【第3章】1節 潜在していた「大学での学び」!まさかの挑戦!?

3年間の看護学生生活は、世間知らずのなせる業、波瀾を招く万丈さをもって、困難な時々を通り過ぎてきましたが、総合的に見れば、病院や看護学院の教育的な視点の礎はしっかりしており、毅然とした教育体制があり教育環境も良く整えられていました。教務の先生方の意気込みと熱意は計り知れないほどの迫力が、私達に伝わってきました。私達もまた守るべき学則や日常の学びにおいては、几帳面で素直な学生であったと思います。社会全体を見渡せば、私達の10代の頃は、自由への模索が熱気を帯び、解放されるべき方向に風穴を開けようとした時代で、戦後復興への力強さが溢れていましたが、一方では、旧き社会の窮屈感・閉塞感に抗しきれぬ苛立ちを感じていた社会ではなかったか?と思います。このような社会背景の中で、看護婦養成課程の教育プログラムは、幾重にも検討が重ねられ、さらなる高等教育化に向かって、課題解決を図ってきたのは確かです。看護職者たる看護職域の論陣を張る先人の方々の熱き思いは、ほとばしる真剣さで検討されていたのを思い返せば、ひたすらに感謝であり、時代の変革期ではあったと思います。しかし私は、当時の看護婦養成学校3年間を経験したわけです。見渡せば、何か物足りないむなしさを覚えていたのは確かですし、先生方との関係性には、ある種の緊張感がありましたし、簡単に親しみを表現することはできなかったですし、ある種の距離感を保っていました。が、しかし、先生方は、専門職業人としての誇り高い信念を持って、教えることの困難さ、学生達を導くことの困難さに悩まれていたと思います。

私が新人看護婦として配属された最初の病棟は内科病棟でしたが、結核既往歴があり排菌の恐れがなく、他の内科疾患治療を必要とされる患者さまの病棟でした。56床ほどの病床はほぼ満床で、入院経過が1年~3年~5年の長期入院患者さま達でしたから、新人の私は、患者さまから真面目な顔してからかわれたりすると、不愉快さを覚え、何でこんな病棟?と涙が出るほど悲しみが込み上げました。先輩の看護師さん達が申すには、「世の中生きていくには、こんなことぐらいで怒ったりメソメソしてたら、きりないよ。患者さんからのからかいなんか、何事もやり過ごすことやね」と。モチベーションは下がり、半年くらいは仕事が面白くない気分で働きましたが、そういえばいつ頃からか、本来の笑顔が出せるようになり、看護上の対応にもどうやら工夫と思慮・思考が巡らせるようになってきましたから、ま、1人前の看護婦さんになっていけたと思います。

そして気持ちのやり場が落ち着いてきた頃、私の頭の中に、成し得たい一つの小さな願いが沸々と湧いてきました。それは、看護学生の頃、夏休み、冬休みで郷里に帰ると、大学に進学した友人たちと会って近況など色々と話合ううちに、私は密かに「私も大学での勉強をしてみたいな」と思うことがしばしばありました。大学生をしてみたかったのです。明快な視点に導かれたのでもなく、漠然としたものでしたが、叶えられるにはどうしたらよいものか?安直であるにせよ、大学受験がどうにかできないものだろうか…?と。調べて導き出した案は、国立系の総合大学教育学部養護教員養成課程1年修了コースの道です。大学に進める道はそれしかなく、大学受験を目指して勉強して来なかったけれど、何としても受験して1年間の大学生生活を経験してみたい…。看護婦職の道を歩んでいくその気持ちに変わりはない。養護教員養成課程1年間の学びの場で、教育学分野を学び、他の学部の方々との交流もできる、その経験だけでも、看護婦としての歩みに大いに役立つことがあると思いました。

受験理由を私なりに正当化して受験準備にかかることにしました。が、ここでしっかり考えないといけないことは何か?1年間の大学生活…を実行すれば、1年間の学費と滞在生活費の経費を準備しなければならない。さらに…看護学生時代の奨学金(2年間分)を返済しないといけないのです。忽ちに金銭的には破綻を来してしまい、さらにもっと大事な約束が…。卒業を前にして言い放った忘れようもない誓いの言葉「3年間を病院で頑張ってみせます」。これを反故にしてはいけないのだ。決断できずに思いあぐねる日が続くうちに、受験票は届き、入試日の1月末は刻々と近づいてくるばかり。解決に至らぬまま、ついに入試日が来て、迷うことなく雪降る金沢大学に向いました。2日後には合格通知を受け、それはとてもうれしい私自身へのニュースでした。

何が何でもの意を決して事務長さんに相談させていただくこと致しました。ではありますが、卒後一年目の私が何申す!?と自問自答するばかりの気後れ感、もやもや気分と闘いながら、事務長さんに面談を申し入れました。「どんな相談ですかな?」笑みを浮かべておっしゃられましたが、そこはやっぱり用心深く控え目に…! 問題多き5回生の私が何を言いだすのか?

 

「私は、1年間だけ大学(金沢大学教育学部養護教員養成課程)で勉強したい。養護教員になりたいとは思っていないので、終了すれば病院に帰ってきます。ですから、1年間を退職にしないで休職にしていただきたいのです。看護婦の道を残していただきたくお願いできないでしょうか?1年後には必ず病院に帰ってきます。大学で学びたい主科目は児童心理学です。看護婦として大事な学びになると考えています」と。

目を閉じて話を聴いて下さっていた事務長さんは、おもむろに、

「この話は、聴かなかったことにする。あなたの所属の管理者はどなたですかな?」

「はっ?あの~看護部長です」

「ならば先ず、相談しなきゃいけない人は誰かね?」

「看護部長ですが…?看護部長さんに話しても否定されるだけですから。」

「私は何も聞かなかったことにします。あなたはあなたの上司、看護部長にきちんと申し出なさい」と突っ返されました。

一から交渉し直しの苦手な交渉に、この話はもうまとまらないことを覚悟して看護部長に面談を申し出ました。勿論、いきなり看護部長は私を叱り飛ばされました。2~3日後、事務長からの呼び出しがあり、「看護部長から話を伺い、検討した結果、1年間の休職を認めましょう。必ず帰ってくることを前提で、あなたを信用して許可するのです。初めての事ゆえ、この契約を破棄すればどういう事になるか?社会人の責務としてしっかり認識して手続きを進めるように」と。私は、許可されたのです。晴れて、1年間を大学で学ぶことができることになりました。

(この続きは次号で またお話ししましょう。楽しみにして下されば、大変嬉しいです)

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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を松下記念病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。