上記の主題は、いかにも厳めしいのですが、何事やら!?興味津々に、ちょっとまあ?!とくとご覧いただきたいお話…私の真夜中の救急搬送体験!ということで、私の体調・何事異変?!に連なるWord=「救急車・救急隊員・我が眼差し」を、少し頑張って書いてみました。
事態は4月初日(April Fools’ Day)の真夜中の2時ごろ…。
我が身の惨事が起こったわけでして…なんとも情けない話。
2週間前くらいから、私は、首の付け根の不調を感じながら、いつものように引き起こされている症状故、これ以上進行しない様、多少の効果的と思われる対処(アイマスクを着用、首は高すぎず低すぎず安定する高さで支えられる様に枕を整え、不眠を招かぬ仰向けの安定した態勢)で、自然の眠りを誘い出すようにして寝たのですが、最近は、どうも体制が安定せず、不眠・頭痛に悩まされ、頸部筋(頚半棘筋~頭・頚板状筋~肩甲骨下の筋群)のツッパリ感は軽減するどころか、結構な痛みを伴い作動もままならぬ苦痛感が強いため、身体のぐったり感は、日増しに強くなってきていました。
後頭部から首筋にかけて、日中、立位だろうが座位だろうが、首が関節の定位置に定まらない不愉快さと、周辺の堪えきれぬ痛みが続くため、居住区すぐ近くにある病院(整形外科主治医)の受診に訪れたら「先生は、今日は診察日じゃないので、他の先生でもよいですか」!!素気無いお返事ではないか?と大いなる不快感があり、私は、素直に帰宅したのが罰当たりとなってしまいました。
(後日、主治医に話したら、そんな時は、僕に連絡をとってもらったら診るから)と、サラッと申し渡された次第ですが、診察を受けずに帰宅するは、首肩痛を解決できたわけではないと、我ながらの馬鹿さ加減に、悲しみと落ちつかぬ不安定な気分で、数日を過ごしました。
日増しに、キンキンに突っ張る頸部肩筋肉の痛みは、肩こり、両腕の痛怠(いただる)さ、痺れ感へと進化し、状態は深刻になってきて、寝起きするときの動作(首をもたげる、水平位置の枕に首を乗せる、体位変換時の左右横臥位~仰向きなど変換の負担が大きくなってきていたので、いよいよ明日は、整形外科受診と思っていた矢先の4月1日真夜中、横たえた体は身動きできず、少しでも動こうものなら、半端ない痛みに襲われ?私は「痛み」の囚われ人となって非情事態を招いてしまったのです。
身体の健康異常に警戒はしつつも、先手打つことを後手にして過ごした結果の「痛みの極感」に至らせ、「自身が招いた責任」と、ひたすら悔い改め、償いの時間となりました。
さて、そのようなわけで、4月1日の深夜、恐怖の「首筋~肩筋の猛烈な痛みと強ばり感」が出現し、我が身を対処できないのを観念し、枕もとのTELで、マンションの守衛さんに連絡を取り、守衛さんから救急車要請をしていただき、初めて救急隊の方々のお世話で、某病院に搬送されたのです。
私のマンションは、日常生活上の自立活動ができる高齢者を対象にしたシニアマンションですが、そこでの入所者の皆さんは其々、多少の健康上の不便を抱えていても、日常生活動作的には、相当に自立できているという前提で暮らしています。
しかしやはり、後期・前期高齢にかかわらず「救急搬送」という事態は、起こるべき時には起こっていて、その時は、全く人の手を借りないわけにはいかず、夜間は守衛さん、日中は医務室の看護師さんを通してその労を取っていただくなど、お世話になっています。
そして今回、私も初めて前述のようなアクシデントを引き起こし、マンションの守衛さんに連絡をとり、救急車搬送の対応が適ったというわけです。
無事、深夜の病院受診を果たし、必ずしも整形外科医ではなく内科医の先生でしたが、Dr.もNs.も、ぶっきらぼうではありながら、懇切丁寧に大きな声で、説明(医療の専門分野外で限界ある事を伝えられ、痛みに対する鎮痛薬処方をして、ここで直ぐ服用して20分ほど様子を見て、効果が出てくれば帰宅することにしましょう)と。
私は、鎮痛剤服用して10分もなく、酷い疼痛魔の退治が徐々に適してきたのを確認できたので、20分後にはタクシーを呼んでいただいて無事帰宅できたという次第でした。
さて、私自身の体験した夜間の救急車搬送による診療受診の経緯のあらましを、話してきましたが、深夜(夜間)の「救急車」搬送の実際(実情)について、ノンちゃんの目線で、お話ししておきたいと思います。
夜中の2時ごろ、守衛さんが手配してくださった救急車が、10分以内には到着し、ストレッチャーでお部屋まで迎えに来てくださいました。
直ちに、私の氏名・部屋番号を確認して、2人の隊員さんが、ストレッチャーを伴って部屋に到着するや、手早い操作と明快な言葉使い、私の氏名・年齢・性別確認、脈拍・私の意識状態も把握しながら、ストレッチャーに乗せるという手順よい手早さ、丁寧で安全・確実なアッという間の移動で、その時生じた揺れによる痛みは、文句を言う間もなく我慢出来たのだと思います。痛みの生じているときは、介助動作時の揺れや振動は、苦痛以外の何物でもない。
しかし有無を言わせぬ配慮が加わった手早さ、移動介助の手際よさには、実は恐れ入り、この身を任せざるを得ない威力と信頼性に、安心感が半端なく加わり、むしろ感謝でした。
患者さまに声掛けをする意義は大きく、緊急の中にもコミュニケーションの在処を示すアプローチが施されますが、そこには専門的なテクニカルの法則は、原理原則からの徹底した合理的で効率の良さを裏付けての作業テクニックなのでしょうか?作業手順の施行に、硬さや不自然さや不合理さはなく、3人の隊員さんたちのチームワークの力が、同化?融和?しているような活動が施されていたように思われ、安心しました。
救急車は走りながら、搬送先病院の受け入れ交渉を続けているのですが、整形外科領域の1~2?次救急レベルの病院を探すのに、何度も断られ、引受け病院が定まらず、一つ一つ消えていくという中で、私に対しては、限りある情報提供と妥協を図るべく情報提供を繰り返し行われながら、時に域外に出てしまいそうになれば、車を止めて再交渉を繰り返すなどしてくださりました。
私自身、今、死と直面しているわけではなく、原因不明の体力消耗が進んでいるわけでもない。
ある程度、明確な痛みの部位・症状が整形外科領域に特定できてはいても、科の専門医師が当直しているとは限らない病院に、交渉しなければならず、加えて患者の希望する病院は、必ずしも迎え入れてくれるとは限らない。
夜間診療・救急対応してくれる病院リストと、患者の居住区の地域性を考慮して、密室で狭い空間の車内で、交渉をし続けなければならず、如何にも不合理といえば不合理であり、かかりつけ医療機関と地域間連携をしていたとしても、搬送患者・家族が合意してくれるわけではないから、時間を要するのです。
むしろ2次・3次救急の対症ならば、ある程度、希望の搬送先を選んでいる場合ではないという緊急性において、有無を言わせぬ病院搬送優先で、患者側・搬送先の合意は得やすいのかもしれない。
この見解は、もしかして誤っているかもしれないが…今回私は、1次救急の搬送先交渉において、救急隊員さんたちのご苦労を、目の当たりに経験させていただきました。
私自身は、まったく救急隊員さんたちの活動のご苦労に、一定の理解をしていながらも、いざの状況になると、今回の経験の時のように、「そこの病院しかないですか?」の問い返しをしてしまっていたのだから、どんなものか確かではない。
できれば他の病院も当たってほしいとの要望をしてしまうのではないか?と思う次第です。
申し訳ないと思いながらも、知らない病院・評判のよくない病院のイメージを持っている場合、隊員さんには迷惑かけると思いながらも、自分の希望言葉を発せざるを得なかった心情があり、自己矛盾を感じてしまいました。
隊員さんたちの役割において、密室の救急車内で、瀕死の救急対応をされるあり方を想像できていながらも、いざ我が身がお世話になるとき、しかも軽症にもかかわらず痛みの酷さに耐えかねる時には、自己保身の労を強く要請してしまう心情に捉われてしまうと、なかなか自制できるものではないのかもしれない…と思って自省していますが……何ともいえないのかな?
今回、救急車内環境の狭き密室の空間・効率的で整頓された設備・実行手順など、救急車を運ばせながらの救命(救急)処置、絶えず観察と体調変化の感知、救急受診交渉および、成立しがたき更なる搬送交渉は深夜に於いて、限られた設備環境・条件の整備の連続、こうした任務のわずかな部分であったとしても、やりおおせなければならないという任務です。
身体活動は、静寂の要請と体力のフル回転の要請に冷静を持って応えなければいけないのですから、その大変さは、今回、具体的に見せていただき体験も致しました。
痛みの限界値を超え、治まりきれぬ身体の不都合を隊員さんたち3人の連携により、貴重な経験を過ごしました。救急隊員さんたちには改めて、感謝の気持ちをお伝えしたい心情にて、記述投稿いたしました次第です。
註(参考)*救急隊員は、24時間体制で待機し、119番が入るたびに、救急車で現場に急行します。
1日の大半は、救急車の中で患者の応急処置にあたっています。
近年、多く設置されているようになったAED(自動体外式除細動器)の使用方法を周知していることは、大切な仕事の一つです。
救急隊は、3人1組で動くのが基本で、うち一人は救命救急士でなければならない。
救急車の隊員になるには、消防士として勤務しながら、5年以上または2000時間以上の救急業務を経験し、さらに養成所で6か月以上の講習を受けることで、受験資格が得られる。