「サグラダ・ファミリア建設作業が、間もなく収束と」のTVニュースや新聞記事が目に留まり眺め入る。
素直に、「えっ?そうなんだ!!へ~!?何だかな~!?」との思いは、直感的には一歩引いた感じを持ってしまったか?
畏敬の心情は持ち合わせていなくて、そこまで引き継がれる完成への思いは何なのだろうか?
と思ったかどうか定かではないが、感動的な喜びの共有は不確かで、その場を通り過ごしている。
世界のクリスチャンにとっては、神聖なる世界の大いなる喜びの事象であるに違いない。
完成形の工程が解らない、長年に渡る引き継がれゆく多くの才たる建築挑戦者たちは、祈りの象徴である父ヨハネ・母マリア・子イエスの「聖なる家族」の塔の完成へ、どのような思いを以って継続を受け繋ぎながら、ここまでの本質的(ガウディの思い)な完成度を繋ぎ、完璧な完成への引継ぎに挑戦してきたのだろうか?!
あと僅かの作業工程を残したところで、「まもなく完成する」という表明が、2026年6月10日のニュースで発表されたのである。
「主塔イエスの塔がこの日に完成し、教会全体は概ね10年前後で完了見込」との情報発表は、世界中に繰り返し伝えられたようで、着工者のガウディの没後100年の命日の日は、既に着工期間144年。
全体の完成は、あと10年位という状況にまでこぎつけてきているとのニュース。
主塔(イエスの塔:172.5m=世界一高い)が完成した2026年6月10日(日本時間11日未明)に完成の記念ミサが執り行われ、その映像が全世界に公開されたので、皆様は既にご存じかと思います。
記念ミサ式典が厳かに行われ、人々の静かな信頼と安寧と希望への願いを込めて行われたこのシーン。
こうして、荘厳な静けさと畏敬に満ちた記念ミサの当日は、着工者のガウディ没後100年の命日の日であり、着工期間144年もの間、その建設作業に係わった人々の脅威な信念の基に、受け継がれ引き継がれてきた歴史連なる日々を思うと、圧巻さが頭の上に降りてくる。
神のご加護有る事を信じて、難解なサグラダファミリアの正解設計に迫る
「解答なき正解答」
を見出さねばならない作業工程を辿るのであり、意地悪く?建設設計図を解答(提示)せずに、後世に残していったガウディの過激(意地悪)な心根たるや、痛烈な皮肉屋さんらしい(詳細には、私は知らんけど…)
報道でしか知らないが、ガウディの後を繋ぎ来た144年間の挑戦者の犠牲(ご奉仕)は、今はまだ、詳細に知る由もないが、挑戦者は、難解な設計の解き明かしに苦労し、時間を尽くした挙句の挫折感にも苛まれながら(も)、携わってきたということらしい。
私が、TVニュースや新聞で知得た俄か知識であるので「お粗末さ」を承知しているけれど、ガウディが取組み、そこまでの犠牲?執念?を押して完成させようとした「突き動かしの魂」とは?
如何なる魅力に引き寄せられて挑戦したのだろうか?と私は、不思議と世界の深層心理を思うものの「創造」への想像は逞しく描けない。
今後のニュースや“サグラダファミリア関連書籍”の発売において知るしかないと思う。
まだまだ、難解な設計に挑戦し続けながら、全体の完成目標は10年ぐらいを予測されているが、最終段階に入っている今、かつてガウディは、この世界一高い塔を建設するにおいて「登るためにあるのではない」と申されたという話は、彼の意図する「理想の教会・キリスト教の社会」の理想郷をイメージされているのでしょうか?
3つの塔は、夫々「イエスキリスト」と「父ヨセフ」と「母マリア」の聖なる館という創造物であり、建築の発想は、ガウディの解答示さぬ意地悪なパネル合わせ作業。
目指した理想の教会(社会建設)は、理解を超えてまだまだ難度の高い作業の完成が、直ぐそこまでやってきている。
ガウディは、墓場でほくそ笑んでいるかもしれない。
ガウディの「イエスのファミリア」発想の始まりが、膨大で難解すぎて普通ではない。
ガウディの宗教「キリスト教信仰」が基ゆえに、この膨大な発想があるのであろうけれど、私は全く何も知らない。
ただただ驚きのままに、本文をつらつら書きこんできましたが、早い時期に資料本が世に出てくることを楽しみにしながら、この文章を閉じることにいたします。
皆様は、如何な感想・ご意見をお持ちでしょうか?
