生活習慣の軽視:認知症は密やかに進行している

日本は高齢社会であることは、既に国民のだれもが承知しており、ある意味誇りにしているのではないかと思われる。
(だがしかし…)少子高齢社会というフレーズになると、とても喜べない軟弱性を帯びた一国であり、アジア圏を見渡しても、逞しさは蔭ってしまっている。

男女ともに平均寿命が延び、日本人の平均寿命は、男性が約81歳、女性が約87歳(小数点以下省略)と40年もの長い間、世界に誇れる高齢1位を保持しているようです。
(蛇足ながら、身長は男女ともに高くなっており、20代男性は172cm、20代女性は158cmというから羨ましさを感じたり…世界的には…どうでもいいですけど…)

ところで、この10年ほど、特に近年盛んに「生活習慣病の予防対策」を合言葉に、多くの国民の合意を得て(私の認識)、血液データを中心に、綿密で正確度の高いデータ集計・分析・疾病の科学的論点を明確に、健康と生命の延長へのわかりやすい道程(日常の一般的で健康的な生活習慣、生活習慣上から影響される疾病への道程)と治療方法の理解と実践=生活習慣の修正と手ほどき、不摂生な生活習慣からの脱却、生活習慣病の根絶への根拠など、大きく整備され、私たち国民すべてに、還元されるべく生活習慣病からの脱却作戦は、これはやはり大きな改革であると改めて認識すべき、生活習慣改善の主軸であって、多くの国民に等しく問いかけられるべき是正の呼びかけで、健全な命を繋ぐ=寿命の延長・健康的で快適な生涯・生活の本流を生きるという意味で、大切な施策であるとの認識はすべきことである。

遅まきながらという感性は、決して手遅れという事ではないが、改めてお知らせしたいのは、この生活習慣病の蓄積物質の蓄積過程には、認知症が蓄積し始めているのであり、実際60歳頃から、認知症状が出始めてくるという患者数の増加が加速している状況には驚くばかりか怖いのである。
(勿論、すべての人々にそうであるわけではないが、早期発見をすべく知識は、予備知識として持っておいた方が良いのではないか?と思うこのごろです。)

20年前頃からだろうか?生活習慣病が老後の健康状況を左右するリスクとして、警告を鳴らし始めたが(本当はもっと以前から発信していたかも?ですが、認識の浸透には、時間がかかるものだな~と恐れを感じている)

トホホな現状認識にいたっているのですが、現在、認知症患者の数は600万人以上に急増しているというわけで、データ的な驚きは、結構実感できるくらいに身近になっていて、認知症を発症している方々をお見かけすることが多くなっているように思います?

このように書き始めた私自身、1年前くらいから、ある一つの私の仕草に、「ウン?!ちょっとこれ!?」身近な方々に問いかけても、「それって考えすぎなんじゃないの?」と往なされては、「確かに~!神経質になって、度はまりしてしまうのは、いかんわね。しっかりせい~っ!」と発破をかけながら、感傷からの解放を図ってきたものの…。

今年になって、脳循環の不良感と頭痛、身体全体の重怠さを感じ、夜間の診療時間を待って、神経内科を標榜するクリニックを受診したところ、“何んと! 血圧の最高値が78?!…?” Dr.は、即、頭部X-P像をもって、“身体の水が足りてない、脳に水が流れてない、梗塞を起こす状態!脈拍弱い”等々、静かな声ながら、“これは大変“と、慌てている雰囲気で、看護師さんに指示を出し、血液検査及び点滴を受けることに。その場の応急処置をしていただき大きな一安心を得て、私の身体状況は、緩やかに元気を取り戻し、やがて呼吸も落ち着いてきたようで楽になってきたところで、点滴が終了し、一先ずは安心の独歩で帰宅した次第となりました。

「高齢を歩む方々の平均的な認知症に至る兆候がある」との指摘は、ある種(お前もか?)のショックを感じましたが、どういう訳か?悟りの境地感みたいな鷹揚な感覚で受け止めていたようで、遠隔地に住む息子に連絡を取り、紹介していただいた大阪府内の高齢者専門病院の受診の同行をお願いして、これからの生活において、脳に宜しくない生活習慣からの脱却をはかることにしようと決意した次第。
生活習慣病からの脱却を、今直ぐ始めていかないと、認知症からの脱却は免れない。
どころか、確実に認知症=ボケが始まるとの警告を素直に受け止めて、歩み始めているところです。

この生活習慣病は、確実に予防できる病気であり、また、この疾病群を発病させてしまうと、難治な(と言うかこじらせてしまうと治療に難儀をもたらせてしまう)という観点から、私事の一文を掲載させていただきました。ご参考にしていただければと思います。

“老い”の自己管理能力の行方

6月初めの某日、我が人生も80歳+1の歳を迎えました。
80代を生きてゆく未知の老い加減がやはり気になるのは、どなた様もそんなことを考えるでしょうか?!
80路の歳の功とは?改めて問うは、恥ずかしく可笑しなものよね?何を今更と思いながら、改めて心静かに目を閉じて振り返り見れば…しみじみ「確かに老いている」を感じてしまう。

“老いる”を感じ始めて十年を経過したではないか?と思うけれど、悲観すべき老いの衰えではなく、歳域に馴染んでいくように合っていくらしい。
得手の良い事、好きな事、には逞しく整った動きの所作がその人の自己能力として円やかに磨きがかかり、しかし穏やかな知恵が加わり「基素の手抜き」が深化して、その人の都合の良い能力に進化しているのではないか?と思わせられることが多い。

衰退どころか知恵袋になっていて、個性的でもあるから、私は、かみしめるように面白さを感じ、老人の「個性的な進化」を感心しながら受け入れて見直している。

要するに、一つの生活上の所作が間違っていようが、抜けていようが、或いは、スピード感が随分遅れようが正しい所作でやり切ろうとし、曰く真似ようのない、学びようのない独自の所作の方式が、そこそこにあるものだなと。

貶(けな)しようのない対応能力は、老化の始まりと共に個に応じた生活能力を駆使しており、サラッと「この先、面倒なことは避けて、柔らかく楽しく生きていこうではないか?」という事だ。
危なくないように、簡素な快適を求めて我が身に応じた工夫(と言うか手抜きというか)、良くもここまで横着人間になってくるものなんだ!!と良い意味で仰天する。

自身に係る負荷を減らす方向に穏やかに(端的に申せば、体力の消耗するような精力的な振る舞いではなく、限りなく、手抜きができる簡素な方向に舵を切り、面倒なことは回避して穏やかに長生きをするという方向に向かっているものなんだなと)。
不甲斐ない終盤の人生にしたくないとの思いは、老いの身なれば強く、身近な日常生活の縮小をはかりながら、自由な身動きを求め、健康を維持強化して小奇麗に楽しく、生活動作を整えて生きていこうと、そんな思いを常に願いながら過ごしているように思うのです。

生き方の流儀は、どなたも自己流を生きているのでしょう。
ま、生き方の自己流(自己の癖)と私は思っていて、ここはもう、誰にも触られないで自由に生きたいとの思いで、皆さん、今現在を謳歌しているのではないかと。

強がって言ってみても、人生80代は、老いを意識しないわけにはいかない。
老いながら我流をこなす我が癖を、おいそれと修正、放棄できないが、せざるを得ない局面も迎えざるを得ない。

できれば早くにそれができ“老い”の所作として、意識的に自然に受け入れていかざるを得ないのではないか?と今はそのように思う。我がシニアマンションで、皆さんと談話したり習い事を共にしたりしながら、老いの呟きは限なく聞こえてくる。

「つい2~3日前までは、できていたのに…。今朝起きると動けなくなっていたの」「首の骨が曲げると痛くって…。肩も思うように動けなくなって…嫌になっちゃう…」「さっき覚えたこと、さっき息子から電話かかってきたこと、新聞読んでも直ぐに記憶から消える…」「ヒザ・腰が痛くて曲がらない。手の指が今朝起きたら動きにくく、握力も出ないのよ…」
どこかしこでそのような老人のつぶやきが、時には笑いになって、或いは、悲しげな哀歌調になって聞こえてくる。

ある日突然に、嘆き節を…。
悲しいかな老いる(老いた)ある日突然の有り様を、受け入れる受け入れないの問題ではなく、共有し合うお仲間の中に群れて、老いを受け入れてゆく同化作用が働くというエレジーは、「悲しみよ こんにちは」の淋しさは何気に根底にあるように思う。

もちろん口に出して、「いつお迎えが来てもいいわ。早くサッサと来てほしい」などとおっしゃる方もいるのではあるけれど、死について爽やかな語らいをしたことは無い。
其々の高齢を生きる方々の幸せな時間がそこにあると感じられるひと時が共有されながら、日々を過ごせればと思うこのごろです。

この頃の日本(もしかして世界)は、どこか?怠い感じがしていまして

5月5日、ニューヨークにある国連本部にて、“平和の芽”と冠された被爆樹木の植樹式が行われました。
それはそれで、歓迎すべき“平和への祈り” “戦争はしてはならない”
意志表示のシンボルと受け止め、非常にシンプルなメッセージですよね。

一方、ニューヨークでは、トランプ大統領はアメリカの政権を担い、世界的に影響力を持つリーダーとして、世界を支配する力を持って、好戦的に世界を煽るようなメッセージを発表されています。
(トランプさんは、本当は確かに、戦争は嫌いとの意思を持っておられるようですが)、高圧的で強力な意志の伝え方は、無策な政権の方向性を声高に申されるものの、無益な戦争を招く方向に、無作法に吠えている(ように見えてしまうのですが)。

5月5日に伝えられた、上記の二つのニュースは
“聖なる静なる平和の祈りの大樹に育て!”
との願いを込めて、ニューヨークの国連本部の庭の片隅で、植樹式が行われたのだけれど、戦争終結・核無き平和への祈りへのメッセージの強力さは、どう伝わったのだろうか?

“トランプさんの政策は、戦争を煽る好戦的な意思”を示すかのようで、その先の無策さが無責任すぎて、“世界の不安定を招く”ように思え、世の中のざわつきを、これ以上、招かないでいただきたい。
戦争は増えこそすれ、治まることなき世界の様相になりはしまいか?
不安の幅は、広がり怖いなと思いますね。

リーダーとしてトランプさんは、トランプさんでさえも高齢の謗りを免れないのだな?と思わざるを得ない場面を、ニュースで垣間見たことがあります。

その時は、やはり多くの高齢の皆様と同じく、精悍さや溌剌さに於いても、既に過去のお方なのではないか?と、思わされるおぼつかない場面があり、やはりこのような大役を任せられる年齢は、トランプさんと言えども、過ぎ去っていますやん…と思って見ているのは確か。

勿、私など同氏のことを、そう安直に物申せるわけではないですから、しばらくは、この方の動向を注視していくことになるのですがね。
氏の頭の思考回路の頑丈さは、まだまだ衰え知らずで、任せられるリーダー・政治家なのだと、かろうじて思うのではありますが、とんでもない番狂わせの政治になるのかもしれない。

も少し端的に、経済を再生させる方向に、経済力の番狂わせのような封じ込めではなく、アメリカファーストに陥ることなく、世界観的視野で戦争をなくし、経済の再生を図る政策を打ち出してほしいと、これは私の単純な願い事なわけです。

何しろ私は、今は特に単純思考ですから、戦争に至る道は、身近なあちこちにばら撒かれているのを感じていて、他人事ではないと強く意識しています。

日本の政治家も、気怠い感じから脱して、緊張感のあるヤル気で奮起してほしいですよね。
全うな緊張感のある政治核を以って、有意な活動をしていただきたいと、思うこのごろです。(私自身、怠いではないか?謝!)

山河が権利を主張する:「格差」の言葉のテリトリーとでもいえるのかな?

古くから、人間も自然の中の一つの存在と考えられてきた

この文章自体は、毎日新聞論説委員の(小倉 孝保氏筆)論説文の終盤で問いかけられているのですが、ここまで読み進めてきて、私は、静かに文全体が問いかけてくるテーマに気づかされたようで、氏が冠した表題「ビワの木は切れない」に引き戻され、再度初めから読み直しながら、ホットした気分になり、ここでお茶を一服。

まったり感のある冷め始めたお茶に、やや苦味を感じながら、新聞のこの文章の初めからは、主題の主張がどんなものなのか、その推察はできないままに読み進めてみた。
「ビワの木は切れない」という主題の神髄に、共感を覚えていくのを感じ、とても希望的な気持ちをもちましたね。
(実は私、ビワの実が大好き人間。6月生まれの私の誕生日には、いつも初取りのビワの実が添えられていました)私に飛び込んできた、「ビワの木は切れない」は、そんなわけで単純に共感的だったのでしょうね。

興味を持って、楽しみに読み進めていったというわけでして、共鳴感が先行して読み進め、所々に、論説者の文言にハッとさせられながら、山や川は人間のように思考したり、発言したりはしない。
保護の対象になっても、その主体にはなりえない。
そう考えるのが一般的だろう、と。

2月7日の毎日新聞の金言欄で、「ビワの木は切れない」と題して問いかけられていて、面白い問いかけだなと興味深く読ませていただいた次第です。
一応、下記に全文を掲載しておきます。皆様、「樹木がスタンディングを持つべきだ」との思考の勧めをご一読されてみてはいかがでしょう。
面白く有意義な、これからの思想というか思考の流れではないでしょうか?

 

2025年・新年の始まりは、穏やかでした。そして能登半島??・!!

清々しく気持ち新たな新年2025年のご挨拶を申し上げます。

昨年の1年間の出来事を振り返れば、なんと申しましてもやはり、石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.6の地震と津波被害における400人を超える(計475人)の死者数を出してしまいました災害です。

平成以降の自然災害では、死者数の多さにおいて、東日本大震災・阪神大震災(1995年)に次ぐ3番目の多さとなってしまいましたが、皆様の記憶に深く生々しく残っていることと思います。

殊に、輪島市や珠洲市は、小さな集落が山間に点在しており、TVに映し出される被害状況には、その悲惨さに心を痛め、半島の陸が孤島化してしまっている現状を直視するには、無情な映像が放映され、八方ふさがりの惨状に、苦しみを覚えたのを思い出します。

集落につながる道路の土砂崩れの映像は、昔々旅行したあの静かでキラキラした半島の景観に魅せられ馴染みのある風景で、深い感動を持っていたましたが、集落間の行くに行けない、戻るに戻れない分断の有り様を目の当たりにしては、その惨さを思いやられ、早き復興をお祈りしたものでした。

そして約1年が経ち、ニュースとして、又ドキュメントとして映し出されたその1年後の姿は、遅々として回復が進んでいない現状に追い込まれ、ふてぶてしくも1年前の被災直後の儘に、朽ち始めてしまっている倒壊風景を目の当たりにした衝撃は、さらに確かに大きく、殊に交通の分断が今尚続いている。
何らかの交通の代替手段さえも充実していない…云々の悲惨さに唖然としたものです。
復興が一向に進まず、交通の復活も寸断されたままの状況が長引いている。

それだけでも、相当なショックを受けた上に、更なる豪雨災害を受けているこの映像のショック度は、相当に大きかったです。

この時、三度目の能登訪問を果たされた両陛下の被災地に復興の願いを込める思いが、能登の皆様には胸深く伝わったのではないでしょうか。

TV・新聞紙上では、2024年の終盤の12月、私はようやく、1月の石川県能登地方を震源とした能登半島の地震被害に重なる豪雨のダメージの大きさの詳細を知りました。

復興に至らぬ遅延を、より長期化させて疲弊感漂うその悲愴さが、胸痛く伝わってきました。
私は、実際、現場を見たこともなく遠目な場所から、ニュースやドギュメンタリーでのTV映像や、時々の取材による新聞記事などから情報を得ているということで、詳細を知らないが、大体の様子を知っているというあやふやさでもって、おいそれと知っているごとくに、悲惨さや人々のご苦労について、何かしら少しは寄り添って胸を痛めていると、思い込んでいて、実際この現実を直に見たわけではないし、ボランティア活動にも参加していない立場で語っている。

我ながら眉唾物ではないか?と恐れ入る思いで書き連ねているというのが真相なわけです。
ではあるのですが、映像や新聞を通してではあっても、復興の遅れは歴然としていて、新年2025年(令和7年)初頭、1年前の能登半島震災からの復興は、今に至っても、今まで…???何をしてたの??復興作業がこれほどまでも進んでいない!!
と誰もがそう思ってしまう現状を思い起こし、殺伐さ感が長引く日常からの復興を心底、思いを寄せ続け、復興への階段を滞りなく進行されていくことを願い、関心を寄せて、其々ができることの手を差し伸べていければと、そのような始まりとして過ごして参りたいと、年の初めに思いを新たにしている次第です。

そのためにも健康であること、楽しくあることが大切であると思います。
皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

皆様にとって、どのような新年の始まりとなりましたでしょうか?

新年の祈りを書きおさめてみました次第です。

のらりくらり …?!と 思いきや!早やっ!?冬が来た!!

風波は、素直に心地よき季節の到来と思い巡る間に、冬来たりの季節で寒くなりました。
身体全体が、何気に心地よく軽くなり、秋から冬へ渡る季節感の心地よさは、今ならではのはじまり。
この季節は、流石に豊かなプラスイオンの高みに誘われているように思われ、秋と言えば、色づく山野の紅葉風景は、ブルッと寒さを覚えたら、直ぐに冬の到来を思い染み入る寒さの始まりを覚悟する。

秋冬の折り合う頃、まったりと熟し始める不思議な風向きを感じて、処々の市場に供される農作物や海産物の食材が豊かに出そろい、これに開眼されて、見渡せば、秋の実りの刺激が冴えわたっている。
見ごろ食べごろに並んでいる産物は、夏場からのお疲れモードを吹き飛ばし、身体は軽やかな動きに転じ始めるという、健康快事な話になるのです。
何食わぬ顔して、秋の名残を堪能しながら、冬暦に突入している今日この頃と言えそうです!?

間もなく冬至、西高東低の冬型の気圧配置は、冬に良く現れる気圧配置というらしく、日本海側を中心に雪が降り始めるらしい。
着目ポイントは、天気図上に描かれた等圧線で、等圧線が何本も並び間隔が狭ければ狭いほど、日本側から強い北西の季節風が吹きつけるという(註:これは強い冬型の気圧配置といわれる)。

冬至は12月21日。
1年のうちでもっとも昼が短い日、そして最も早い日の入りは、12月上旬ということである。(為:参考)

さて、今はもう、12月中旬となりました。
インフルエンザの感染者数が、増加してきています。
感染は高齢者に向かって、容赦なく拡がっているようで、症状として、発熱、頭痛、全身倦怠感、筋肉痛・関節痛や、鼻汁・咳などの呼吸器症状がでているという。
通常の感冒と比べて、全身症状が強いのが特徴で、症状のみで新型コロナウイルス感染症との鑑別は困難なようです。

2025年の新年に向かう年の瀬の過ごし方に、十分注意を喚起して過ごさねばと、皆様、心して、感染対策(外出後の、うがい・手洗い・水分補給・風邪予防の防寒・あったかい栄養食などを食べるなど)、より気を付けて過ごしましょう。

そして来る新年、クリスマス・日本のお正月に突入していく2024年の終わりを元気に過ごすことができますようお気をつけて、そして気持ち良き新しき2025年の新年を迎えましょう。

2024年の終わりのブログは、来年の幸せの祈りとして、発信させていただきました。

皆様のご健康とご活躍をお祈りしております。

夏過ぎて秋となり…!? 気候の変わり目を日暮らす日々!!

秋の名月を愛でる静かな喜びは、素直に心地よき季節の到来と思い巡らせ、楽しむことが多くなりますよね。

健康的で、健全な営みの意識が高まる季節と心得れば、身体が自ずと気まわりの心地よさを知らせてくれるようで、日常の生業が穏やかに力づけられていると思われる?不思議な秋の季節。

いやいや、人々は秋の色とりどりな山野の風景や、食材が豊かに出そろってくれば、眼の包容さは、勢いよくメロメロに。
秋の紅葉・果物の収穫は、ほんのひと時とはいえ、夏場からのお疲れモードを吹き飛ばし、身も心も軽やかにしてくれてありがたい。
すべて能動的な心地よさに包まれると、身体の動きが軽く感じ、感謝の気持ちが慎ましく蘇えって来るようですが…。

超高齢者同士2~3人が、ゆるゆるお散歩会話しあえば、笑いあり、変な話のヒソヒソ話あり、抑揚感の共有、非日常的な集いとなり、ある種の拘束感からの解放、決して一人では為しえない面白さ、楽しい「時間」の創作となり、思いっきり笑って声を出して、何かおしゃべりのチャンスあり、自己表現しえる至福の時間と言ってもいい貴重な交流が広がるのです。

秋の空は、女心にも男心にも例えられ、如何様にも楽しめますし、家の周りの色づきに気が付いて植栽の木々や草花を見やり、おもむろに、空を見上げれば、青空に漂う雲までもが、風の流れに揺らめき穏やかに時には繁く流れ動く。

そして何時の間にか雲の絵面が如何様にも変わるものですから、何時までも追いかけたくなって、お空を見上げたままに歩けば、当然危なく、足元に気をつけなきゃあ…と気がかりになって、お互い注意喚起し合っている。

もたもたとお互いを気遣い合いながら歩くうちに、ほどなく、だれ彼となく周辺の景色に目配せして話し出す迷走という不思議の力。
樹木や草花の名を、「ほれほれ、アレヨアレ、何だったかな、あそこに行ったときにも咲いてたよね、あの花ほらっ!名前なんだっけ?あゝ出てこない、わかっているのに出てこない、とにかくこんなにきれいに咲くものなんね~なんだったっけ?秋に咲くのよね~!」
「そうなんよ!私もここまで出てきて、あなたの慌てぶりに引き込まれちゃって、名前が出てこない。あゝ…すぐそこまで出てきてるのに~!涙でる~」
などと戯れ笑い合う構図は、決して終わりのない嘆きあいというべきか?
秋の温度感を受けとめ、うれしさひとしおの感情が高まっているというのに、まとまりようのない時間が過ぎゆくのです。

しかし、高齢と言えども皆さんの感性は、繊細にして幼児の様に柔らかい。表現は確かで、ある意味、ヒントを得ながら本名にたどり着くという不毛さを抱えながら、聴き学べる時間であり心が弾ける貴重な時間なのです。

こうして話ていると、私自身は、おばあちゃまの世界に、どっぷりはまってきているのを自覚してきます。
現在のシニアマンションに引越しして3年余。
近頃は、居住者がドッと倍増し、その勢いは、新しき居住者様の名を覚えることできず増加の勢いに押され気味。

秋の季節は、早々と冬に向かうのだろうか?まだまだ暑さ厳しく、しかし、秋めいているのを感じて、うれしくなるこの頃です。

夏過ぎて秋きたる…!? 体力強化の季節と心得るなり~!!

ようやくに秋来たりて名月を愛でる静かな喜びは、素直に心地よき季節の到来と心得て如何様にも思い巡らせては、楽しむこと多くなるものですね。

健康的で、健全な営みの意識も高まる季節と心得れば、体力強化の季節と力づく思いが強くなる。
いやいや体力ある限り、人々は秋の色とりどりな山野の風景に靡かれては、メロメロに。
お疲れも何のその。身も心も軽やかに動き始めてありがたい。
すべて能動的な心地よさに、身体の動きが軽やかになっているのではないでしょうか?

実り多き秋の収穫はありがたく、家の周りの木々、草花、空の雲までもが風の流れに揺らめき、ほどなく周辺の景色に目をやれば、既に秋の終わりを知らせる景色への色づきが巡りくるのですから、意識しようとしまいと、優しく秋の温度感を受けとめることができ、うれしくなるものです。
殊に、あの秋の空は、女心にも男心にも例えられ、如何様にも変化する様は結構楽しめますね。

さて!秋の季節になってきた近頃は、まだまだ暑さ厳しくはあるけれど、なぜか秋めいているのを感じてうれしくなります。
そこで、早速ながら、体を鍛える季節と心得て、運動習慣を身に着け、日常生活上の体力のリセットを試みる時なのです。

実は私は、昨年の後半から、一定の運動(標準歩数+α歩数≒1日1万歩)を努力目標に設定し(ちょっと多めですけどね)、脚力強化を意識して「足の膝あげ歩行」で歩行してみることにしていますが、案外な歩数を歩けているのです。
少なくとも1日6~7千歩は歩けており、プラスして、我が室内歩数を1千歩に設定、プラスマンション館内の所用歩数を2~4千歩として計算すれば、1日1万歩前後となり、この設定は1週間試行しても、負担感もなく、そのペースで努力している最中ということになります。
まァ、高齢者は、ちょっと休んだだけでも、筋肉が固まりやすいため、まめに動いている方が良いと言われます。
実際、そういう筋肉の固まり感は、皆さん経験する事が多いですよね?納得な話です。

1日1万歩を目標設定して、始めたのですが、身にかかる負担の加減(身体への負担感の重さ回復速度や回復過程のバランス)がとれるようになれば、標準設定されている歩数より、少し上を歩いてみたくて、身体に感じる快感・負担感は大丈夫か?慎重に機敏に察知するように構えて(通常時と歩行後の脈差とその数値回復時間など)仮設定ながら実施してきたのです。
当初、良き設定かどうか解らなかったけど、とにかく1か月間は、負担感なく歩けて、満足感があり、足全体の筋肉(と言って良いかどうか?)の重量感が感じられるようになり、肉付きが良くなってきたのは確かな実感です。
両脚の運び方も、結構軽やかになり、日常的に、これくらいは歩ける、という確信と、安定した体力の保持ができるという自信となって、挫折感には至っていないのです。
と思っていた矢先のこと、とんでもないしくじりエピソードとなるのですが、私は夏場の異常な暑さをしのぎながら、午前中のボイス・トレーニングに行く往路、余裕あるバス時間を見込んでバス停に行ったところ、既に発車してしまった後。

次のバスは、1時間待ちで、レッスンには間に合わない。さてどうしたものか?
30分~40分かけて歩いて行かなければならないその道は、平坦な道でありそうで、曲がりくねった緩い坂道や、もう少し傾斜のある長い道もを歩かねばならず、お日様は高く照り付け、熱射が酷い。
昔ながらの豪奢な家並みが、うまく影を作っているのだが、すべての家並みがそろって影を作ってくれているわけではなく、秩序のない日照りがあり影ありの緩坂道は、やさしい影ばかりを作ってくれてはいない。
ほんのお裾分けのような影道を、ありがたく思いながら、確かな足取りで歩いて、やっとのことレッスン場にたどり着く。

汗にまみれ、吐く息は荒々しく、しばらくは、ゆるりゆるりと腰を曲げては伸ばし、伸ばしては曲げをしながら体調整備や汗取りをしなければならなかった。
このしんどさは、その後日、私の体調に大きく影響したことは間違いない。

翌朝、へばった身体は、しっかり脱水症状を呈しふらつき状態で、まもなく近くのクリニックを受診したところ、血圧は最高値78と低く、左手の痺れ感も含めて、危険な脱水症状をきたしていると。
(実は、昨日家に着いた後は、休息もし、水分を補給したつもりでした。)が、クリニックの先生に、水分量を問われ答えると、「そんな水分量で飲んだことにはならんよ。この血圧の低さ、これは血が巡っておらんし、脳血流も滞って、梗塞起こしてたら大変だ」「いかにも少なすぎるではないか。もっと飲まないと。この暑さでそのくらいの時間、外出するなら、ペットボトル2~3本ぐらいは補給しないと」とのお説教。

確かに、夜は怖いと思いながら、水分をまめに補給する(補給し得てると思っていたが)、頭痛を伴いながら眠れぬままに朝を迎えた次第で、早速、クリニックの先生に診ていただいたその時は、クリニックの冷蔵庫に冷やしているペットボトル水を飲ませていただき、一命を取り留めたと言えば、大げさな~!と言われそうですが、先生に叱られて、頭ふらふらしながら、しっかり飲ませていただき、即、市民病院の脳MRI検査となり、映像では、やはり血流の悪い個所が2か所見つかりましたが、無事、大事を見逃すことなく、早期の対応が取れ、無事に経過したということです。

猛暑が続くこの夏場は、もう終わろうとしているのですが、残暑の暑さは、まだまだ厳しく、依然として水分の補給を怠ってはいけない状況が続きます。
水分を補給して常に血液の流れを良くしておくことが大切です。
皆様は、既にこうした状況も心得て、お過ごしのことと思いますが、私が申すことではないのは承知していることながら、多少、自嘲気味に、念のために申しあげました!!残暑厳しき折柄、お気をつけてお過ごしくださいね。

夏場の日照り最中の歩きは、老いも若きも…ハテッ?

私は、文句なしに“夏場に弱い女”
どうにもしようがなく、夏季の苦痛から逃れられず、我が身を削るように弱っていく。
老いの身にとっては、夏の熱波の体力消耗負担は、二重に重なる苦痛。
身体動作の対処にまごつき、一つ一つの動作が、サッさとスムーズに運ばない。
手がかかり、時間がかかる。
その上、身体の動作が今一つ安定しない平衡感覚の鈍麻は、転びやすいとあって、慎重になるものだから、結構余分な力量を使っているんじゃないか?と…。
夏場の我が身を遠巻きに眺めてみると、もうほんとに御婆ちゃん状態になっていて、滑稽すぎて笑えても来る。
いやいや、そのように貶めて考えるのは止そう!!
大切な命を永らえて今を生きている身ならば、加齢なる滑稽さ、退化への成長過程を受け入れ、時には丁寧に退化の流れに抗してみるのが良いのではと思うが…
とんでもない奇策を考案して周囲を驚かせてみる、という意気込みや楽しみを増やし、愛しみを深くして生きていくのがいいのではないか?
この頃、つくづく我が身の老いる力に、抗すべき何かの手立てを考え実行してみる方法がないものか?と。

しかし、ちょっと老いのボヤキを言わせていただくと、何事の所作も一手間多く、掛かるのを自覚し気持ちが萎えてしまう事が多くなり、弱気に引っ張られてしまいます。
ボヤキを口に出せば、それは良くないという認識はある。
何しろ、顔の表情筋活動が減り、表情の豊かさがなくなり、活き活きしなくなってくるのは確かだから。
さらに、ボヤキを口に出さないようにしているとはいっても、思いっきりボヤいてリセットしてみたくなるという気持ちのざわつきがあるのは、どうしたものか?
何度も支度を繰り返し、一度できれいにすることが段々できなくなり、何事にもドンくさくなっているのである。

時には息子に叱られることもあり、息子の励まし・愛情ある応援叱咤と思うも、さすがに、息子に直言されると、悲嘆のどん底に突き落とされたように悲しくなる(もう少し優しく言ってよネ)。
息子とは離れて暮らしているためか、久しぶりに帰ってきては、母の日常生活動作上の衰え、できていたことができなくなっているなど、高齢ゆえの衰えを見たり感じたりするのは、息子なりに悲しみになっているようで
「僕がキツイ目に言ってしまうのは、そんなお母さんではなかったのに…と思うと悲しくて…!?…、お母さんに発奮してもらいたくて…お母さんに元気で居てほしくて…。つい刺激的な発言になってしまう。お母さんが、僕のそんな返しに、元気な反発とか反応してほしいと思って…。けどつらいことは僕に言ってくれればいいんだから」と。
母は、涙がボワ~!出てきそうになる。
「ありがとう。解ってるよ。でももう少し優しくいってほしいわ」
確かに息子は優しい。街歩くときなど自然体でレディーファーストの巧みな先導・寄り添いをしてくれ、とてもうれしく楽しい時間を提供してくれ、とにかく優しい。
何の不足もない。息子なりに久しぶりに見る母親の老いた姿は、淋しく忍びなく、しみじみ感じるものがあるのでしょう。
彼の繊細な優しさには、母としては幸せ感に満たされるひと時です。

高齢の日常生活を自立して、一人で生きている場合、生活上のアレコレに関しては、自分流に省略をし、丁寧な所作で毎日を過ごすよりは、身軽くこぎれいにできるだけ負担を省き、手早く済ませるという活動習慣を、身に着けていくことが多くなり、我流に便利よい生活動作をこなし面倒くさいことは省略の一手を使いまくり、et ceteraなのです。

重労働になってしまって、身体全体が参ってしまう前に、後期高齢の活動変化を感知しながら、簡素な生活習慣・生活空間を作っていくことが、必要ではないかとつくづく思うこの頃です。誰かが何とかしてくれるのではなく、自分自身で生活の楽しみを簡素に創造していけるならば、ギリギリの限りまで、これほど楽しく、自分らしく生きていくならば、素晴らしきかな人生であったと、自分に言い聞かせることができるのではないかな?と思いますね。

私自身、夏場の猛暑続きに対しては、簡単に脱水状態になって死を招くというプロセスが、他人事ではないという大きな恐怖心になっていまして、そうはなりたくないという思いは人一倍あるのに、脱水予防・エネルギー不足防止・低血糖予防の対処をしっかり自覚して、外出しているとは限らず、むしろ無頓着ではないかな??
ただ後期高齢者は、体調の変化・我が身に起きた異変を感知しにくいことは、確かにあるように思います。
いずれにせよ、今年の夏は、猛暑・炎暑・激暑なのであり、老いも若きも相当に堪える夏場ではありますね?

皆様、夏場の過労や睡眠不足を防ぎ、脱水予防のために水分補給は十分にまめに行ってください。
そしてこの夏場、元気をキープして過ごしましょう。

大阪関西万博会場の「はて?」…驚きの感動・期待感はありそうですね!

最近やたらと、木造高層ビルが建てられるようになってきて、それって!規制されていたのではなかったか?はて???地震・雷・火災の惨禍!如何なものか?

関西に再び万博開催の話は、嬉々として受け入れていなかった私としては、尚更の違和感やら牽制感が頭を巡らせたものです。

不快極まる思いで、世の中を見まわしてみると、建築界はまさに木造高層建築へとまっしぐらの叡智でもって、すでに建設を可能にしていたのですね。
建築上の法律の改定もあり、近代建築の最先端を進んでいるのでした。
木造高層ビルの手法とは…鉄筋コンクリートの高層ビルが建てられてから116年も経つというのですから、私達の世代が共有している高層ビルの感覚からすれば、万博が終わればすぐ解体されてしまうという思いが先行してしまって、冷めてしまいます。

白い眼の妬み心が呟きもして「それで大丈夫なの?」なんて、生意気にも不安を感じたものでした。
が、そこは既にもう…世界的な建築の手法で、屈強な鉄骨の高層ビルではなく、人にやさしい、環境にやさしい木を利用した木造高層ビルの万博会場・パビリオンが出現するということで決定しているのであって、知識の浅はかな早とちりは、しないに限ると恥じ入った次第で、知識のリセットをしたものの、施政上の対策として「関西万博への再挑戦」は、まだちょっと解せないままでいるけれど…。

 

1970年、世界の国から「こんにちは大阪万博」の開催は、当に「日本の夜明けの時代」。

48年後に至り、不景気感の漂うその時、そして間もなく、新型コロナウィルスの世界的な感染流行直前の2018年11月23日に、フランスはパリでの第164回BIE総会で、万博開催国決定の投票が行われ、「2025年日本国際博覧会(大阪万博)」が決定しました。

2025年5月~184日間(開催期間4月13日~10月13日、開催場所は、大阪湾に浮かぶ人工島・大阪夢洲にわたり開催される大阪万博が決まり、会場建設は「木造の高層ビル建築」が認められました。
建築に関する法律的な改定は2010年、「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」が施行され、さらに2021年に改正された「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律(通称・都市<まち>の木造化推進法)ができ、これにより、建築法が国や地方公共団体とともに、木材利用に取り組む「建築物木材利用促進協定制度」が創設され、行政上の補助金制度なども整いはじめて上記の大阪万博開催が決定したという経緯があります。

現状は、コロナ禍後の想定外の混乱があるなかで、各国の出展準備の遅れ・会場運営の整備も整いにくい状況となり、賛否渦巻く大変なことになりましたが、撤退することは回避され、継続させる強気を通すなど、緊張の終盤整備という今の状況になっているようです。

ここまでの道のりは、経済効果の減速や、これ以上の経費削減どころか、止む無き経費上乗せなどに対して、やはり「撤退」の賛否が、感情的に声高に取り沙汰されるなど、波乱を招いているのですが「大阪万博は開催する」の毅然とした段取りを調整、突貫的な工事日程を整えて、完成の方向に向かっているようです。

今更、何を躊躇する?
強気で開催を実行すべき時であって、なお一層、緊張にして慎重に仕上げをしなければならない。
何だかんだの対立意見を戦わせる時ではなく、失敗させてはいけない細心の注意をもって、臨まなければいけないということです。

進むべきか?!撤退すべきか?!二分する分かれ目の判断は、難しい英断を下さなければならない。
トップの責任とはいえ、このまま推し進めていく以上、失敗は絶対避けていただきたいと願っているのです。

だれもが納得し、きちんと歴史に残る価値ある遺産(レガシー)であってほしいですし「後世に引き継がれていく、持続可能な資源の在処」をきちんと示していただき、世界の名だたる大阪・関西万国博覧会に…とここまで来た以上、そのように創造していただきたい。と願いますよね。

数日前のニュースでは、この木造建築物の大屋根(リング)は、残らないとか…
そのような内容だったと思いますが、本当であれば、なんと、もったいないことか…???

私たちに創造の夢を掻き立てられるという、その期待の在り処とは?

  • 会場の大屋根(リング)は、面積6万㎡の世界最大級の木造建築になり、屋根の上に上ることができ、緑の丘が広がるそう(清々しさが押し寄せてきますね)
  • 屋上からは、会場全体や瀬戸内海を見渡せる(というからには、建築物への期待度が高まりますね)
  • 「多様でありながら一つ」の理念のもとに、それを表する建物になるというのですから、是非感じてみたいものですね。

期待する成功への祈りの中に、世界平和を願い、広く人々との交流を広げ、ホスピタリティーな心を込めて、フレンドリーに大阪万博開催の日を迎えたいと思っているのです。