怖いな!!何事も便利と慣れ親しめば危機感の緩み

自動車の進化しすぎるオートマチック化と超高齢化の伸展に伴い、社会的問題となっているのが、近ごろの交通事故の無残さ、悲しみ、が後を絶たない連鎖的な発生状況だ。

便利で広範に味わえる「幸福感」「自己満足感」と「私にもできますこの操作」の手軽にできる安直感がどうも怖い。
ま、このような表現で揶揄したような切り出しで恐縮してしまうが、私なりにはやはり、まじめに最近の状況を考えてみたい。

この間、TVを見ていたら、自動車の生産に関わっている方が、こう言ってました。
「自動車には、AT(オートマチック)車と、MT(マニュアル)車があり、痛ましい事故を防止するというのなら、やはりMTでしょう。」
AT車は、クリープ現象(アクセルを踏まなくても、少し車が進む)により、場合によっては、不慮の事故を起こすことがある。また、自動変速のため、小さいコントロール調整ができず、2速発進ができない。
MT車は、走行状況やエンジン回転数に合わせてギアを自由調整できる。アクセルとクラッチのコントロールが、思い通りにできる(ドライビングコントロール)。デメリットは自動変速できないため、低速走行時は安全防止としてエンジンが自動停止する。
夫々、そのような特徴があるが、何しろ、AT車は運転が簡単すぎて、危険意識を持ちにくい。機械の大きさや複雑さの割に、運転が簡単すぎて、車の危険性を軽んじて恐れないことが一番危険だ。と。アクセルとブレーキの踏み間違いは、ほとんどMT車では無いことだ。と。

科学技術の発展は、効率や快適さの追求を大きく可能にしてきたし、社会システム発展の原動力になっているとの認識が、現代の発展の原点になっているようだ。

しかし、識者は警告もする。便利さに慣れ過ぎると、思わぬ形で報復されることを、経験から大いに知り得ていることだと。
この警告に、素直に従ってみてはどうだろうか?

今年、平成31年の始まりの時、既に5月より新天皇・新元号の「令和」元年を迎ことは決定し周知されていましたから、私の身上、如何なる点を新たにして歩もうかと、考えてみたことでした。
今年=令和元年の6月には、いよいよ後期高齢者の仲間入り。というからには、私はリセットした方が良い事案が頭にのぼってるわけです。

そんなわけで、私は今年1月25日には、運転免許証を返納しました。
「車の免許返納」いよいよこれと向かい合わなくてはならない!まだまだ元気だと思いたい。しかしまあ、寂しくはあるけれど、気が楽になったなということもあり、車の手放しはすっきりして、今を不自由感なく過ごしているということです。

積み重ね行く齢の為せる、不都合な症状、ついやってしまう癖は責任を負いきれなくなる。
また、諸機能の低下による覚束ない行動などは、危険が発生しやすく、他人に任せるべきことと、自覚せねばならない。身体免疫力の低下などは、弱気に考えてしまえば鬱気分にもなるけれど、老い現象を素直に受け止めれば、弱身から強身に転じる方策を施し得るのであり、何もかも持ち得ていた実力を無にするか、弱体化させてしまうかではなく、深刻な社会的迷惑行為を引き起こすことにならない配慮の調整はしなくちゃならない。

自分への傲慢さには、やはり潔くさよならして、自己に叶うあり方をリセットするべしと思う。齢に負けるのではなく、齢に寄り添える柔軟な気持ちの切り替え、即ちフレキシブルの志向を、今一度受けてみるならば、後期高齢を、それほど不自由感なく生き果せていけると思うのだけれど…。

 

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Good~bye  My  Friend  キューちゃん!

昨年来、実は、「ペット・ロスの心づもりはしておくべきだ」との思いを深くし始めていた。20歳の高齢域にある我が友・我が家族である猫のキューちゃんは、ここ1~2年来、

老いへの急激な体調不良の兆候をしめし、度々に看たからである。

想い出せばキューちゃんとのなれ初めは、1999年6月だったと思うが、私の職場の事務長さん(彼はメリハリの整った愛くるしく優しい目をしている)に呼び止められ、
「K(私の事)さんは、猫がお好きか?」
「私は猫が好きなのよ、小さい時にも飼っていてね」なんて話したら、
「もらってほしい可愛い猫がいるんだけどね」ということで進み始めた話。

息子が中学生になった頃、小学生の時に飼っていた子犬のヨークシャーテリアを亡くして1年くらいは経っていた?と思うが、もう動物は飼うこともないと平静な生活を取り戻していた矢先のお声掛けに、戸惑ったのを覚えている。が、息子に話すと「今度は猫ちゃん!それも良いねえ。会ってみたいねえ。くださるのならいただいて育てようよ」と。

その意を事務長さんにお伝えすると、「そりゃ良かった。妻は猫が好きで13匹も飼っているんだ。なにせ我が家の門前に、しょっちゅう捨て猫が置かれていて、妻はすぐ家中に入れて面倒を見ては、譲り先を探すんだよ。可愛いもんだから僕も応援しているんだけどね。一度息子さんと一緒に、我が家に来て気に入った猫をもらってくれればいいよ。」

1週間後の日時をお約束し、息子と二人でお家にお伺いしたところ、事務長さんご夫婦の大歓迎をいただき、家の中へ…。
なんとまあ、上り口から既に、猫たちがぞろぞろグーグー、この世の極楽風体!可愛い!やっ!睨んでいる!へエ~知らん顔して寝てる~!こっちを見上げてるぅ~!エトセトラの可愛い~猫たち。
息子は喜んで、生後1か月も経っていないであろうメスの三毛猫を選び、抱き上げていた。この猫が、事務長さんのお話のあった猫である。愛らしい仕草で動き回っていた赤ん坊の三毛猫は、すんなりなびく様に息子の腕の中に抱かれるのかと思いきや、顔を向けることを避け居心地悪そうに抱かれ、何やらいつ脱出をしたら良いものか…そんな風な構えが見て取れ、素知らぬ顔?息子が目を離した隙には、スルリと軽やかに飛び出す仕草が、たまらなく可愛い。早速「この猫を頂きたいです。大切に育てます」という息子の意向で、三毛猫は我が家の家族の一員となりました。

我が家にたどり着いた三毛は、目をま~るく見開いて家じゅうのあちこちを軽やかに跳び回って探索していたが、まだ生まれたばかりの子猫ながら、その跳躍力には驚かされた。
さて、名付け親になりたかった息子は早速、「お母さん、この猫ちゃんの名はキューちゃんにしようよ」「どうして?」「だってとてもキュートだと思わない?She is so Cute!」  これで決まり!キューちゃんの新しい生活の始まりとなりました。

今は、東京に在住の息子ですが、かつては相棒のキューちゃんと共に暮らし、帰宅の遅くなる母を、彼女と共に待ちわび、話の分かる相棒さんと共鳴し合う仲間として寂しさを紛らわせて暮らしもし、彼女を愛してきたわけです。

月日の経つのは早いもの。キューちゃんは、20歳になろうという2か月前ごろから、急速に体調を崩し、動物病院の先生にもお世話になりながら、食欲の衰えに備え、時には栄養剤の点滴を受けていたわけです。健気にも朝夕の就寝・起床の時間になると、私の傍に来て気丈な声で、私に目を見やりながら寄り添うように語りかけてきてましたね。そんな様子から更に様態が悪化したのは3月21日。そして3月22日AM3:35に天に召されました。
キューちゃんとのお別れの間際に、息子は電話を通して、キューちゃんに語りかけ、「今までありがとう。私たち家族に、私たちの友人に、たくさんの喜びを与えてくれてありがとう」と感謝を伝えお別れできました。

現在、愛するペットを失った悲しみは、ようやく過ぎ去りつつあり、やがて感謝と喜びが呼び起こされてくるのだと思います。無条件で私達を愛してくれたキューちゃん、お互いに正直でありえた私達、20年間を善く生き得た私達、ありがとう!!

人の命のように、永く一緒に暮らしたペットの命もまた、私たちの命に溶け込んでしまったかのように愛おしいものです。最近の出来事ではありましたので、大切な記憶として残しておこうと思い、このブログに書き綴ってみました。

 

明日から、10連休です。大切な代替わりの始めとなる、新天皇に係わる行事が行われ、私達もまた、これからの世に思いを馳せ時代を生きていくことになります。自身の生き方を考え整えてみる良き機会と思いますね。

インフルエンザもまた流行し始めている折、健康に気を付けてお過ごしください。

 

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色とりどりの話

フリージアの花言葉をご存知ですか?
我がベランダのプランターで、フリージアを育てているのですが(と申せば格好いい弁明でして、実は植えっぱなしの一番楽な見守りをしている次第です)
店頭には、お正月花として、既に早くから咲揃えられていますが、我が家の植えっぱなしの黄色いフリージアは、まだまだ蕾が固いですわ。

さてこのフリージアの花言葉、ネット検索で知り得たのですが、花の色で意味が変わるとか。黄・白・赤・紫の4色があり、我が家の花色は黄色。ま、よく目にする色ではないでしょうか?親しみがあって明るくてフリージアらしいでしょ?
全般の花言葉は、あどけなさ、純潔、親愛の情、と紹介されていますが、それって全く私のことではないかしら?と、ほくそ笑みながら、まもなく咲き始めるであろうベランダの蕾フリージアに親愛の微笑みを送った次第です。この花育ては、一番無難で、私でも育てられるとの従弟の妻さんが、種分けしてくださったもので、確かにもう3年になりますから、私にも育てることができますよって言えるかと。

色別に花言葉を紹介しますと、
黄:無邪気さ
白:あどけなさ
赤:純潔
紫:憧れ
とのこと。
花の名前の由来は、原産地は南アフリカに咲く花で、デンマークの植物学者エクロンが、親友のドイツ人医師フレーゼ(Freese)に献名して名付けられたとの由来が載っておりました。

 

さて、話の景色は変わりますが、ユニセフでは、5年前(2014年)から、乳幼児期の子供の発達の大切さを訴える(Early Childhood Development=ECD)世界キャンペーンが展開されていますね。胎児期から小学校に就学するまでの体験が、その後の健康や精神的な幸福、学習能力、さらには収入にまで影響することが明らかになってきており、脳科学や心理学、経済学などの各分野の研究がなされているということです。

ユニセフが抱える課題から眺めてみているわけですが、極度の貧困や発育阻害のために、生まれ持った能力を十分に活かすことができないリスクに直面している子供たちの状況は、胎児から小学校就学前までの、このとりどりの花を咲かせうる能力が実を結ぶことなく、非効果的影響を受けていることに、哀しい現実の悲愴を感じますね。
世界的に出生人口が減少傾向になりつつありますが、この世に生まれてきた赤ちゃんの命。色々な多くの赤ちゃんの笑顔から、私達の笑顔が引き出されるというこの循環作用は、愛おしさと明るさと強さをもらっているという強力なエネルギーは、今さら言う事ではないですが、未来に花開く多様性の幼き命を、改めて眺めてみれば、色とりどり(子供は多様的に花開く未来性を持っている…と私は思うわけです)の愛であえる刺激は、色とりどりの豊かさに刺激されての楽しみがあり、健康的であることも自明の認識です。

以下に、参考として、2014年ユニセフが主催した「神経科学シンポジウム」報告書より、脳の発達、七つの事実に関して、引用しています。

『はじめが肝心 - 脳の発達、七つの事実

  1. 人の脳には、860億個のニューロンと、それをつなぐ1000兆個のシナプスがあります。
  2. 乳幼児期、シナプスを経由し、ニューロン同士が毎秒700~1000個という驚異的スピードで接続していきます。
  3. 脳の重量の87%は、こうして三歳までに出来上がります。
  4. 三歳の脳は、大人の2倍、活発に動いています。
  5. 乳幼児の子どものエネルギーの大半(50%~75%)は、脳の発達のために使われています。
  6. 人は、「脳の可塑性」(外的な刺激や環境の変化に応じてニューロンの働きを最適化する力)が高かったゆえに、生命の歴史の中で進化を遂げ、現在に至っています。
  7. そしてこの可塑性は、七歳までに半減してしまいます。

だから - はじめが肝心

日本の深刻で社会的な児童虐待問題は、このような紙面で論じ難き問題です。ユニセフが直面している課題(リスクに直面している児童の状況)は、貧困がもたらす状況ですが、日本の場合、養育・教育の貧困とでも捉えて良いでしょうか。

子どもたちが其々の親御さんの持つ感性で豊かに育てられ、また社会に在っては、いろんな子供たちと共存して生きあえる(生まれ持っている子ども達それぞれの能力を十分に発揮できる)環境が、とにかく社会的綻びが見つかったその時から、整えられていけるよう私たちの目線が鋭くあり続けるのが大事ですね。

 

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2月の節分が過ぎて、今日はバレンタインデー!!

何を思うか如月の季節。やはり2月は寒い。
今年に於いては、世界的に多少異常気象という現象。大阪・京都・和歌山・神戸辺りは、雪に見舞われることなく…!?って調子ではあるけれど、北海道・東北・関東・時に九州なんて地方は、大雪・吹雪に見舞われているようだ。

3日は節分の日、恵方巻き商戦の賑やかさが、日本中をめぐる。


ここ数年のうちに、過剰な「恵方巻き」の売り込みに呆れながらも、私もつい、買ってしまう。もの珍しさではなく、特に厄除けでもなく、派手やかに巻きずしがそこかしこに並べられていることに、どないに美味しく作ってんだろう? ま、今回はちょっとこれを買ってみようか?ってなことで、買ってくる。食してみれば美味しく作ってある。
節分の巻きずしは、いつもより美味しい。多少高くはあるけれど…と、呟きがてら一応黙して厳かに食べ始めるという所作であります。

一方、TV,新聞のニュースを見れば、商戦の行き着く先は、無残な映像。
モッタイナイに飽くなき商戦は、大量の億単位の食材が廃棄処分となって終結するのだ。翌日になると、あの「恵方巻き」騒ぎは、全く何事もなかったように静かになっている。
平和ボケということではなく、無秩序でアホな…というほかない。わが身も一石投じているのだから、どうしょうもないアホとでも言うしかないかな?
何とかならないの?教えてくださいな!!あっ!そうか!アホにつける薬はないと?

そして、2月7日は、北方領土の日。1855年江戸幕府とロシアの間で、日ロ平和条約が締結されたことに由来して決められたらしい。
北方領土とは、択捉島(エトロフトウ)、国後島(クナシリトウ)、色丹島(シコタントウ)、歯舞群島(ハボマイグントウ)の4島のことで、現状は第二次世界大戦後よりロシアに実効支配されている。
正しい歴史的な認識をもって、見つめなおすことが大切だね。

2月は、何かと忙しく行事が続きますね。
バレンタインデー、確定申告時期、花粉の始まる時季、そして、人生に大きく影響するのであろう入試時期なので~す。
バレンタインデーの商戦も派手やかな賑わいをもたらしていますが、これは食材そのものが長持ちするからか、悲壮な嘆かわしき商戦の終結とはならないけど、若者たちの楽しみ・悲しみの騒動があるわね~(笑・笑 吾輩にとっては、もう今は昔の話)

花粉症は、バレンタインデーの頃から始まるようで、TVでは、花粉症対策が盛んに特集されていますから、ご自分に合う方法で(もち、Dr.にも相談してではありますが)予防してくださいね。

 

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2019年も早や1か月後半を過ぎて…。

2019年の始まりと言えば、何の変哲もないこの1年カレンダーということになるけれど、日本文化というか日本国家という視点で見れば、5月には元号が変わり、書類等をはじめ、これから生まれる子供たちにとって(或いはもしかして召される人々にとっても)、意味を成す今年1年が始まったわけですよね。

それにしてもアッという間の1月下旬。
20日には、お年玉付き年賀はがきの抽選があり、私は、記念切手4枚当たりましたよ。早速郵便局で交換していただいたけれど、記念切手はありがたいね。案外今までも1枚~5枚は当たっているのですから、夫々の年の記念切手を前にしばし思い出を振り返り浸っているという。(前に動かないでそこに留まって、あの時の時代を眺め渡している風景は、ノンちゃんとしてはちょっと面白いかな?)

私は最近、自分の頭の働きに、忍び寄る異変というか認知の切り替えが、困難になってきているのを感じていて、恐怖心さえあるのですよ。
「新年の初夢」なんて、眠っている間の夢を見るどころか、自身を鼓舞する未来への夢の広がりが少なく(小さくor殆ど無く)なってきている。そんな肉体的衰えを感じ入りながらの生活が増えてきているように思えて、思い切ってこのうっとうしさを払拭したいと祈り願っている。

今年は、老朽化した身体を若返らせる!そんな勇ましさをしっかりと組み立てて、この1年を過ごそうとしているわけで、只今は、えいっ!えいっ!や~っ!と張り切っておりますよ。

そ~っと誇らしげに皆様に宣言しますならば、こんなことです。
*9月or 10月を目がけて、3大レクイエムの一つ、モーツアルト・レクイエム合唱曲(ソプラノ)をマスターして、ウイーンのシュテファン大聖堂で歌う。
(実は昨年、ローマはヴァチカン主国の国際音楽祭・ヴァチカンサンピエトロ大聖堂で、ヴェルディーのレクイエム(アルト)をマスターして歌ってきました)
とにかく、体力、記憶力、認知力、の衰え防止として、取り組んでみようかと一念発起を試みているところでございますの。

グローバル化をめざして走ってきた日本の社会、世界は、今度は先鋭的に自国ファースト(自国の利益優先)で、多様性を受け入れない主張をし始めており意見の対立、暴力が横行し始めている。
かつては哲学的な思考、論理的な思考を構築してきて、人と人とのつながりを大切にしてきたのに…と言いたいが、とにかく自分中心で中途半端な不確かさで、強意な発言をもって突破していくのだから、ちょっとあまり良き空気が生まれてるとは言い難い。

ともかく、人の健康・命を対象にする私たちの仕事!
対象となる方々、また交わる人々と共に、医療関係と介護福祉関係の連携を深め、より良いあり方を求めていきましょう!

 

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新年を迎える準備はできましたか?

年の瀬になりますと、やはりなんだかんだの大騒ぎとなるのは、忘年会かな?
年の瀬と云いますと「年末用語」として定着しているけれど、かつては、江戸時代に遡る江戸庶民の年末時に取り立てられる「ツケの支払い」に奔走する命がけの慌ただしい様に発しているようだ。

付け加えて、その語源をネットから引用すると、「年の瀬」は「川の瀬」を表しており、「川の水位が低く浅い部分」を指し、川の流れが勢いを増し、急激に早くなるスポットのことで、川の瀬を渡るには、船ですら困難で、ましてや歩いて渡るとなると「命がけ」となる。「年の瀬」は、このような必死で危機迫るという意味合いの言葉で、その語源は「ツケの支払い」ということになる。

現代に於いては、「必死の支払い」どころか現実感のない(重みの無い)カード払い。
東京オリンピック・大阪万博を前に、既にカード支払いが当たり前の世界からの来訪者が押し寄せてくれば、カード支払が瞬く間に浸透するだろうし、これまでと違う世情風景になるのだろう(ちょっと、どんな世の中になっていくのか、想像難しで解らないワ!!)

今はもう、年の瀬風景というわけにはいかないが、昔はやはり年末・年の暮は、「餅つき」風景がありましたよね。一軒に必ずというか、町内「組」毎に、餅つき用具が備えられていて、杵・臼(御影石・けや木)・臼台(石・木)その他の小道具(もち米炊窯、かまど、餅蓋、他いろいろ)が出そろい、家人や町内(組)会人などが、忙しく働きまわり、大きな掛け声や、杵を振り落す音などが、響き渡ったものです。
コメ離れ現象が起きて、正月には餅を食べる家族も少なくなってきている昨今ではあり、話題にすれば、ちょっとヤバくてダサい話になってくるわね。
しかしながら、私は「おもち」が好き。年がら年中、それなりに、おもちを食べる機会が多くあるかな?(私に届くお餅は、みな福餅なのよ。幸せ餅よ)
今朝(12月21日)もTV朝日で紹介されていたのだけれど、和歌山県は半島の南北津々浦々、結構な市町村で、餅まきがあるの。神社仏閣が多いせいだと紹介されていたが、家を新築するとき、神社での祭事・イベントがあるとき、等々、とにかく何かにつけて餅まきがある。
私は長く和歌山を離れて大阪に居住しているのだけれど、郷里の親族から、いまだに 餅まきがあったからと、ゲットした(ビニール袋に入った)紅白の餅を送ってくれるのです。とにかく餅好きの私。ありがたく頂き、雑煮・焼き餅・ぜんざい・きな粉餅などにこしらえて食べているのである(餅は全然飽きないねえ!)。

さて、今年もいよいよあと一週間。平成30年を生きて、皆様にとっては如何なる平成30年でしたか?2019年からの元号は、まもなく発表されるでしょうが、どんな意味合いをもって、国民に届けられるのでしょうか?
それ程に深い極みを持って情熱をもって、世情・世界を語り論じ合うことの少なくなった平成30年は穏やかではあったけれど、平和的ではあったかな?そう思うけれど、そうではないんじゃない?平成の終わりに、私の平成時代の趨向いまだ定まらずでございますよ。
新年2019年は、新しい元号の始まり。なのですから、いろいろ考えるきっかけにしてみても良いですよね(考えてみるべきですよね)。

この一年間(かれこれ数年になりますが)、稚拙なブログに目を通していただきましてありがとうございました。
ではでは皆様、新しき年に向けて、希望の年でありますよう、そのように祈りつつ、今年に感謝して、平成に幕を下ろしましょうか。
皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

 

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世の中、若者文化はものすごいスピードで変遷していくが…!?

秋ですねえ。秋といえば紅葉のシーズン到来ということになりますか。

今年は(に限ることではないが)、自然災害(地震・豪雨・台風)による被害は日本の広範囲に及び、復旧・復興への道のりは深刻であるように思う。そして異常な高気温の長期化に悩まされた今夏。

であるから、今年の紅葉は、もうダメなのかな?
ダメとは言わなくてもあっという間に見ごろになって直ぐお終いになるんだろうね?
そんな思いめぐらしていると、なんのなんの!!早や紅葉の景色があちこちに!
風情豊かな日本の四季。四季の折々には手間閑厭わぬ力業が風物詩を奏でてくれている。若い方々も、美しい景色、四季の移ろいが素敵な日本。と感じているのだろうけど、若い方々とは、あまりこうした景色の風情・味わいを語り合うことがない。少し遠出して観光地に出かけてみれば、黄色い声がやたら弾んで聞こえてきて騒がしい。写真の撮り方にしても軽いノリでワーキャー黄色い声が飛び交う。騒々しいのだ。

失礼な小言ではありますが、何を愛で楽しんでいるのか、さっぱりわからないということになれば、若い方々への好奇心は遠のき交流するのも面倒くさくなる。追いつけないのだ。

誤解のなきよう弁明すれば、私、若者大好き婆ア婆ちゃま。彼ら彼女たちとお話すれば、ワ~ワ~キャーキャー結構騒々しい笑いの中で過ごしている事多いかな?

若者の会話の展開は目まぐるしく速い。理解しえない話を……!??一瞬戸惑い面喰ってテンポがずれる。

あれーっ!なんのこっちゃ~?話に乗れな~いやんか!心配するなかれ!既に新しい展開が始まって、私の形相を気にしていない。

付いてきても良し、付いて来れなくても気にしないでいいよ。私たちの話、他愛無く深い意味もなく楽しめば良し。重大な話ならゆっくりとするよと。どうやら庇ってくれているお言葉なのか…。今の話どういうことなの?展開を中断させることなかれ。流れのままに笑って聞き過ごしていきましょう。一人でニヤッと笑ってしまいますわ。

こんな会話タイムを、若者文化ってテーマの中身にするつもりではなかったけれど、どうも…案外迷惑な婆ア婆ちゃまの呟きでした。悪しからずでございます。

 

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「雷は豊作をもたらす」という伝承を高校生が科学的立証の活躍!

「大切なのは、疑問を持ち続けること」アインシュタインが遺した有名な言葉だが、宮沢賢治は、農業指導家としての知見というべきか?
作品:雷(ギザギザ)の物語の中で「雲と雨と雷は豊作のための不可欠な要素である」と言ってるの。

その理由については、雲が雨を降らせ、雷は空気中の窒素を分解し、雨がその窒素を地中に溶かし込む。窒素は作物の重要な栄養分。だから雲と雨と雷は豊作のために不可欠であると説き、神社に奉納されている「しめ縄に豊かな実りへの祈りの意味がこめられている」として私たちに説きかけて下さっている。

まさに科学的推論の展開は、何気のう見過ごしていたこの目の裏に深く浸透してくるではありませんか。しめ縄に込められている自然現象のからくりを説明されれば、「ホ~ッ?自然の生業!?」の豊かさ不可思議さに畏れ頭を垂れるばかりなり~。それだけではない!変電所の周りの田んぼへと誘われて目にすれば、辺りは、一度も肥料をやったことがないにもかかわらず、稲穂がたわわの実り。

ここまでは、宮沢賢治の作品に触れた人ならば、ご存じのお話でしょう。

先日、TVで放映されたのですが、島根の当時高校2年生だった生徒が「雷の多い年は豊作」の伝承に、「なんで?」の疑問を抱き恩師に相談したことから始まる。この疑問の解明に高校在学中に、カイワレ大根と放電装置を使って実験に取り組み「雷を受けると植物は成長する」との実験結果をまとめている。勿論、カイワレ大根の種子に50秒間放電して育てる群と通常の水道水の群とに分けて成長の違いを見ているわけで、成長の差は2倍速かったという結果を導いている。

大学に入学した現在も、高校時代の恩師と共に実験を繰り返し、使った水の分析、放電時間、非効果的な放電時間等々、今後は更なる「それぞれの作物について適切な放電時間を突き止めれば、収穫サイクルの短縮などで生産量の向上につながる」と、将来への期待を導き出している。

単なる伝承ではない賢治の深い洞察に始まり、その伝承に心を注いだ少年の「穢れなき疑問」からの行動 それに呼応した恩師の脳活性化 凄いです。その感性の柔らかさというか、目の前で、今起きたいろいろの事象の呑み込み、働きかけ、刺激などの受容力というか…?!ノーベル医学生理学賞を受賞された本庶佑氏のニュースはつい先日のこと。連日TVで取り上げられている今どきの有名人。そんな雰囲気も手伝ってか、今回の高校生(池田佑さん)の科学の目線「疑問を持つ」に共鳴したのだろう。私たちは、生き方改革、思考改革……∞創造力を醸し出すべく恵みの雨滴をこの掌に大切に集めてみようか?…否 もう遅いか?諦めたらアカン?好きなようにしたらええか?

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臓器移植:何度考えても悩ましき問題!!

私の高齢(85歳)の男性知人が、昨年の11月に亡くなられた。生前よりご夫婦でご自分たちの死について、死後の処し方について等々、忌憚ない会話を通して、ご夫婦共々に意志を固められ、角膜提供・解剖の献体提供に署名された。2~3年後、先に奥様が昇天され、その3年後には知人男性が昇天されたが、ご夫婦共に、献体提供された。

最後のお別れ儀式はなく、彼らと親交を交えてきた人々は、何か物足りない中途半端な心持ちのなかで、いつのまにか、静かに人知れず(詳細解らないままに)、個々人それぞれがお別れのけじめをつけたのだと思います。 亡くなられたお顔は拝しなくとも、一つの儀式(この世とのお別れのけじめというか…)により、懐柔できるひと時を持つのは悪くないのではないか? 飄々としたこの「近代的な逝去時のお別れの在り方」即ち、味気ないお別れ、を知った、経験したという思いです。

今まで、喜びや悩み苦しみなど、時には共に語り合い・笑いあい・涙流して喧嘩もした近しい気さくな友人とのお別れの余韻はなく、さらっとからっと「じゃあね~行ってらっしゃ~い」なんて気楽な挨拶も無い、否、できなかったそれって、どう言えばいいのか…。悲しみもなく乾いた感触で、別に何事もなかったこと…なんてね。

この臓器移植の問題、角膜提供あたりは「了承できる」範疇ながら、それを超える話になると、「脳死」判定基準の是非がそもそも、心得にくい(そう思いませんか?簡単なことではなく、慎重で悩ましすぎる問題なのだ)。

日本の臓器提供実数が取りざたされて、まだまだ提供数不足が報告されるが、そう急かさないで下さいよ。との思いから、未だ解放されることなく過ごしているわけです。

皆さんは、街角を歩きながら、所要で役所に出向きながら、何かしらのクリニックに行った時等々に臓器移植への理解と提供のアプローチを受けることが良くあると思いますが、どのように受け止めていらっしゃいますか?

死後の臓器提供、献体、必然的で現実的なきっかけが、私自身にどのように巡ってくるのか解りませんが、その時に真実に悩み深めるのだろうか…?

この文面にては、問題の深部に深入りしないままに語りかけていて、ある意味軽すぎるのですが、一度、皆さんも立ち止まって、考えてみてはいかがでしょうか?

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ツバメの巣立ち完了!!と思いきや??!何があったの?

5月初めから7月初旬まで、緑地公園駅構内の軒の一角に巣作りしたツバメの子育て~巣立ちするまでを見守ってきた。駅員の皆様が「優しく見守りましょう」と呼びかけたご尽力もあって、親ツバメは無事に子育てを終えたのだ。ツバメの産卵数は、大体2~3羽ということだが、野生の動物達の住む自然環境が、殺伐としてこようが、逞しく種の保存環境を確保し本能に基づく(?)種の営みを維持しているようだ。

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おめでとう!拍手喝采!! 一つの営みを垣間見て、清々しく思う。
と、「順調に経過して巣立って行った」話なのだが、いつまでもまだ、ツバメの子育ては続いている。駅員さんに、まだ巣立つ様子はないのですか?と問えば、駅員さん曰く!
「いえいえ、先のツバメはもう6月末頃に巣立ったんですよ。今また新しいツバメ家族が来て子育てをしているんです」と。ええっ!そんな!自分で作らないで、先立のツバメの巣を借り受けてなんですか~?!そんなことって、当たり前にあるんですかねえ?

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そこでちょっと調べてみた(鳥ペディアより)ところ、ツバメは何もない場所に材料を運び、一から巣を作り始めるパターンと、もう使わなくなった古い巣や壊れかけている巣を作りなおして使うパターンがあるとのこと。一から作る場合は2週間から1か月もかかることもあるが、リホームの場合は数日で終わるというから、鳥の場合もできるだけ労力の無駄使いは、ごめんあそばせ!ってな訳?

私は看護職を人生の軸にして、看護の現場で働きながら子育てもし定年までを生きてきた…。今はもうその大変さというか労苦を忘れてしまったかのように、むしろ自分の楽しみを糧に生きている。ツバメの営みに観照して、その昔を回想したりもするが、私も、しんどいことを避ける知恵を絞り、できるだけ楽を選んで行動したことなどを思い出すと笑いが込み上げてきました。今回、緑地公園駅で2家族のツバメの子育て生態を垣間見ることができた。ツバメは決して楽をしようなんて安直な知恵絞りをしたわけではないが、約1か月半での2所帯ツバメの出来事をわが身と重ねあわせて回想してしまったのだから、ちょっと笑わせるよね。

世の中、戦後復興をかけて高度経済成長期をもたらし超豊かな暮らしが保証されるようになると、子どもは少なく生んで大切に育てるという考え方が世の主流となり、また女性の社会進出が大幅にアップするにつれキャリア志向が強くなると、結婚して子育てする定番の考え方から解放され、女性のライフスタイルの多様性が考えられるようになった。そうなると必ずしも女性が子供を産んで子育てする概念はしぼんできたように思われる。そして少子化なのだ。人間社会の大きな社会資源となる子供の減少は、まず深刻になって…ね。ツバメのように、純粋に本能的に種の保存を使命としているわけではない…。思いは、複雑に浅く、センチメンタルになり過ぎず、いつものように吹く風になびいて過ごしている。どうなんだろうか?

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