大暑の日

大暑とは、二十四節気の第12。
6月中とあるが、要するに熱さが最も厳しくなる日で、
大暑の日から立秋までの15日間なのだ。

ちなみに小暑と合わせた1ヶ月間を「暑中」と言い、
暑中見舞いは、この期間内に送るのであると。
あまりその辺のところを考えずに闇雲に大概の感じで、
暑中見舞い状をお届けしていたと思う。

1年で最も暑いとされる大暑の日には、あちこちの動物園などでは、
動物たちに「氷柱」のプレゼントが贈られるTVニュースが流れるが、
今年は何しろ人間であれ動物であれ植物であれ、
生物のほとんどは、連日の猛暑に闘うことも萎えてうな垂れてしまうのみ。
私たち人間の世界でも、「土用」というお馴染みの
恒例行事「土用鰻」の食に預かる楽しみで酷暑を乗り切ると言うわけです。

さて、「闘い」ということに関して、こんな記事があった。

「闘病」って言葉は無理して病気と闘うイメージなので使いたくない。
うまく付き合って良い方に持っていきたいと不屈のカメラマン南健二氏はおっしゃっている。 

果たして病気と向き合うとき、特に治療そのものが非常な苦痛を伴い、
将来の生死さえも保証されない場合、そのように言ってのけられるものだろうか?

現役であったころの患者さんのあれこれが思い起こされた。
一過性に苦痛の期間を通ったとしても、将来健康を取り戻す過程にあるときは、
そのように云えるかも知れないが…?
なまじ私の気持ちなのである。

やはり、「闘病」って言葉は、病気の凄まじさにおいて、
耐えがたきを耐え忍ぶのではなく、自分との闘いであり、医療への挑戦でもある。
誰も手の差し伸べようのない孤独な闘いは「闘病」である。
わが身に対して、生はんじかな優しい眼差しを向けようのない
「生」への挑戦の厳しさがあって、その姿には厳かな怖れを感じる。

猛暑との闘いの話から、大変な展開になりました。悪しからず。
皆様のご健康をお祈りいたします。

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初夏の植物園

6月30日、緑地公園で、
植物園の摘み菜教室「摘み菜を家庭料理にいかしましょう」
という講習会があった。

整理整頓された植物園にも、雑草ありというのは別に可笑しいことではないけれど、
手をかけて植えられた植物と雑草が競演する形で、
27種類もの野菜となる原種の植物が摘み分けられて揃っている。

エッ?この花も食べれるの?ッて驚いた植物には、
葉鶏頭、ぎぼし、マリーゴールド、露草、くちなしの花などがあり、
その他雑草(と言っていいのやら?)なども用意されていて、
クッキングの楽しみが倍増した。

摘み菜料理の意義を問えば、四季の変化を楽しめ、
水の豊富な日本古来から伝えられてきた食文化であり、
無農薬有機野菜ともいえるわけで、
ビタミンやミネラルが多く栄養素も含まれている薬食同源という代物である。

毒の含まれる植物も顔を並べているわけで、
これらは古代の人々が導き出した知恵モノであるが、
よほど毒々しい色合いとか堅物でないと見分けにくいものではある。
ようするに、数多ある食用植物の善し悪しに見慣れていないのである。

講習を受けるからこそ、漸くの思いで分別できるが、
素人から玄人になるには、好奇心と時間とマメさが必要らしい。

さて、4グループ(1グループ4~5人)に分かれてそれぞれ1種類の料理に挑戦したが、
私は、7種類の植物を細かく刻みフライパンで25分間、弱火で乾燥しお茶を作った。
他のグループでは、露草による蕨もち、ぎぼしやどくだみ、
他の摘み菜を湯がき灰汁だしして薄味仕上げしたものを、
ちくわ穴に詰め込み3種のちくわ詰めを作ったり、
月見草やぎぼしの花、ヤブカンゾー、いたどりの塩漬けなどで鶏がらスープを作ったり、
雑草(蓬や他の)とちりめん雑魚のゴマ油炒め(ご飯のお供)などに挑戦して、
とても美味しく作り上げることができたのです。

食は人を和ませるというように、見知らぬ参加者同士は瞬く間に、
親しく交わりあい楽しい人ときを分かち合いました。
講師の先生がおっしゃったように、
「摘み菜は自然との助け合い。丸ごと命をいただいていると言う感謝の気持ちを忘れずに」
が、蘇えった時間でした。

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