朝の通勤電車は「始発駅~」においては、“すぐ満員にはなるけれど…席は確保でき易く、ゆとりある穏やかさを手に入れることができている!”と思いながら、朝の通勤電車に紛れ込めば、確かに私は座れたためしはない。
立席の人々の間に滑り込み、車内の吊り革を握れる安定位置を確保できれば、お手のもの、安全性は確保でき、更なる込み具合には、周囲の乗車人に迷惑をかけないように身の安全を図るために、付近の人々の揺れ具合に同調するように身を任せ、支え柱となっていただいている…。
始発駅乗車の恩恵は、終点あるいは降車駅まで、悠々自適で“眠れ入る乗車”ができ、又は、ゆったり・安楽感を獲得できるという恩恵が得られ、それは天国の中に身を委ねられているような気分になれるのではないだろうか?
この話、大げさではなく、電車通勤している方々から多く聞かされる「ホットな束の間のタイムに感謝している」話なのであり、また、通勤電車に乗れば良く目にする光景である。
ホウホウなるほど…解る・わかる(…通勤族のこうした悲哀話は、穏やかに同情して聴くことができるし、納得度を増して聴くことができる)
忽ちのうちに、あの押し合い圧し合いの満員状態になって一歩たりとも譲れない。
片足を上げようものならば、そのまま、ある一定の時間を身動きできぬ電車内で過ごさなければならないこともあり、次に止まる駅までは辛抱を貫く。
次の停車駅で停まる瞬間の“揺れ”に素早く身を構え隙間を確保して足場を整えるまでの苦痛は、指南場の駅で調整できれば幸いなり。
週5日程の毎日を通勤するこの苦境・苦行は、時に同情をもって聞かせていただく話であるが、そういえばコロナ禍を過ぎて、聞かされることは少なくなったのは、働く形が少し変わってきているからかもしれない(沿線によっては、そうでもないかも・・・)
結構、会社⇔我が家 の通勤スタイルは変化しているようでもあり、そうであれば、通勤電車の不愉快(惨状)問題の意識になることは、ほとんどなくなっているという状況なのかもしれない。
そうであれば、良きこととして認識を変えないといけないですね。
ところで話の視野を変えて、表題の不愉快な風景の話を移してしてみることに。
電車に乗って何処かに出かけるという時、私の不愉快さが弾けるシーンに出くわすことが、それなりに多々あり、“空席あり無し”に係わらず、非常識な迷惑シーンに出くわすことが多くなってきているように思うこの頃です。
ここ5~6年の間にも、不愉快な迷惑シーンは増してきているように思われ、話題のシーンは、あるあるシーンではあり、気持ちは不愉快にざわつき始める。
お若いお母さん(お父さん)に連れられて、未就学児のお子さん達や、小学生後半~中学生たち(必ずしも親が同伴の場面ではないにしても)、電車に乗ってくると、電車の扉が開くや否や、さ~っと一気に空席めがけて、或いは人の間を押しのけて、気勢をあげながら駆け込んでくるという事があるのですが、ご両親の(管理下?)にあれば、注意を促す声掛けをしながら、空席をめがけてドドッと入ってくることがあっても、ま、親の注意の眼が届いていれば、親も“走ったらあかんで~”“これこれ静かにしいや”の声掛けはまだ良いとして、“あそこ!あそこ 空いてるで~!”のアプローチには、驚いてしまうわけでして、走って素早く席を勝ち取れ!とまでは言わなくても、その意向は十分に子供たちに通じているような励ましの声が飛んでいる。
降りようとしている高齢の身になれば、降車準備の所作のテンポが、小さな子供の動きには合わせにくく危ない、危険を感じれば退くしかなく、じっと腰を曲げて身を構えているか、固まってしまっている、という場面に案外出くわしているのです。時にはこの私においても、身構えのスタイルを取ってしまう。
身体の平衡感覚が、小さな子供たちのテンポに狂わされてしまいそうになって不安定になる。
私なりには、しばしその子たちの若いお母さんやご両親を、厳しい横目な顔で見てしまうが、全く車内の先人たちにはお構いなしのご様子には、呆れてしまう。
私自身、それほど多くの海外旅行をしたわけではないけれど、親たちと共に子供たちが、乗合バスに乗り込んできても、このような場面に出くわしたことがなく、やはり驚かされる迷惑なシーンだな!と思っている(高齢の身ともなれば、安定した安全な構えを、でき損なう危うさに恐怖を感じてしまうのである)。
子供の動きのリズムには、とっさには合わせにくい(合わせられない)。
しかも運動機能に制限がかかってしまっている者にとっては、危機感をもって身が固まり、我が身の安全の動きに、自由が利かなくなってしまっていて恐怖心がわくというのは、大げさな思いではない。
席に座れず吊り輪を頼りにされているご年配のご婦人方の身は、吊り輪を頼りにとっさの身の安全動作に緊張感を余儀なくされるという事で、安直に恐怖心を語っているわけではない。
子供たち(特に小学低学年児や以下の幼児たち)と一緒に大人たちが同伴しているならば、電車を待つ間のマナーというか、基本的な乗車時の注意事項・社会行動(?)というのは教えてほしいものだし、気遣っていただきたいと腹立たしげに思わされる場面ではあります。
今回、1事例を紹介いたしましたが、皆様いかがでしたでしょうか?
まだ他にあるある事例に於いては、追ってまたご紹介する時があると思います。
私自身、よく考察しながら、注意深く載せていこうと思っています。
