほとんどすべての種目において、見ごたえがあり、
深夜の観戦は寝不足を招く。
翌日の不眠ボケがシンドクテ堪らない。
お勤めの人はそういうわけにはいかないだろうけど、
好きなスポーツならば目が離せなく観戦してしまうよね。
(翌日の仕事は、きちんとしろよ!って、言っとくべきか?)

皆さんは、好きなスポーツは何ですか?
ま、特定しなくても、つい引き込まれて見てしまうってところが、
オリンピックの魔性性かな?

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残暑お見舞い申し上げます。

久しぶりのブログ更新です。
7月半ば過ぎより、夏風邪に罹り、徐々熱→高熱の経過をたどるという一途に免疫力低下、
ダウン(動くに動けず、近医に受診も儘ならず状態)。
相当に堪えましたね。参りました~ぁ!!

体力ダウンベースを何とか取り戻そうと思っても、
この暑さに果敢に挑戦する力など湧いてくるはずもなく、
お医者の薬と日にち薬でようやく乗り切って……?!
(高齢に猛暑は酷というもの。しかし身体力というか免疫力を蓄えていれば、
80歳でも水泳、登山、フラダンス等々している方が結構多いのですからね。
気弱じゃダメ! モリモリ食べて! 普通に無理しない!で、この夏乗り切ろう!!)

今日から残暑という季節の味わいは如何なものでしょうか?
大暑から約15日後(8月8日ごろ~の15日間)、
特にその初日をさすという今年は、8月7日がその日にあたるという。
暦の上では秋の始まりということですが、
毎年この時をもって秋の気配というものは感じたことはないですね。
暑さがピークの真っ最中では、怠惰モードになっている体の置きようはどうしようもなく、
さっぱり精神的には暑さ負けしてしまっているのだよね~。

まだまだセミの鳴き声衰えず、秋の気配を感じ取るゆとり、風情はないよね~。
でも、暦の習わしに従って私たちの生活の場に知らしめる立秋を、とりあえず受け止めて
世の中見渡せば、なんとなんと!リオオリンピック戦いの幕が開き、速報が入ってくる。

イチロウ(呼びつけで失礼)の史上最速3000本安打達成。
待望の一報とイチロウのコメント。
彼は、単に記録を積んでいくのではなく、人間性を磨いてきているのだ。
私たちに語る言葉の一つ一つに、人の胸に響く力みない語りがある。
冷静すぎるのだが…、嫌みにならず、陽気なはしゃぎにホッとさせられたり、かわいいとこある男。
ベンチでそっと涙をぬぐうイチロウ
「僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、
今の僕にとって何より大切なことだと再確認した」
(一郎の記者会見、こんな言葉の裏にしっかり自分のモチベーションを保ち続け、
次なる挑戦への一歩にしているんだなあ…すごい!!)

話変わって、これもまた凄い「体操団体金メダル」。
それぞれが皆、最高の演技で終えることができたのだから最高。
予選演技では団体4位のスタート。
あり得ぬことがおこったのだが、終盤見事な演技で金奪取。

ノンちゃんも、その昔、器械体操をしていたンだ!!実力は並べて語れぬ天と地の差。
さあ!みなさん!!まだまだ続くこの残暑・猛暑を突破して行こうよね。

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