赤い鳥・小鳥!なぜなぜ赤い?赤い実を食べた…。
この童謡が似合う秋が、私は好き。
小さいころ、蓄音機のハンドルを握った小さい手で、ガリガリと巻き戻しては、何回でもそのレコードを回し、聞いては歌っていたりもして、歌うのが好きな子供でした。
秋の実の赤さが、何故か私の心の中に胸キュンとした切ない思いが、いろいろ幾重にも重なって押し寄せてくる。
豊かな実りの色合いが、美味しさまでも伝えてきてくれるようだ。
幸せ感に目を細めながら、先ずは仏様にお供えしてのお楽しみとなるが、その手で、お線香をあげ、仏壇の小さな鐘を鐘棒でチン・チーンと鳴らせば、チヮ~ン~~~
長引く鈴の音の心地よさを思い出す。
今はそのような風景を見ることは、殆んどありえないのではないだろうな?と思えば、自分の幼少期のそのような思い出は、宝物と思えてくる。
自己満足のそしりでしかない思い出かもしれないが、赤い実をつけた木や草を見つければ、しばし眺め入ることあり。
小さな手を差し出しては、赤い実が熟していれば触っただけでポロッと落ちてしまう実もあれば、枝に手をかざして振ってみても落ちない実もあり、どちらにせよ赤い実の在処をしばし眺め続ける慣わしは、自分でも可笑しい?とは思っていた。
なぜか?この「赤い実」への思慕感は胸キュンで、大きかれ小さかれ朱赤で透明感の実であれば、眺め入り、その場から離れようとはしなかった。
その仕草は、今尚鮮やかに蘇えってきて、なつかしき思い出として噴出してくるというわけです。
我が家のベランダに咲く植栽の小花や小さな実のなる雑草が、西日の日差しを受けて、ついつい秋を感じ入る時間だな!?との思いに浸っている近頃です。
そういえば10月16日のAM7時?のNHK・TVの女性アナウンサーが、
「どうして豆苗は、みんな同じ向きに大きくなっていくのかな?」と話しかけているのを耳にしたとき、ふっと、我が幼少期の習性で、瞬時、その声に興味津々の虜になってしまったわけです。
「それはね、豆苗はみんな光をたくさん吸いたいのです」との答え。
思わず、ぷっと笑ってしまいましたが、瞬間、「へえ??その答え、笑わせるじゃないの~!」な面白い放映の一コマがあったわけです。
朝のTV観賞時間帯は、結構こまごまと我が身支度に集中しており、従って、それほど集中力が働いているわけではない。
ところが、生物個々の生命力は、その逞しさ、特異性、全てに、興味津々なエネルギーを持っているものですね。
しっかり影響され・励まされて、命の蘇えりとなりました。
エネルギーを頂くお話にしようと思った次第ですが、皆様、今回のお話はいかがでしたでしょうか?
