小宇宙の飽きない満足!万華鏡

小学生のころ(今はもしかしたら幼稚園で作るかも)、
図画工作の時間に万華鏡を先生や仲間と一緒に手作りしたことがある。

案外簡単にできるもので、その行程を皆でワイワイ言いながら楽しみ、
出来上がった自家製の万華鏡に満足感の笑みがこぼれたのを思い出す。

今頃なぜ万華鏡なのかというと、
先日我が家に昔の仕事仲間(後輩)が訪ねてきてくださり、
「此の万華鏡私が作ったのですよ。ちょっと見てください」と、
二つの万華鏡を机上に並べてくれた。
内心、気に入った方を私にくれるのかな?
そんなことを思いながら、
小さな筒の小さな穴から覗いてみて驚いた。
(そしてトドのつまり、彼女の処女作の
万華鏡二つは私の手に入ることはなかったけれど…)

昔作った万華鏡は厚紙筒で、
小さく切った色紙の具材が鏡を回すごとに、
バサッバサッと小さな音を立てて万華の世界を創っていたが、
後輩が見せてくれたのは、彼女が手作りした
アクリルタイプのオイル式万華鏡。
三面鏡の中のアクリル具材は、静かに緩やかに回転しながら
私を飽きることの無い小宇宙の世界へと。癒されましたねえ。

万華鏡のミラーは3枚のミラーを組み合わせたもので、
この部分は万華鏡の心臓部といわれている。
ミラーの大きさや材質で、品質が左右されるということですが、
ミラーの像が何回も反射されて、無限の広がりがあります。それ故、
反射率の高いスパッタリングミラーが必要とされるようです。

(為参考):万華鏡は、1816年にスコットランドのデビッド ・ブリュースターという物理学者が”Kaleidoscope”という名前で特許を申請したのが起源と言われています。彼は、灯台の光をより遠くまで届かせるために鏡の組み合わせを工夫している最中に万華鏡(kakeidoscope)を発見しました。それを元に開発をしたようです。その後アメリカに伝えられて、1800年代中頃にはガラスアンプルに液体とともに具が入れられたものが誕生し、その後、アメリカやイギリスで玩具として広がっていきました。

”Kaleidoscope”カレイドスコープはギリシャ語を元にした造語で、
”Kalos”=美しい、 ”Eidos”=形、模様、”Scope”=見るもの
の3語を合わせた合成の言葉です。

日本には、1819年(文政二年)頃に入って来たと伝えられ、
「紅毛渡り更紗眼鏡流行 大阪にて贋物多く製す。」
という記述が「摂陽奇観」にあり、
発明後わずか3年にして日本でも伝わり、
インターネットや通信手段が発達していなった当時にしてみれば、
その速さには驚くべきものを感じます。(後略)

今日私は、友人にお願いして、癒しの小宇宙!飽きない小宇宙!
万華鏡を作ってみましたの。
今夜は万華鏡を友にして眠りますから、よく眠れそう。

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やんごとなきユーモレスクな詩

「日本人は自分の国に誇りがなさ過ぎる」とは、よく聴く話である。

私の息子も、外国に留学してそのような感想をもったという。
とにかく歴史を語らない、語れない、そんな習慣になっていない自分がいたと。
彼は、留学先の大学で、それこそ人種の異なる学生同士が自己紹介し合うとき、
ほとんどの場合、自分がどのような国・家族のなかで育ってきたかについて、
歴史的背景を交えながら嫌味なく誇らしげに語るのには驚いたと。
それがきっかけになったかどうか定かでないが、無造作に机上に置いてある本を覗きみると、
息子は歴史的で社会的で文化的な本を読んでいるようだ。感心している。

実は私も、20代前半の頃、しきりに同級生の男子から
「のんちゃん、日本歴史、世界歴史はやはり大事だから、
この教科書(高校で使用した副本もつけて)をもう一度
きちんと勉強してみるのがいいよ」と進められたことがあった。

そして近年グローバル化に対応していくことが求められるようになり、騒がしい。
自国の歴史、自国の文化に誇りを持つことは大事であることは確かなこと。
ただ、穏やかな誇りであるほうがいいのでは?と思う。
身近なところで人間関係が争いに発展するとき、周りの人たちは関係修復を図ろうとするのだが、
その人が持つ絶対的なプライドが問題解決どころか
問題を異質な方向へ向けてしまうことがあると思うからである。
自国の歴史への誇りが、他国の歴史とそこに築き上げられた
文化性を受け入れる寛容さに繋がっていければ、グローバルな交流を、
スムーズに受け入れていくことができるのだろう…。

がしかし?…と思うところがあり、むしろ、
このグローバル化のスピードに追い付けなくて怖いと思っている。
しかし、今はグローバルな時代。歴史を知らないと
グローバル化を生き残れないとまでは云わなくとも
自他国の歴史と文化を受容する感性は磨いておきたいものだ。という結論に。

さてさて、日本は高齢社会。
認知症で居住場所が分らなくなってさまよう高齢者が、
そのまま行き着き先で保護され施設に入所されたままで
命を永らえているという報道をきっかけに行政が注目し、
何人かの高齢者が家族と再会でき始めている。
毎日新聞の余禄にこんなのが載っていたので紹介しますが、ノンちゃんは考えた。
高齢者福祉施設が時の流れに抗せずグローバル化するということは、
このようなやんごとなきユーモレスクの詩が満ち溢れてくるということだろうかと。

***
シドニーの高齢者福祉施設に入院しているジョージは
大声でしゃべる明るい男だが、時おり旧宅が恋しくなるらしい。
ある時、突然立ち上がって叫んだ。

「俺は今からこの塀を乗り越えて脱走する。賛成してくれる奴は、梯子を支えてくれ!」

よろよろと梯子を塀に立てかけると何人かの仲間が横から支えた。
ジョージが塀を乗り越えると、そこには施設職員が待ち構え手を差し伸べる。
「シドニーへようこそ」付き添われて周辺を一周したジョージは
仲間の拍手に迎えられ、満足げにソファへと戻った。
***
(認知症専門医の橋本篤さんの詩集より)

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