【第2章】5節 私の看護婦人生:希望のスタート

私は、一応順当に看護学校を卒業。国家試験も無事合格して、社会人看護婦1年目を初々しく歩み始めました。その辺りの詳細は、もう忘却の彼方に飛び去り、定かでない事が多いのですが…。そこはお話ししておくのも良いかと思っております。

当時、私が入学した看護学院は、病院付属の高等看護学院であり、入学生の学費・寮費の経費は、3年間、病院から奨学金として支給され、学生は全員寮生活をする事が義務付けられていました。奨学金の返済は、卒業後3年間は母体病院で働く、という条件が義務化されていて、理由あって3年内に退職するときは、残費清算して返済することになっていました。そして最も大事なことは、「保健婦・助産婦・看護婦国家試験」に合格することが最大の命題でした。看護師国家試験の実施日程は、基本的には2月の第2日曜日(看護学校卒業直前)で、私達の卒業式は3月でしたから、卒業仮認定申請して受験に臨みました。

3年生は、国家試験と卒業を控え、新年早々から落ち着かない緊張感の中で過していました。教務の先生方からは、「当看護学院は、開校以来、不合格者は出していません。合格するのは当然で不合格はありえない。」と、ことあるごとに力強い励まし?の発破をかけられ、私達もまた「ご心配いただきありがとうございます。合格できるよう頑張ります。」と力強く応答してみるものの、頭の中は、実感の持ちようが無く、奇妙な感じでした。国家試験を合格しなければ、看護婦としての旅立ちは出来ない。前に進むしかないわけで…とならば、ここは国試勉強に必死で取り組まざるを得ない とばかりに、誰に助けを求めることもなく、自分自身との闘いでした。私自身、失敗に対しての覚悟を持ち合わせた強い意志がほしいのですが、問答は空回りして思考が集中しないから、案外安直な構えだったように思います。

国試合否の発表は、4月入社後の6月。幸いなるかな全員合格の報を受け、ほ~っと腑抜けていくように緊張感が解けていったように思います。合格の報を受けて、その夜は仕事を終えると、5回生6名は、足取り軽く身も軽く「お祝い会」に出かけ、思いっきり弾け、喜びお祝いの乾杯をし、労いあいました。
やっぱり苦しかったよね!よく頑張ったね!3年間を無事過ごしてこれたよね!乾杯!!

私達の学年は一つの強固な意志特性(12名それぞれが、個性的な意見・見解を持っている)があり、何かある度に賑やかな議論舌戦を展開する5回生でした。強固な5回生ではありましたが、出尽くした議論がそれ以上に進展せず、良き知恵に集約されないと解ると、あっさり多数決か合意的妥協で決定し、恨み言なし。そこはホントにさっぱり終りにするという良質な特性を持っていたと思いますし、可笑しな笑える5回生でした。

卒業は12名全員ができる事になり、3月中旬に行われる卒業式の当日は、糊の効いた白衣に身を包み、髪の毛は乱れぬようしっかりピン止めし、ほどほどに頬紅をさして爽やかな溌剌とした若人仕上げに。胸元には紫のカトレアの花を飾り付けた卒業生12名は、両親や親族、看護学校の先生方、院長兼学院長と病院の主要な方々、下級生一同の皆様に見守られ式事を終えるのですが、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞に至れば、号泣に近い嗚咽がクライマックスな高揚感に。これはもう、止めようのない泣きのシンドローム状態で、その乙女チックさを思い出せば、ちょっと照れくさい話です。

ところで、5回生12名の卒後進路についてはひと波乱ありました。私達5回生は、入学時から欠員状態の上、途中退学者を出して12名という最少人数で学んできました。12名グループというのは、コミュニケーションの距離は取りやすく、口論になっても一晩寝れば鞘に収まっている。良く言えば、その結束力は如何なく発揮してきましたし悪く言えば、ごね得とも言われた5回生です。ところが当に、良くも悪しくもなのですが、生涯忘れ得ぬ「卒業間際のひと波乱な深刻事態」を引き起こしてしまったのです。

卒業後の就職は、全員が付属する病院に就職するのが従来の鉄則(基本的な契約?)で他施設に就職するなどということはありえない事でした。
しかし12名中5名は、外部の病院・福祉施設に就職を決め、1名は就職せず結婚を決めていたのです。当然、病院側からの強い慰留の説得が数日間続けられ、次第に叱責に至り感情的な対立となりました。私達学生側の契約上の遵守責任も然ることながら、教務の先生方にとっては、仰天の職務上の責任問題で、病院側からの厳しい追求があったはずです。どんな説得工作に於いても6名は、説得に応じず強固な意志貫徹を持って突破しようとしていました。

私達12名は、仲間だけを見つめ、守り合うという意気込みではあって、それしか見るべき方向が見えなかった(見ようとしなかった)という事かもしれません。残留する6名は6名で、彼女たち外部に所属しようと決め込んでいる仲間の決意の頑強さに、説得する意思は持ちえず(むしろ説得しようとは思わなかったと思われる)交渉中の病院側に対して、「私達6名が残ってこの病院のために、頑張っていきますので、6名の仲間の意志を尊重して認めてください。」などと、ありえない主張を繰り返したのです。

ついには認めていただくことになりました。が、しかし、残留する私達6名の主張が「認められた」という甘い汁の回答を頂けたとは思いませんでした。実際、この問題については、対立の過程では、学籍抹消に値するくらいの病院側の強い怒りを私達に向けられ、「何故そうしたことが解らないのか?これから社会人として厳しい社会の中で生きていかなければならない事を解っているのか?医療人として看護婦として、人の命と向き合っていくということはどれだけ大変で、責任の大きい仕事か解っているのか?」と。まさしく親が子に生きる術を必死で教え覚え諭すように…何故それが解らないのか?そんな必死な説得であったかと思われ、これからこの病院で働いていく6名は、「自分たちは病院に残って勤めていこう。」「病院には大変な迷惑をかけた。私達が、このような事を引き起こさないように事前の策を取らずに、密かに突入させてしまった。しかしこれまでの順調な流れを受け継ぐだけではなく、ある意味で別の道を選んで行ける自由もあっていいではないか?」などなど、結論の出せぬ出せない思いを肝に銘じて、決して忘れないで働こう。私達がこれからしっかり頑張っていくことで、5回生の罪・恥にならないよう頑張っていこう!」と誓いあい、病院に留まることになりました。

~それにしてもエライ事をしてしまいました~。

この病院に残留の6名は、2年間ほど、看護部上司たちの目線の冷たさに耐えて働くことになりましたが、そのうちに重宝していただけるようになりました。全員が5年間は働き、その後は、結婚やら、故郷に戻るなどしましたが、永く勤めた3名は、看護部のリーダー的な役割を担い基礎看護教育の分野でも活躍してきましたが、今は昔の物語。

たまにこうして想い出してみれば、あの頃の青春時代、青臭く残るあれこれの思い出が、とめどなく噴出してきます。しばし立ち止まって、あの時あの人あの時代に思いを寄せてみれば、また苦楽の思いが、蘇ってくるでしょう。それは私の人生の希望の歩みとして…。

仕事をしていれば、時に人間的な感情を縛る時があり、そんな風に自分の感情を抑制していくうちに心が重くなっている。そんな時にこそ、多くの人との交流は、案外、自分本位な心を溶かしてくれるものだと感じてきました。耳を澄ませば、昔の仲間の声が聞こえ、はっと気が付けば現実の声を聞くという、そんな交錯を通しながら、人間同士の交流の信号を読み取り、心が穏やかに和んでいくのを感じるこの頃です。

 

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気が付けば夏!

ちょっとおかしい間抜けな麻痺した感覚かなと思ってはみるが、ここしばらくは、オリンピック開催する?開催しない?オリンピック無観客でする?観客動員する? 論争で、メディアでの話は騒々しい。

お互いある程度の思いやりを持って、相手の意見を聞き、誰が正しいとか正しくないとかではなく、皆が正しい答えであるかどうかは解らない などと言ってはいるけれど、どうも二分した感情は交わり合いにくい。そんな騒々しさに巻き込まれながら、季節を振り返ることなく、何時の間にやら夏が来た(来ていた)。

夏の風物と呑気な事を言っておれない、激しい雷雨、豪雨の予報を受けて、警戒はしていたけれど、まさかの熱海の土石流災害は、人災と言うべき大騒動。

大阪の土砂崩れによる家屋倒壊も、あるべく事の現象なのか?思いもよらない何らかの環境被害?なんだか、日本全体、ピシッと佇まいを整えきれない油断・慢心・忘れ去っている危機への記憶。

あらためて、犠牲になられたすべての人々が、静かに私達への警告・警報を鳴らして下さっていることを覚え、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

オリンピックは、開催することに向ってかじを取り後戻りはできない。

オリンピックに参加するアスリートの方々の胸の内は、ひたすらに、オリンピックに向けられて気持ちを整えておられる。

私達は、そのアスリートに向って、「闘ってください。私達はしっかり応援しています」とエールを送りたいですね。

 

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6月の花盛りは癒され候・・・と思いませんか?

6月ともなれば、初夏の涼感を愛でる花が勢揃う。

良き季節と天仰ぐ感謝ありながら、じめつく蒸し暑さに閉口し、梅雨の到来のうっとうしさに気分を削がれてしまっている。覇気の湧き上がりもままならず…文句タラタラ呟きたくなるという気分が伴ってくるし、めんどくさい感傷へと誘われてくるから始末に終えなくなって身体全体が怠くなる。

いきなりダル重い話口から始まってしまいましたが、6月の花は、癒される色彩、豊かな色合いとりどりを楽しめる ということを本当は言いたいのです。

色彩の豊かさを感じ入る6月の花の個性は、大人な佇まいを感じさせて、優雅で秘めやかな色彩の花々と受け止めているのです。

 

ところで、私は6月生まれの双子座。
星座占いによると、

チャレンジする事に魅力を感じます。
「不可能」が「可能」になった時に、大きな快感を覚えるでしょう。
性格的にに「女性面」と「男性面」を併せ持つ生まれです。
周りから不思議がられる事も少なくありません。
この生まれにとって、一番大切なのは「信念」です。
信念さえあれば。「正義の味方」にも「悪の大王」にもなれる生まれです。
密かな野心があり、目的を達成することで喜びが得られます。

情報や言葉に敏感な生まれです。
極端な選択をする事があるでしょう。
未知の分野を開拓する運命があります。
鋭い観察力があり、隠された真実を逃がさず発見します。

星座占いに毒されて、自身の人生を歩んでいるわけではなく、また自身の毎日の生活感をこうした占いに従ったり、修正したりする執着性はないけれど、たまには今日の運勢はどう楽しもうかなと、おどけて参考にしてみるのもちょいと面白いものです。

必ずしも一日中その占いに従うことなくいつしか忘れとんで、自分で運の運びを選択していて心曇ることもなし。まあ、楽しめば良し。味わうレベルにはいかないものだなと。

6月~7月の湿気と暑さを如何に乗り切ろうかと。

なにか他愛もなく、フフン?と笑みを浮かべながら、お気楽に夏場を切り抜けて、コロナ禍の鬱とうしさに支配されぬよう、健康への食のパワーを借りて切り抜けていきましょう。

 

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【第2章】4節 学業と寮生活と歌声の響(共鳴)

現状の看護師養成教育課程からは考えられ様もないが、その頃の看護婦(師)養成教育は、「学業と寮生活」が統合された形で教育展開されており、それはそういう一時代を経て、発展的な近代教育の今がある としか言いようがない。

寮生活の中にあって目覚めて始まる一日は、ピ~ンと張りつめた一環性の中に、計画的に規則正しく流れて行く。先輩の注視する、声、言葉、目線、仕草が、何かにつけ支配的であり(そのように思われ)、自由な雰囲気を得ることはなかったのではないかと思っている。

一般の大学生、短大生の教育課程とは異なり、教育カリキュラムは、医学・看護学分野の専門領域の教育課程が、ぎっしり詰まっていて、毎日の学びの忙しさは、結構ストレスフルであったけれど、深い学びの過程をたどるほどに、看護への興味は増してきました。

その変化の感じ方は、看護教育の力であると認識することはできました。私の場合、1年生後半になって、健康回復のきざしが出はじめ、クラスメイトたちとの呼吸がかみ合うようにもなって、大きな声で議論し合い、笑いあえるようになってきましたから、大きな進歩・成長ができたといえます。

今まで何かしら、このまま代わり映えしない閉鎖的な環境で3年間を過ごさないといけないのだろうか?こんな疑念に支配されていたようで、私は、世間に乗り遅れていくのではないかと体が強張っていましたね。パッと弾けるような解放感を渇望していました。

私の学年は、総勢12名。エネルギーとしての見た目は力不足の状態です。幸いなるかな!12名というのは、非常にコミュニケーションが取りやすい利点有りなわけです。良くも悪しくも12名は、学業は素直に学び、寮生活では、先輩の凝視点検の難儀を感じていたけれど、そこは結束力でサラッと受け流すという技を身に付け、3年を終えるまでは、ひたすら看護学校卒業⇒看護師国家試験合格に邁進するのみ。それを目標として頑張ってきたと言えるかな!?

大学・短大・専門学校の違いを知り尽くしながら、12名の仲間は、有耶無耶感をすっきりと再生させるべく自己表現を表出しあい、共有を図っていけたのではないかと思います。 謂わば私達、不揃いのリンゴ娘たちは、其々の個性を持って自分の立ち位置を自覚して共同、協同、協働を成し得ていけたのでは?と思います。さて2年生の後半に入った頃のこと、私は良き情報を耳にすることができました。1学年下の看護学生でピアノを弾ける学生がいると知り、何かピッと来るものがありました。さてどうしたものか…?!

彼女とは、寮舎内で会えば普通に話もし笑いあうという親しさもあったので、ある日、私は「指揮棒を振ったことは無いにしても、中学・高校では合唱部で練習を重ねてきた経験があり、その経験を頼りに期間限定で合唱部を作ってみたい。あなたが、ピアノを弾けると聞き、合唱部を結成できないだろうか?」と尋ねたところ、「良いですねえ。簡単な曲ならば弾けると思います。」との反応を得て、思い当たる3曲ほどを提案したところ、「ちょっと弾いてみて、弾けそうなら直ぐ返事します。」と。その後日、「トライしてみましょう!」との良き返事を受け、あれよあれよという間に、準備が整い、1年生、2年生を募集したところ、20名は集まりました。合唱部結成の喜びは大きく、不安ながらも挑戦してみることになりました。

計画の詳細は、練習曲3曲(モルダウの流れ、ゆりかご、夏の思い出)、練習期間は1年2か月(再来年3月までの18か月間)、この間、春休み・夏休み・冬休みを除けば約15か月弱、練習日程は毎朝7時15分~8時、目標は「3年生の卒業祝賀会で練習成果を披露してお祝いする」。こうして20名の賛同者を得て、期間限定の合唱部が発足できました。えらいこっちゃ!!です。

発声練習、パート別練習、全パート合わせ を組み合わせた練習を実施しましたが、やはり朝練は、実習前の時間利用という事ですから、学生にとっては少々厳しかろう?続くだろうか?との思いは杞憂に過ぎず、予想外な反応が得られたのです。

「朝の練習を終えて、実習場に行くのは気持ちよく、身体もすっきりする。」との好反応。毎朝10~15名は参加するという状況で、合唱曲の選定にも好感を持ってくださり、1年2か月間で3曲を仕上げることができたのです。その間、大きなトラブルには至らず練習は続行されたという事です。早朝の発声は、本当に気持ちよく美しく響くものです。学校にはピアノは無く、病院の講堂にありましたから、その広い場所をお借りして練習ができたのですから、ラッキーというよりほかなく、ありがたかったです。一部の患者様や、病院職員の方々から、「毎朝きれいな歌声が聞こえてきて、気持ちいいわ。上手に歌っているわね。」との感想を頂き、嬉しかったし、励みにもなりました。

そして3月中旬、3学年一同で開催するイベント「卒業生を送る祝賀会」に於いて、練習してきた合唱曲2曲を披露する時が来て、病院院長兼看護学院長、事務長、総婦長(現看護部長)、婦長(現師長)さん方と、3学年の看護学生が共に会合する場に於いて、私達合唱部員18名(だったかな?)は、晴れやかに、美しく、歌い切りました。

この経験は、「感動した」物語ではなく、看護学生の3年間の中で、看護学生の寮生活の窮屈さに閉塞感を持ち、如何に逃れようとしていたのか?単なる反発行動に陥ることなく、教務の先生方や病院の経営にあたる院長、事務長、看護部長の方々と、敵対ではないながら、しかし親しみからの距離感で交流が交わされる意識などありえず、むしろ遠い存在であったと思われるが、そんな面倒な意識解析はどうでもよく、垣根は解けて、グンと近づけていたのです。

凄い拍手喝さいを頂いたのは言うまでもありません。
アンコールの声もいただきました。あぁ~!気持ちよかった~!

私達の達成感・満足感は最高でした。その時の感激・感動が今も蘇ってきます。

 

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医療現場からのお便り

医療現場からのお便り~医療現場の最前線で働く私の友人より。


医療現場の最前線では、ベッドが不足していて、4月になってからは陽性自宅待機者が500人を超えている。

それでも3月までは、全員がホテルや病院に入院できていたが…。毎日が100人前後の陽性者。働いている病院においては、28人中27人が酸素吸入していて中等症や重症です。

3月頃は10日ほどで、退院出来ていましたが、今ではそれが出来ず1ヶ月〜それ以上の入院が必要となっています。

高齢の患者様は、認知をきたしていたり、頭が混乱するなどで、部屋を間違えて病室のレッドゾーンからグリーンゾーンに動かれるなどあり、その時の意思の疎通が上手く取れないこともあるのだと。結構、大変な介護力も伴うそうです。

そのような大変な状況にあってお世話されている看護師さんや医療従事者の皆さんは、患者様はもちろん家族の方々、そして医療従事者たち自身の命をコロナから守り、幸せな日常の暮らしを取り戻すべくゴールに向かって、活動しているのですと。

 

コロナ病棟の患者様たちは、約半数が高齢の方々で、狭い空間での生活を余儀なくされ、不自由な入院生活の上、ご家族との面会が出来ず、交流の手段は携帯電話やラインメールなどで繋がっている由。ただし、すべての患者様が交流手段を駆使してということではなく、全く交流の手段が持てない方も…。看護師さんたちは心が痛みますと言うことです。

こうした現場からの看護師さんのお話を知らせていただくと、本当にそのご苦労や心中の痛みが、よくわかりますね。私の胸にも、突き刺さる痛みを覚えてしまいました。

さらに、現場の看護師さんはこう続けてくれます。

恐るべし変異株。コロナ感染に対する恐れは、第3波とは違っており、変異株の感染拡大の威力は、凄まじさを感じると。

そして、4月に入ってからは、陽性待機者の皆様が、中等症や重症化されて救急搬送されても、入院するベッドが確保できなかったりするなど、ニュースにもなっていましたが、6時間以上も救急外来で待機しているという状況のようです。

医療現場の最前線で働く私の友人は、感染管理の知識も深く実践力も伴ってテキパキと活動しておられますが、現場の様相は、人手がどれだけあっても足りないくらいで、患者様のお世話をするに充分ということが達せられぬ状況に於いて、嘆く時間はなく、目の前の医療的ニーズに応えていかなければ…と。命を守る、そのことに於いて成すべきことをやっていきますと。私の友人はそのように語ってくださいました。

現場は、エビデンス(科学的根拠となるデータ収集、分析)が明確でない中で、目の前に生じてくる未経験な初めての現象に対して、安全な方向への行動決断をしなければならない。

そのような中で、やはり原理原則に従って、危機管理をしっかりしていくことが大切であると思います。改めて、コロナ禍の医療現場で活動されていらっしゃる医療従事者の皆様に、感謝申し上げます。

 

友人に許しを頂いて、皆様にお伝えさせていただきましたが、お読みくださった皆様に共感していただき、現状を知って自分達の生活姿勢を整えてくださればと思います。

最前線で働く医療従事者のワクチン接種は、とりあえず全員が受けて活動されているようですが、ニュースを見ていると、ワクチン接種を施さないといけない側の医療従事者へのワクチン接種は、まだ完全に行き渡ってはいないと報道されています。一般の高齢の人々への接種は順次実施されているようですが、矢張り遅々としている感は大きい。

これほどに長引くコロナ感染の終息は、ワクチン接種に期待が大きくかかっており、その充足が本当に早い速度で行き渡らせていただきたいですね。

4月29日〜5月5日までのゴールデンウィークは、考え方によっては、外出もままならずストレスが溜まってしまうと、嘆かれる方もいらっしゃるでしょう。

私たちは、今回のようなコロナ感染症拡大の災禍は、初めての貴重な経験です。

叡智となるべく学びでありたいと願っています。

良きゴールデンウィークを、健康にお気をつけてお過ごし下さい。

 

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「新型コロナ感染症」終息への行方=ワクチン接種の開始

頼みの綱であった「ワクチン」注射(予防接種)は、今までの製造工程(10年以上)の認識を覆し、この1年前後の工程期間でスピード製造され世界に配分され始めた。

自国で製造されたイスラエル、イギリス、アメリカなど先陣をきって(?)中国・ロシア、の他にインドまでもが自国での開発にこぎつけ、先進国の日本が何故、開発製造できないのかとジレンマ感がウヨウヨと頭をめぐります。

東京五輪を前に、ワクチン対策が急がれるのだけれど、ワクチンの輸入制限がこれほどまでに厳しく、また公平を期して輸出されているのでもないらしい。開発途上国への発注も国際的な対策として要求されているのであれば、日本優先とはいかず、潤沢順当にワクチンの配分が開始されてはいないようですね。河野ワクチン担当大臣のご苦労も、私達の目には届きにくく、何がどうなってワクチン供給が進んでいるのやらいないのやら…と気をもむばかり。

現在のところ、懸念されていた副反応の危険性は、大きくは曝されることなく、国民の納得度も高められており、各自治体の広報も届けられている。が、一体いつになれば開始になるのか、もたもた感が付いてくるのが、哀しいですね。順調にワクチンが整えられ、接種人数の確保、接種者の優先順位も滞りなく順当に進められていることを願うばかりですね。

そうこう思ううちに、コロナ変異種の感染拡大で、これはもう全国的に拡大していて第4波と認識するほどになってしまって、収束する気配がないから、心理としては怖くなってきているのは私だけでしょうか。主要都市部の医療機関のひっ迫状況は、他人事ではなく、私たち自身の分別ある判断、協働、協力が問われていますよね。

何よりも、医療従事者の現場は、ひっ迫状態をどのように改善改良を加えようにも、追いつかない現状の限界でせめぎ合っていて、融通さえ利かないのであれば、知恵の施しようもないと。私達住民なる人々は、夫々自身がその状況をしっかりとらえて自制をかけた行動にしていかないといけないと。

 

最近は、感染防止対策の在り方が、具体的に解明されて来ており、各自治体首長も防止対策上の工夫が具体的に踏み込んできているように思われます。各自治体の職員の方々、ボランティアの方々が、具体的な意見聴取、指導、相談など、住民に寄り添う行動を取るようになってきておられ、このような一体感のある取組は、優しさと気力を蘇らせてくれるように思われます。

やはり、今はもう少しの期間、頑張りどころであるように思われ、「感染しない・させない」そんな気力で頑張りましょう。

ワクチンへの期待を込めて!

ワクチンよ!滞りなく満たされて、私達の一人一人に届け!!

 

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【第2章】3節 看護学生の反抗?それとも穢(けが)れなき悪戯?

私達5回生は、2年時の後半までに2名、2年目の前半に2名、計4名の自主退学者を出し、5回生は12名という極めて少人数のクラスになりました。

看護婦への“begin”は、ようやく5回生としての、安定を得て進み始めました。想像だにつかなかった看護学生生活は、当然、初期混乱を巻き起こし「自分の道はこの分野では無かった、このような学び方を3年間続ける意味がない。」などと御託を並べ、悩みを打ち明け合う日々を過ごし、共感・共有の流れのままに、意志結集力はゆるぎない力となっていったようです。(然しまぁ…12名とは淋しいものでございました…!? )

意思疎通良し!風通し良し!正義感の迫力良し!実直で真面目!夫々の個性がはっきりしていて意志強固、誰彼区別なく級友の為なら、何としてでも、友を守るという熱血女子隊に成長。お人好しで世話好きな分、ガサガサしていたようでもあるが、女性のしなやかさ、若気の恥じらいはありました。

文学好きな学生が多く、皆が本をよく読んでいて、センチな詩や文章を諳(そら)んじたり、物思いにふける乙女チックな自己表現をする役者ぶりも発揮するなど、最初のうちは、そんな自己表現に違和感ありながら、皆が慣れてくれば楽しみあうなど5回生は、可愛く弾くような素直感のある学生として成長していきました。

看護教育とは一体どのようなものなのか?どのように学んでいけばよいのか?と考えるには、まだ看護教育全体の可視化は万全ではなく、大まかには、1年目は「看護の基礎教育を終えて戴帽式を終えると基礎実習に入る。その間に前期テスト、後期テストを経て、進級が決定する」という説明があり、促されるままに取り組んでいました。先生方は、全員が進級していくために、精いっぱいの説明と檄を放ってくれたようですが、入学したばかりの私達にすれば、皆未知の世界の他人事気分で受け止めていたように思います。

現在のように、情報が豊かに入ってくることはなく、見よう見まねの最初の一歩から、どのように踏み出せば良いのか、どのような仕組・段階を通っていけば良いのか…?今までとは異なる教育内容に対して、チェンジする手がかりも解らず、導かれるままに従っていたように思う。

ほどなく疑問符が生じまくり、興味度を高めるには、抑揚のない講義が多く面白くない。ひたすらにとりあえず暗記だけしておけば…。及第点をとるために頑張ろう!という意気込みで支え合ってたのかな?

「とにかく卒業までは、私達何も解らないままに従うしかないね。それで頑張って国家試験を絶対パスしていこうね。」

健気なまでに学生たちは、腑に落ちない机上の勉強をクリアーして、いよいよ医療現場の臨床実習へ。計画的な流れに乗って実習に出て半年ほども経てば、実習の現状に、批判的な見解(実習は学びの場ではなく労働の一部として捉える)など無知なる青臭い主観を持って、励まし合ってきました。これが5回生12名のグループ力だったと思っています。

 

私達5回生は、わずか12名の小集団ながら、結束力が強固にありましたから、教務や病院側と改善に向けての話し合いを何度も重ね、3年時の修学旅行(研修旅行とも名付けられていました)が、従来より東北地方と決まっていましたが、私達は、北海道旅を希望し、その実現に向け交渉を重ねた結果、北海道は認められず、東北旅行を実施すると。ならば、私達は修学旅行は致しません。との返答で再び交渉となり、更なる旅行の意味づけ、日数の短縮を交渉の材料にして、列車・船旅・ユースホステル泊の組み合わせによる4泊5日の北海道修学旅行を認めていただくことになりました。

それは「ごね得」ではなく「話し合いによるコンセンサス」の形成であったと思っていて、私達も単に我を押し出すのではなく、どのような説得性を持って交渉するのかという貴重な体験をさせていただいたと感謝でした。

後々の看護学校の授業に、ディベート(テーマに対して対峙する2組が観客を説得するために論理的に議論する)学習が取り入れられるようになりましたが、私は、今でも、ディベート体験学習より、コンセンサス(論理的合意)の形成学習体験が、大事であると思っています。

そんなことを論理的な思考をもっていたのではないけれど、どうしても、学生の身分にある看護学生の日常が、寮生活の中に詰め込まれているようで、自由を感じなかったのは事実でした。看護学生ではなく看護労働者としての学生ではないか?という不満感から解放されることなく過ごしていましたから、世の中から取り残されていくようで、学生としての肯定感が形成されずにいたのでは無いか?と。何かしら遮断された不自由感に成すすべもなく…。

看護学生時代に、何を学び、体験学習を重ねていくのか、創造する力をどのようにして養っていけばいいのか…と、ノンちゃんはつぶやくのです。

 

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【第2章】2節 看護学生時代 ~あぁ!是が青春を渡る河なのか!?~

18歳の娘が、南紀の町から大阪の都会に移り来て、看護学生寮(当時は看護短大以外はほとんど全て、寮生活が教育の一環として組み込まれていた)の一室にわが身を置いてしみじみと眺めてみた。土佐堀川に面して建っている横に長細いビルは、1階2階が看護学校、3階4階が学生寮となっており、寮は和室仕立ての4人部屋で、清潔感がありこじんまりと整っている。各人に、洋服ダンス風ロッカー、座り机、ベッドが、効率良くセッティングされていて、5年前に建てられたものだ。トイレ、洗面所と簡単な炊事場は共同で、此処も清潔に整えられていて気持ち良い。3学年60人の共同使用に手狭感、不備感なく、これからの3年間の学生生活の環境が整えられているのを感じ、気持ち新たに出発することになりました。

これからの3年間、待ち受けている試練は、「花も嵐も」。全く想像・想定するすべもなく、むしろ甘い期待に胸弾んでいました。

初めての寮生活。女子ばかりの看護学生生活。友としての密着度は、今まで経験したことの無い密室・密接至極。半年間は新人2名+上級生2名の4名構成で、その間、先輩から生活の基本や礼節に関する私達への伝授は厳しく、教務の先生方はじめ、まもなく出会うことが多くなるであろう病院職員の方々、学生間の先輩・後輩のわきまえなど、基本的で秩序ある関係性について伝授されました。

当時は新鮮な感覚で、熱心に聴いていましたが、生活が慣れて看護学生・寮生活への馴染が増すにつれ、自立性が確立してくる頃、今度はこの新世界の窮屈さに多少の不満を持ち始めましたが、やがて半年が過ぎて、同級生同士4人の同室になってからは、夜になると皆で学生生活論を交し溜飲を下げては、逸脱することのなきよう平静さを取り戻し、明日への再生に思い至らせ、平穏な眠りについていたものです。

看護学生としての寮生活はこのようにして、大きな問題もなく1年が過ぎ~2年目を迎え新入生を歓迎し、1年先輩・2年先輩となって3年間を過ごしたわけです。

後々になって、看護婦として社会人を歩み出してからは気づいたことですが、看護学生時代の先輩から伝授される社会生活の基本、同級生同士が培う人間関係力、3学年共々の一体感を共有し、人其々の多様性を認知し受け入れる許容性、生命力の礎になっていたのだと気づき、「同じ釜の飯を食って育つ」という経験は、無駄なプロセスではなかったと、悟りを得ました。

 

私は入学以来、生活の変化が大き過ぎたのであろうか、5月頃から体調に変化が及びはじめ、54~56㎏あった体重が7月には50㎏、女性の生理上の影響も出始め、月の徴は不定さが続くようになっていた。顔色は青白くなり、身体は痩せ、顔の生気が無くなる状態は12月頃まで続き48㎏に。その間、8月の夏休み帰省時には、教務主任の先生から「夏休み中、親御さんとこれからの進退について話し合ってきなさい」との厳しい指導がありました。これには、かなり反発を覚え、帰省しても母に伝えることなく学校に戻ってきましたが、教務主任には、学業を続行していく旨を伝え、決して快くは無い了解を頂き、「退学のすすめ」の受難をクリアしました。ですが、実は当時の私は、随分体調が不安定で、不慣れな学生生活のストレスによるものと自覚していました。

看護婦を目指して進学したのは私自身以外の何者でもなく、後ろ向きになりそうな自分に対して、誰も助けてくれる人はいない。母の長き闘病の苦しみに何も応えられなかった私の無力さが、看護婦への道を歩ませたのだから、これは頑張るしかない。その思いだけで、心のざわつきを抑制していたかな?

男女共学の小・中・高の学校生活から、女子ばかりの寮生活への変化は、相当なストレスでした。何しろ教科書は、医学書・看護学書に準じた基礎看護学諸々であり、私の考え及ばぬ世界に迷い込んだようで、学びの面白さを知るどころか、学び方が解らなかった。どのように気力を持ちあげて学んでいけば良いのか…?!と。

今でこそ「カルチャーショック」という言葉は、普通に取りざたされていますが、考えてみれば、当時の私は、異文化に接した時に受ける精神的な衝撃を受けたわけです。今まで習得してきた知識と現実の習得する情報の乖離が、まさしく大きくありましたし、新しき友達は、戸惑うことなく授業を受け、寮に帰っては復習を難なくこなしているように見受けられ、気後れする自分をひた隠して陽気を繕っていた私でした。

ですから、勉強は寮で皆と共にではなく、学校の図書室で調べるでもなく、ひたすら、古めかしくも重みあるレンガ調の中之島中央図書館に通い、本の開き方、本の選び方等に関して、小さな声で図書館の方に教えて頂きながら、我が教科書の部分を捉えて、ノートに記述することを繰り返しながら、如何にも勉強した気分になって寮に帰ってくるという繰り返しを続け、果てしなき無駄骨を折っていた姿が、涙ぐましく哀れに思い出されてきます。

しかし、この事態は、私の学生生活3年間を継続する底支えになっていたと思うのです。

馬鹿らしい遠回りの学習の仕方ではありましたが、やがて「今、何を教わり何が解らないのか?」同期生皆との交流の仕方が定まるようになってきて、2年生の夏休み以降は、私なりの歩み方が気負いなく是正され始めてきました。

当時の看護学生の教育カリキュラムは、実習時間が大幅に多く、私達は「学生とは名ばかり。半学生・半労働者じゃないの!」文句の極みを正義感で持って、諤々述べ合っていました。教務の先生方に説明を求めたりもしましたが、今思えば、教務の先生方は、学生に言われるまでもなく、基礎看護教育上の問題点を痛く自覚しながら、私達を教育されていたのですが…。

学生ってのは、ホントに青臭く、無垢つけき若者。若きエネルギーを、どちらの方向に飛ばし向かおうとさせるのやら…。多くの主張を正義と心得、簡単に譲ることはしない。良きにつけ悪しきにつけ、在り方によっては厄介で軌道修正の余地がないほどに頑張る。私もまた、そんな時代の中にあって、やはり看護学生生活(看護学校、寮生活の窮屈さと自由さの中で)は、青春の足跡として記憶に残っています。

 

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ホイっと目に留まった 知ってお得「知っとく感染防止提言」

コロナ感染症の勢いは、昨年2020年の始めより収まるどころか、何波にも押し寄せて拡大の一途をたどるばかり。一国の問題ではなく、世界はグローバル化しており、何処にでも自由に、短時間で往来できる世の中になった以上、あっという間に、世界中に感染拡大しました。(1月12日現在、世界のコロナ感染症の累計発生状況は約9千万人=WHO発表)

勢いづくコロナ感染症対策は、WHOと言えども現時点では打ち出せず、世界の自由で短時間に往来できる状況は、患者が自覚しないまま、あっという間の短時間でウイルスの感染拡大を招いているようです。各国の対策が自国第一主義の流れを拡散し、協力、協調してコロナ対策に取り組むという環境のコンセンサスシップが困難になってきているのでは?と思われる。WHOも課題解決がなかなか難しく、役割の存在感が、世界の中に霞んでいるようにさえ思えます。

感染症の医療上の対策は、ワクチン開発が重要であり、各国の研究機関は、新型コロナワクチン開発を急いでいる。
私達は、ワクチン開発には10年はかかる、開発が如何に困難な過程を通らないといけないか聞かされていたが、昨年末頃には、2社ほどの開発成功→ワクチン実用化へのビッグニュースが流れ、世界の政治家・要人たちが積極的にワクチンの投与を受けている。

接種者数は順次に増加しているようですが、1月10日、ワクチン接種の1回目実施が進む英米は、英国:12月8日~1月3日まで129万3643人、米国:12月14日~23日まで189万3360人という接種者数で、引き続き実施継続しているようです。

始まってまだ日が浅いため、副作用、アナフィラキシーなどを恐れて、安全性を見極めてから…と様子見する人もいるようです。現在、コロナワクチンのアナフィラキシー発生者数は、英国で2人、米国で21人ということで経過しているという事です。ちなみに、インフルエンザワクチンの安全性は、アナフィラキシー副作用率は100万回中1.3件で、高い安全性が示されています。

さて、今、日本に於いて、外国で製造されたワクチンが届けられたら、あなたなら積極的にワクチン接種をしますか?もう少し様子見をしますか?拒否しますか?

 

ところで、感染を防ぐには「ソーシャルディスタンスを取りましょう」と、その必要性が唱えられてきました。この言葉の意味は、社会的距離 という意味であり、人間は社会の中でこそ生きていけるもの。他人との間に「社会的距離」を取り続けるのは、寂しくてつらい。ここは、「フィジカルディスタンス」=物理的距離を使うようにしましょうと。物理的距離は離れていても、社会的距離「心の距離」は離れない。そんな生き方を心がけようではありませんか!と。

長期にわたる新型コロナ感染で大きく変わろうとしている社会のしくみの中で、私達自身のこれからの課題(働き方、生き方)提言と受け止め書き置きました。(毎日新聞 15面、旬なトピック 池上 彰氏の文章からの要約)

 

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【第2章】1節 看護師への道~自由の風なびく高等学校生活から看護学校へ~

私が通った県立T高等学校は、太平洋の海原に神島と称する厳かに浮かぶ自然豊かな島(人の立ち入り禁止)と砂浜と湾沿いに植えられた防波用の松林が続く風光明媚で、私達の市街地ご自慢のデートコースでもある臨海道に面して建っていました。現在、その学び舎は、台風・地震・津波災害などの防災対策上、小高い山(丘?)の上に移転して久しく、現学舎への望郷感は湧いてこない(申し訳ない!)。最終学年の3年時のクラス編成は、普通クラス4組・進学クラス4組に分かれ、高校最後の1年を過ごしました。

私は一応進学クラスに入りましたが、私自身、勉強に勤しんだ記憶はなく、クラスの男女7~8人の有志グループで、山や海へのハイキング・キャンプを楽しむこともしばしば。高らかな笑い声は青春そのものだったかな?時々は自制の効いた時事討論とでもいおうか、真剣なディスカッションを展開したり、我がT市の将来像や地方新聞で話題になっているあれこれを話のネタにしたりもして楽しい時間を過ごすことができました。

こうした学生時代の経験は、後々の私自身の在り方というか一つの選択をして次に進めていこうとするとき等に、何かしら背中を押してくれる力になってくれたような気がしていますね。友人達もまた、その後に歩む道を経ながら齢を重ね、夫々のライフスタイルを創ってきたことでしょう。後期高齢となった今は、皆で時々に会合して、郷愁に浸るその時間は、私たちの得難いエネルギーの再生時間となっており、快い健全さに感謝し、生かされている命への感謝を想う時間となっているように思います。

さて、念願の看護学校への入学を果たした私。
初っ端の思い出話は、高等看護学校受験時のエピソードを述懐してみましょう。

入試願書は、私立1校、公立系2校(地元1校含む)の3校に提出して受験することになりました。私の本心は、地元から離れて、県外は大阪の学校に入学したく、私立の住友病院付属高等看護学院、公立の大阪市立看護学校に挑戦し、3校目挑戦は地元看護学校を受験することにしました。(註:大まかな私の認識になるが、その時代の看護学校は、戦後(昭和25年頃)のGHQの指導もあって、看護婦の高等教育の必要性を求めて、看護婦の名立たる先人方のご尽力の下に、看護教育の概要が整えられ、准看護婦養成所、高等看護婦養成学校、短期大学看護学校、大学医学部付属看護学校、高等看護教育の改善、新たな教育基本要綱の基、その発展途上にありました。)

受験時日程については、詳細の記憶が既に曖昧になっていて正確に記述できないが、入試の流れの前後誤認はあるにせよ、輪郭的に大きな間違いは無いと思います。

初回挑戦の住友病院付属高等看護学院の受験時のこと。
一次試験は筆記試験。確か9時から午後3時頃までだったかといます。定員20名に対して約70名の受験生でしたが、数名の欠席者がいたようです。筆記試験が終わるとそれぞれに散会して、翌日の午前8時30分頃には一次合格発表があり、看護学院の玄関に掲げられた大きな模造紙に一次合格者の番号が書き出されていました。合格者は、確かそのまま10時からの採血・検尿・X-P検査を受ける という段取りになっており、1階の教室に待機していました。まもなくベテランらしき看護師さん2名ほどが採血をして下さいました。とても手際よく、手早く、必ずしも私達と目を合わせることはなかったが、声掛けは耳触りが良く優しかったのを覚えています。その後、病院のX-P室にて胸部X-P撮影・検尿提出という順調な流れに従いながら、いよいよ私の採血の順番が回ってきました。

ところが、冬場の寒さが影響してか、緊張のせいか、血管がなかなか浮かび上がらなくて、ベテランの看護師さんが3度ほど採血針を刺入するのですが血管に当らず。やがて用意されたバケツのお湯に左右の腕を突っ込んで温めた後、看護婦さんが変わって再度、両腕の刺入を試みるのですが、血管に当らず。(私は神経の刺激痛に黙々と耐えて頑張っているのですが……)。

終に、小児科のお医者様が来られることになって、「楠本さん、もう一度採血させてください。小児科のベテランの先生に採血していただきますから、もう少しの辛抱をしてくださいね。ごめんなさいね。」と、看護婦さんの切なる懇願もあって…。まもなくお出でいただいた小児科先生に黙って両腕を差し出して……すると駆血帯で縛られた腕は、素早い間合いでチクリとしたと思ったら、私の血液が注射器の中にス~ッと吸い込まれているではありませんか…?!瞬時にほっとした時はすでに抜針という早業。先生は、『よかったね。もう大丈夫。』と、笑いかけて下さり立ち去って行かれましたが、見事な早業!無痛の採血!それまでの皆さんのご苦労と私の苦痛は何だったというのか?

第一次筆記試験、第二次面接試験も無事終了して、3日目の夕方に合格発表と相成り、私は「合格」を果たしました。住友病院付属看護学校は、第一志望でもあり、もうあの採血の苦痛は二度としたくなかったので、残る2校の受験はキャンセルということに。

合格20名+補欠5~6名であったかと思いますが、私は、住友病院付属高等看護学院への入学を決めたのでした。決めた瞬間は、静かな嬉しさが、体中に浸み入るように流れる感覚を味わいました。

看護学校の入学式は、4月6~7日だったかと思いますが、その時の新入生(住友高等看護学院5回生)は、20名の定員を割って16名。

高等看護学院始まっての欠員スタートでした。

 

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