シニア世代の声変わりは、60歳前後あたりから声太で逞しく、或いはか細く声変わりしたり、多くは水分の足りないかすれ声になったりなどしているが、要するに声が出ににくくなってくる。
発する声が喉に引っかかると言った方がいいのかな?
そんな時、咳を伴わせながら発声したりするけれど、声は出てこず、水分不足による声帯粘膜の干からびを感じては、周辺の唾を搾り取る様な仕草で水分を引き寄せてみるが、それはもう無理至難の業!
周辺の水分不足状態と咽頭筋の衰えにて、敢え無く補水して声繋の対応をする。
高齢への道中の衰えを尚更感じ入り、これはもう悲哀だなと呻く話であるなと思うこの頃です。
加齢に伴う老化現象と心得はするものの、飲食物の通りにくさ、声を出すときの乾いた声帯のかすれ声、重々に筋肉の衰えは、確実に声帯周辺の機能低下を引き起こしている。
何しろ、口腔内の水分不足=唾液が十分に出てこず口腔内のうるおいが低下し、粘膜が干からびやすい状態になる=となれば、音(声)変わりは著しく、かすれ声・ガラガラ声の伴いは、逞しく歴然としており、“人が生きてきた証の声!”と感心する。
ついでに申し訳ないながら、腹立ち苛立ちを覚えるのは、どんなに口腔・喉を潤して、食事を始めても“おいしい食事”の感動は少なくなってきているのは確か!
甘すぎる・薄すぎて何の味もしない・硬くて口の粘膜が傷つくとか、柔らかすぎて何の噛み応えがないとの嘆き節を耳にしたり、私自身、味の不味さに嘆き節を呟く。
何故か呼吸の調整をしてみたり、思わず喉元の唾を飲み込んでみたり、呑み込めない唾の粘りを無理に落とし込もうとしたりなど、そばにいる者は、思わず不随意に嚥下運動を誘発されてしまう事もあったりして、お互い噴出して笑ってしまう事もある。
また、干からびた喉元を潤いたくなれば、咳までも誘発されそうになり…自分自身の呼吸・声だし(声帯の干からび・喉の渇きを意識して)思わず喉元をゴックンとさせても、唾液の流れが伴わず飲み水を補給している…。
こうした具合は、70歳高齢となってくれば、身体の老化現象として自覚を持つようになってくるものだ。
因みに、喉の筋肉(喉頭筋)について調べれば、声帯の周りの筋肉は「声を出すために重要な筋肉群」で、主に4つに分類される。 悪い声になる原因は、
声帯の筋肉のバランスの不均衡、喉の過度な緊張でキンキンした不快な声になりやすい。
息の量が多すぎで、息を吐き過ぎると声帯コントロールが難しくなり、苦しい声になりやすいという事で、私自身、高齢になるに従って(70代初頃?)喉元での唾液の引っかかり、咳き込みが多くなり、敢え無く喉元の筋肉群の衰えを感じてきたものです。
声は根太くなり、3年ほど前から声帯を鍛え、喉筋群を強くしたいと思い、発声力をつけて声帯付近・喉元の筋群の強化を始め、継続しているところです。
(今のところ、発声はとても良く響く声を出せる様になりました)
ところで、当マンションの温泉浴場(風呂場)に行けば、声の響きが潤いを帯び、風呂仲間さんたちと共鳴し合うこの心地よさ。
日中の暮らしの中では、心地悪さの声の行き交いが騒然として喧しく、不快な思いをするものだが、浴場では、個々人には我が身の声は、自覚することなく、どうやら開放的になって制御感が薄くなっているようで、話の滑りの心地良さに酔い痴れているらしくもある。
俄かに盛り上がる轟きには留めようもない。
しかも、声高のエネルギーは逞しく伝わってきて、誘われそうになるときもあり、ここはもう、私も早くそそくさと動作を早めてお風呂場を引き上げてくる。
高齢者同士の会話は、お風呂で一層盛り上がるものの、それはそれで場所をわきまえての騒音会話と笑いのミックスで、大きく許される「ふれあい会話道場」とでもいうべき状況!
お腹の底から忌憚なく出す声は、腹太で解放された忌憚のない罪なき声として、許されても良いと思う。
話に身が入れば、活気づくのだろうが、華やかなる浴場外交と思えば、それも在りなん(何?・難?)とね。
そして、声帯の揉みほぐしの効あり、声力は若返り、しわがれ声からの解放は知らぬ間の光明ではないだろうか?
如何にも高齢者の為せる生き技と思えば、なんてことなく良き風呂タイム!と思い流せる話ではないでしょうか?
日中の喧騒・波長の合わぬ声高問答となると、館内の様相はちょっと変わってくるような騒動になるのではないかしら?と心配になる。
けれど、一日の生業を終えて、ゆるりと温泉浴室に向かうは、日中の喧騒感からの回避する方策ではあり、心身の患い(憂い)感を調整し得るひと時であり、皆さんの良きコミュニケーションの場、憂さをしっかり洗い流し、日中、何事があったとしても、凛として心をリラクゼーションして、1日の終りに感謝して、眠りに着くこともできるように思われ、流石に、さも在りなん人生!!
山あり・谷あり・雨あり・晴れあり・雪あり・辛苦多々の経験を、我が生き方の知恵にして、明日を生きる力に誘われているのではないかな?
身体の老化現象が、目に見えて進化するに従い、一抹の悲哀さを感じるようになってきている。
マンションの住人の方々の周波に紛れ込めば「老いるを嘆かじ」日々一つ一つの滑稽なる現象を楽しめば良く、またも相互間の日々の笑タイムの備えとなり楽しみなこと。
そのように思い過ごしてみるのは如何だろうか?と思いを漂わせているのです。
