“老い”の自己管理能力の行方

6月初めの某日、我が人生も80歳+1の歳を迎えました。
80代を生きてゆく未知の老い加減がやはり気になるのは、どなた様もそんなことを考えるでしょうか?!
80路の歳の功とは?改めて問うは、恥ずかしく可笑しなものよね?何を今更と思いながら、改めて心静かに目を閉じて振り返り見れば…しみじみ「確かに老いている」を感じてしまう。

“老いる”を感じ始めて十年を経過したではないか?と思うけれど、悲観すべき老いの衰えではなく、歳域に馴染んでいくように合っていくらしい。
得手の良い事、好きな事、には逞しく整った動きの所作がその人の自己能力として円やかに磨きがかかり、しかし穏やかな知恵が加わり「基素の手抜き」が深化して、その人の都合の良い能力に進化しているのではないか?と思わせられることが多い。

衰退どころか知恵袋になっていて、個性的でもあるから、私は、かみしめるように面白さを感じ、老人の「個性的な進化」を感心しながら受け入れて見直している。

要するに、一つの生活上の所作が間違っていようが、抜けていようが、或いは、スピード感が随分遅れようが正しい所作でやり切ろうとし、曰く真似ようのない、学びようのない独自の所作の方式が、そこそこにあるものだなと。

貶(けな)しようのない対応能力は、老化の始まりと共に個に応じた生活能力を駆使しており、サラッと「この先、面倒なことは避けて、柔らかく楽しく生きていこうではないか?」という事だ。
危なくないように、簡素な快適を求めて我が身に応じた工夫(と言うか手抜きというか)、良くもここまで横着人間になってくるものなんだ!!と良い意味で仰天する。

自身に係る負荷を減らす方向に穏やかに(端的に申せば、体力の消耗するような精力的な振る舞いではなく、限りなく、手抜きができる簡素な方向に舵を切り、面倒なことは回避して穏やかに長生きをするという方向に向かっているものなんだなと)。
不甲斐ない終盤の人生にしたくないとの思いは、老いの身なれば強く、身近な日常生活の縮小をはかりながら、自由な身動きを求め、健康を維持強化して小奇麗に楽しく、生活動作を整えて生きていこうと、そんな思いを常に願いながら過ごしているように思うのです。

生き方の流儀は、どなたも自己流を生きているのでしょう。
ま、生き方の自己流(自己の癖)と私は思っていて、ここはもう、誰にも触られないで自由に生きたいとの思いで、皆さん、今現在を謳歌しているのではないかと。

強がって言ってみても、人生80代は、老いを意識しないわけにはいかない。
老いながら我流をこなす我が癖を、おいそれと修正、放棄できないが、せざるを得ない局面も迎えざるを得ない。

できれば早くにそれができ“老い”の所作として、意識的に自然に受け入れていかざるを得ないのではないか?と今はそのように思う。我がシニアマンションで、皆さんと談話したり習い事を共にしたりしながら、老いの呟きは限なく聞こえてくる。

「つい2~3日前までは、できていたのに…。今朝起きると動けなくなっていたの」「首の骨が曲げると痛くって…。肩も思うように動けなくなって…嫌になっちゃう…」「さっき覚えたこと、さっき息子から電話かかってきたこと、新聞読んでも直ぐに記憶から消える…」「ヒザ・腰が痛くて曲がらない。手の指が今朝起きたら動きにくく、握力も出ないのよ…」
どこかしこでそのような老人のつぶやきが、時には笑いになって、或いは、悲しげな哀歌調になって聞こえてくる。

ある日突然に、嘆き節を…。
悲しいかな老いる(老いた)ある日突然の有り様を、受け入れる受け入れないの問題ではなく、共有し合うお仲間の中に群れて、老いを受け入れてゆく同化作用が働くというエレジーは、「悲しみよ こんにちは」の淋しさは何気に根底にあるように思う。

もちろん口に出して、「いつお迎えが来てもいいわ。早くサッサと来てほしい」などとおっしゃる方もいるのではあるけれど、死について爽やかな語らいをしたことは無い。
其々の高齢を生きる方々の幸せな時間がそこにあると感じられるひと時が共有されながら、日々を過ごせればと思うこのごろです。

ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。