時々の散歩は、ほとんど一人散歩しているけれど、時には隣人(室)のお婆ちゃまとの二人散歩あり、また本日は雨天にて散歩中止!の不穏不機嫌になる時もある。
とはいえ、雨降る日は散歩しないと決め込んでいるのであるが、これは単に、ぬかるむ土は運動靴を汚し、足元は土に絡まれて不安定な足取りになり、こけ易くなっており“危ない“感が頭中に付きまとっていて、不安定な歩行になってしまう。
大袈裟なようでもあるけれど、転ぶのが一番怖い!
高齢者の転倒は起こりやすく、転倒すれば、悪しく骨折に繫がりやすい。
この町(わが町)は、大部分の田んぼが宅地化され、あれよあれよという間の5年間に、住宅街、大なり小なりのマンション群の町並みとなり、華やかで大きなショッピングセンターなども併設されていったものの、こじんまりした飲食店や、こ洒落た店などは、昔からその町にあるその町風景のままに、古びて立ち並んでおり、昔馴染みな地味さで、知る人ぞ知るなじみの客の行き交いが夜になると多く、昼間の活気は無いように思われる。とはいえ、幹線道路に面しての左右の店構えは、今までのようにありのままの営業スタイルで、なじみ客の夜の賑わいに支えられているのでしょう。
ある程度の町全体の開拓計画のもとで、田んぼが売り払われ、戸建て住宅の区画もあれば、マンション建の区画も入りまじりして、田んぼの整理が続いている。
ただ開発されてゆく変貌の素早さは見事というほかなく、新たな風景に見入って受け入れていくしかなく、全風景はどうだったかの記憶は、一瞬にして思い返すことが難しい程に、よく整備されていくものだと感心しているが、ふいっと 記憶消失の速さに、何かしら不思議な(と言えばいいのか…一抹のさびしい余韻が漂う、こんなことでよいのか?このあっけなさで、即、以前の旧き町並みの記憶は、簡単に抹消されてしまう)こんな感傷の思いになってくる。
あの路から行ってみよう。
この道を抜けてみよう。
昔、庄屋さんであったのだろう立派なお屋敷の門構えや、瓦屋根の重鎮に重なり合うお屋敷や、門構えといい、玄関口の扉が開いているときなどは、そこから続く玄関への道造りといい、広大な深みのある庭に林立する古木や花道は、素晴らしく落ちついて風情が漂う。
また、わずかに隙間のある塀から見える季節の花々は、さすがに何年も何年も繰り返し咲かせているのであろう、堂々とした茂りの中で咲いている花が、珍しい種の花でもあるからには、つい覗き込んでしまう。
「私達、物騒な人間ではないよね」しばし見入りながらゆるゆる歩けば、庭の主の方に、時には(ホントにめったに出会わないが)庭越しにお目にかかる。
思い切って「こんにちわ~。すみません!お庭見せて頂いてます~!お綺麗にお手入れされているんですね~」の勇気あるご挨拶の声掛けするチャンスが、少しずつ消えてゆく様は、街のコミュニケーションをしあえる幅までも狭くなり、むしろ途絶えてきているのを感じるこの頃は、感傷的に感慨を持つものでは無いけれど、味気ない散歩になりつつあるように思うこの頃ですね。
