ご来光のロケーション

我が家(マンション)のベランダは、真東に向いており、ベランダの柵越しの風景は、
なかなかに良く、小高い丘の斜面沿いに立派な家屋が段々に建っている。
一昔前までの小高い丘には、竹林や雑木が茂っていたであろう
名残模様というべきか、わずかな雑木を所々に残してはいる。
有難いことに、お日様は東の空から昇るため、
我がベランダの真正面に、太陽光が悠然と昇ってくる。
有難いのではあるが、夏の太陽光は、めちゃ眩しい。

ところで、早朝に山頂から見る荘厳な日の出を御来光と呼ぶのであるが、
我がベランダから見る日の出を私は、御来光と呼んでいる。
ご来光の季節は夏ということであるけれど、冬になってくると、
我が家のご来光は東南のほうへと移動している。

それでも素適な光線を届けてくれているのだ。
夜明けの朝にたなびく雲は、光に反射して朱くいろづいていたり、
白黒モノトーン風に光と影をたなびかせたり、
ちぎれ雲の移ろいを楽しむことができたりもする。
実に眠気眼の朝を迎えたとしても、ベランダにたたずめば、
今日一日のエネルギーを呼吸することができるという素晴らしい我が家のベランダ風景である。

そもそも御来光とは、高山の頂上から見る荘厳な日の出ということではあるけれど、
その語源は「御来迎」からきているという。
山頂近くの雪に自分の影が映されると、
色のついた光の輪を背負った仏像に見えることからそういわれたという。
科学的には、ブロッケン現象。
太陽を背にして立ったとき、見る人の影の周りに虹と似た光の輪となって現れる
大気光学現象であるということらしい。

山の頂と我が家のベランダとを同列扱いするつもりは無いけれど、
日常的に朝の太陽の恵みを感じながらエネルギーを吸収し、
身近な未来である今日一日を生きてみるのは、ちょっといい話ではありますよね。

皆さんには皆さんなりのパワースポットがあり、
そこから人知れぬエネルギーの再生を図ることができるのなら、
それは幸せなこととして感じてみるのはいかがでしょうか?

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人への関心

看護師のお仕事は、きつくてしんどい!!
それは確かにそうなのだ。
マイナーな心理状況に陥りやすいのである。
ところが、そのマイナー心理を吹き飛ばしてくれるのもまた
看護師のお仕事であるゆえ、なんとも悩ましい。
この辺の主なる影響要因は一言でいえば、人間関係といえそうだ。

看護は人を対象にした、自己の持てる能力の限りを問われる仕事であると認識しているからこそ、
能力開発に繋がる知識の習得、最新医療情報の収集、新しい医療看護技術の習得などなど
精を出して能力進化を図るけれど、やっぱりその努力はどこかで承認されたいよね。
何となくすれ違う関係性っていうのは、パワーテンションが下がるよね。

看護師さんは優しくて親切で…は大切なことではあるけれど、
情緒的な側面の提供だけでは済まされない。
患者さんに寄り添う関係性のスキルアップを常に努力しているけど、
どこか読み違っているのだろう、暗黙のうちに不足のスキルを求められているのがわかると、
読み取れたときのショックは苦しい。
患者さんからだけではない。
先輩後輩、上司などなど、すぐそばに寄り添いあう関係のすべての人が対象だ。

考えてみるとちょっと重くなるけれど、
看護師は人への関心を持つことから始まるんだから
これは覚悟しなきゃ、看護師を続けられないよね。

私たち看護師は
「病める多くの人たちに出会おう!」
そして、
「命を生きる知恵を紡ごう!」
って、シュプレヒコールはどうだろうか?

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少子化と女性

小泉元首相の原発観は、至極あたりまえの解りやすい感覚を持っておられるように思う。
日本では核廃棄物の処理場が無いし、フィンランドの処理施設にしても300年もの長期処理。
その頃には責任を取るべき当事者は居ないと、シャープに原発不要、
持つべきではないと自論を展開する。大いに賛成!

さて、少子化の流れは留まることを知らない。
少子化対策については、少子化対策担当相をおいて検討されてはいるけれど、
構いすぎる対策など税の使い方には慎重であって欲しいと思うのですが、
皆さんはどう考えられますか?

自分の人生観・社会観のなかの少子化の原因について考えてみてもよいかもしれない。

女性の結婚観ってどうなのかしら?
結婚というステージを通って子どもを生み育てるという選択もあれば、
事実婚やシングルマザーで子どもを生み育てるという生き方もあるのですが、
こうした人生路は、計画通りに目標達成と言うわけにいかないことが多いのではないだろうか?

専業主婦で子育てしようが、共働きで夫婦共々で子育てしようが、
シングルマザーで働きながら子育てしようが、
そうそうお膳立てされた子育てはありえないし、自分(自分たち)の思うようにはいかない。

力みがちの子育ては、試行錯誤を繰り返し、こんなはずではなかった思いに駆られることもあろうし、
逆に、自分では何もしてこなかったのに、こんないい子に育ってくれたと安堵することもあろうし。

ま、少子化に歯止めが効かない状態は、社会的には大きな問題ですよね。
尚更、歴史を動かすエネルギーを持つ女性の問題として大きいものだと思います。

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子ども心

8月のお盆は、会社方針で「盆休み」のところもあれば、
夏期休暇として6月~9月の間に3~7日、自主設定できる会社もあれば…
てな具合でいろいろ。有り難い。

いずれにせよ、この夏の暑さは曰くいい難し。
のた打ち回る気力も失せ、ベランダの金属柵に寄りかろうものなら、アチッ!!*
子どもの泣き声も、烈火のごとくに泣き入って、母親との戦いの声が聞こえてくる。

どこを振り向いても、異常な暑さには参りもしますが、
これが今年の夏の風景と受け止め、子育て真っ只中のお母さんに敬意を表します。

お盆には、郷里に帰っての墓参りが付き物で、地元で開催される盆踊り大会も
今さらながら懐かしく親しみを覚えて、従兄弟の孫たちと一緒に出かけもすれば、
地元の子ども会共催というわけで、ジュースやお茶、
小さな130mlビール(最小缶)などが呑み放題に用意されていて、
なんと!5~6歳と思しき孫たちは、自分用のジュースを持ち帰るどころか、
お父さんお母さんにと、せっせとビールを取り運んできている。

ほ~っ!?感心するやら恐れ入るやらで見ていたけれど、
そのうちエコ袋はそれなりに膨れ上がり、お父さんは

「お前、ここの子ども会のお金で用意してんだぞ!
ここの子ども会に入っていないのにこんなにたくさん持ってきて…。
見つかって叱られても知らんぞ」

と言いながらも決して棘だってはいない。
むしろ顔には笑みを浮かべてお母さんと談笑しながら、その場を立ち去って行った。

ドンマイ!ドンマイ!この暑さだもの。

日ごろの子育てに感謝!子ども心にそう思ってのことだろうか。
機敏に獲物を仕入れてくる頼もしい子どもの思いと受け止めてみようか。

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子育てを終えたツバメ

今年の夏は、猛暑日が続き、今までにない
初めての豪雨を経験する地域が多い異常気象。

しかし、自然界の営みは、夏は夏、8月ともなれば
秋季への前兆となるのどかな風物詩も垣間見ることができる。
(土地の人たちは、それでも今年はやっぱり
今までこんなことはなかった変化を感じてはいるが…)

自然は私たちに何を教えてくれるのか?

富士山が世界遺産に登録されたとなると、今年の登山客は異常な鈴なり人。
富士山の荘厳さの行方はどうなるのだろうかと、ちと心配顔にもなる。

身近なる川面に目をやれば…最近、河川改修や外来種の進入など、
異常な環境の変化により葦原が失われつつあるのは、今では自明の状況になりつつあるが、
それでも夏の夕暮れには、子育てを終えたツバメが、
何処からともなく集まってきて水辺の葦原を飛び回り、
そこを“ねぐら”とするという。
(そういえば、私の記憶から忘れ去られようとしていた光景が、
毎日新聞のくらしナビ「野鳥に学ぶ」に載せられていた)

ツバメの子育て…。
一つの役目を終えたツバメが葦の葉先に身を休めるひと時、
種の保存の営みを終えたツバメの行方は
悩み思考することなく、旅立っていくのだろうが。

そういえば、看護師の免許を持ちながらも、良き家庭を大切にして
子育てのために看護の現場を離れているお母さん。
成長していく我が子を見つめながら、ふと、ご自分の大切にしたいアイデンティティーが頭をよぎり、
「社会とのつながりを持って私らしく生きる道もあるよな?」ってつぶやく時ってありませんか?

わが子の成長のなかに個性とか自己主張が見え隠れするのを感知したとき、
その子の人格の確立と言うか、主体性に親が踏み入ってはならない
(というか乗り越えられない)感触を持つことがあるよね。

そういう時はどうだろうか?
自分自身(個)の身の置き所を、ふと看護師時代の生き様に思いを寄せることもあるでしょう。
子育てを終えたあとのわが身の置き方は、わが子がどうだからの理由はない。
看護師再チャレンジのチャンスは、既にあなた自身の中に控えているのではないだろうか?

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大暑の日

大暑とは、二十四節気の第12。
6月中とあるが、要するに熱さが最も厳しくなる日で、
大暑の日から立秋までの15日間なのだ。

ちなみに小暑と合わせた1ヶ月間を「暑中」と言い、
暑中見舞いは、この期間内に送るのであると。
あまりその辺のところを考えずに闇雲に大概の感じで、
暑中見舞い状をお届けしていたと思う。

1年で最も暑いとされる大暑の日には、あちこちの動物園などでは、
動物たちに「氷柱」のプレゼントが贈られるTVニュースが流れるが、
今年は何しろ人間であれ動物であれ植物であれ、
生物のほとんどは、連日の猛暑に闘うことも萎えてうな垂れてしまうのみ。
私たち人間の世界でも、「土用」というお馴染みの
恒例行事「土用鰻」の食に預かる楽しみで酷暑を乗り切ると言うわけです。

さて、「闘い」ということに関して、こんな記事があった。

「闘病」って言葉は無理して病気と闘うイメージなので使いたくない。
うまく付き合って良い方に持っていきたいと不屈のカメラマン南健二氏はおっしゃっている。 

果たして病気と向き合うとき、特に治療そのものが非常な苦痛を伴い、
将来の生死さえも保証されない場合、そのように言ってのけられるものだろうか?

現役であったころの患者さんのあれこれが思い起こされた。
一過性に苦痛の期間を通ったとしても、将来健康を取り戻す過程にあるときは、
そのように云えるかも知れないが…?
なまじ私の気持ちなのである。

やはり、「闘病」って言葉は、病気の凄まじさにおいて、
耐えがたきを耐え忍ぶのではなく、自分との闘いであり、医療への挑戦でもある。
誰も手の差し伸べようのない孤独な闘いは「闘病」である。
わが身に対して、生はんじかな優しい眼差しを向けようのない
「生」への挑戦の厳しさがあって、その姿には厳かな怖れを感じる。

猛暑との闘いの話から、大変な展開になりました。悪しからず。
皆様のご健康をお祈りいたします。

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初夏の植物園

6月30日、緑地公園で、
植物園の摘み菜教室「摘み菜を家庭料理にいかしましょう」
という講習会があった。

整理整頓された植物園にも、雑草ありというのは別に可笑しいことではないけれど、
手をかけて植えられた植物と雑草が競演する形で、
27種類もの野菜となる原種の植物が摘み分けられて揃っている。

エッ?この花も食べれるの?ッて驚いた植物には、
葉鶏頭、ぎぼし、マリーゴールド、露草、くちなしの花などがあり、
その他雑草(と言っていいのやら?)なども用意されていて、
クッキングの楽しみが倍増した。

摘み菜料理の意義を問えば、四季の変化を楽しめ、
水の豊富な日本古来から伝えられてきた食文化であり、
無農薬有機野菜ともいえるわけで、
ビタミンやミネラルが多く栄養素も含まれている薬食同源という代物である。

毒の含まれる植物も顔を並べているわけで、
これらは古代の人々が導き出した知恵モノであるが、
よほど毒々しい色合いとか堅物でないと見分けにくいものではある。
ようするに、数多ある食用植物の善し悪しに見慣れていないのである。

講習を受けるからこそ、漸くの思いで分別できるが、
素人から玄人になるには、好奇心と時間とマメさが必要らしい。

さて、4グループ(1グループ4~5人)に分かれてそれぞれ1種類の料理に挑戦したが、
私は、7種類の植物を細かく刻みフライパンで25分間、弱火で乾燥しお茶を作った。
他のグループでは、露草による蕨もち、ぎぼしやどくだみ、
他の摘み菜を湯がき灰汁だしして薄味仕上げしたものを、
ちくわ穴に詰め込み3種のちくわ詰めを作ったり、
月見草やぎぼしの花、ヤブカンゾー、いたどりの塩漬けなどで鶏がらスープを作ったり、
雑草(蓬や他の)とちりめん雑魚のゴマ油炒め(ご飯のお供)などに挑戦して、
とても美味しく作り上げることができたのです。

食は人を和ませるというように、見知らぬ参加者同士は瞬く間に、
親しく交わりあい楽しい人ときを分かち合いました。
講師の先生がおっしゃったように、
「摘み菜は自然との助け合い。丸ごと命をいただいていると言う感謝の気持ちを忘れずに」
が、蘇えった時間でした。

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目標なく生きる!!ちょっときつ~い癒し言葉

6月はノンちゃんの誕生月。

歳を重ねることの意味について、こんな機会には、
じーっと落ち着いて思考するという持久力が半減しているこの頃。

独身の息子からは「おめでとう。いつまでも元気でいてな」のTEL受けるも
このあっさりした優しさに、高齢になりゆくわが胸内は、ホロッとさせられる。

友人から、お祝いの食事を誘われて
「年齢を加えながら、そのことを意識して生きるとき、
何が奮起させられる力になっているのか?」と、
話は日頃の健康状態の確認から始まり、否否、負けちゃあだめ!弱気はだめ!
なんてシュプレキコールでこぶしを上げてみるが・・・。

一つ一つの所作に老いを感じることの多くなった昨今、
「フィジカルな成長」って認識は持つべきだろうか。

早々とくたばっちゃ~いけないよ! ってのはお互い同世代のかけことばではあるけれど、
老いの形、老いの内容は一様ではなく、人それぞれさまざまで、
元気印のパワーがフル回転していると、
わが身の「老い」に馴染めなく口幅ったい語感になる。

それでも確かに一つ一つの行動は、これまでの人生の過ごし方によって大きく異なり、
一老人の個性として認識されていくのだろう。

6月9日付、時代の風(毎日新聞)に、京都大教授の山極寿一先生が投稿されていた。

かなり意訳すれば、
人類が言葉を獲得し、この言葉によって過去の経験が
生かされるようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけいるのではない。
青年や壮年とは違う時間を生きる姿が、
社会に大きなインパクトを与えることにこそ大きな価値があると。
そして、老人たちはただ存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか、と問う。

目標なく生きる重要性の問いかけに納得!ながらも、
目標を持たない、存在だけで価値ある生き方に確信が持てない
ミストな不安を感じているノンちゃんではある。

梅雨とは名ばかりの渇水・猛暑からの涼呼ぶ話題が、
このようなつぶやきになってしまいました。
今でなきゃだめなの?ミストなつぶやきでした。

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そりゃそうでしょう!世界最高の気分!!

80歳三浦さん!やりましたねえ!
23日午前9時すぎ、エベレスト山頂に立つ雄々しい三浦さんの写真が配信された。
彼の一声(もしかしたら二声三声?)を聞いてみよう!

「これ以上ないくらい疲れている。ヒマラヤの景色が眼下に見える。大変美しい」

史上最高齢で果たした記録(2008年ネパール人男性が76歳で成功した最高記録)は、
24日のYahoo朝ニュースでは81歳の登頂成功の報が流れていたが、それはもうどうでもいい。

生きる力の神々しいみなぎり(こんな表現あったかな?)を感じる感動をいただいた。
彼は、76歳の時、スキー場の事故で大腿骨や骨盤を骨折している。
高齢でのこのようなアクシデントは、
健康回復させるまでには並々ならぬリハビリの克服力がものを言う。
しかも持病の心臓病(不整脈もあり)、今年2回心臓手術を受けているのだ。

何が彼をそのように突き動かしていくのか?
彼には、70歳、75歳、80歳のエヴェレスト登頂の夢があり、目標を設定して行動を起こした。
まさに"Make Happy"への凄まじい挑戦があり可能性を信じている。
アンチエイジングの至福でしょう。

平凡に日常を過ごしている私は、
苦労を労しないよう生きるという加齢への挑戦を決め込んでいる。
楽しくめげずに挫けずにをモットーとしている
(この大きな違いは、夢の持ち方によるものなのか?飽くなき食への思いなのか?)

三浦さんは、心臓が悪くても高齢であっても、肉が大好きでよく食べるらしい。
肉食系の山男なのだ。
三浦さんの生への道は、活動に適う食であり食べたいものを楽しく食べるを全うし、
活動のエネルギーを生みだすことなのかもしれない。

考えてみれば、この世で食べられる食物に悪いものはないはずで、
農薬が繋っているかいないかを問えばいいこと。
バランス感(食センス)あれば、腹八分目とか肉の食べすぎはいけないなど、
一律に線を引いたことを云う必要はないのでしょう。

ともかくも、偉大な80歳に乾杯!完敗!されど乾杯!なのです。

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虫の羽色

突然ですが、ゴキブリ色って好きですか?

人は皆、健康で安心して幸せに生きたいと、生への謳歌を願うもの。

では、動物や昆虫たちはどんな思いで生きているのだろうか?
そのような思考は巡らさないまでも、
これら生き物たちの世界でも「幸せ」を問う生命体として存在するのだろうか?
(否否、そんな風に考えなくても生命体へのおもんばかりをする必要はあるでしょう)

皆さんは忌み嫌われる動物を挙げるならば、どんな動物がありますか?
ゴキブリ、ねずみ、ダニ、蛇、寄生虫などこのあたりは、結構共通認識領域だろうか…。

ところで、今年は巳年ゆえ、
あちこちの店先や家の玄関に「巳さま」の像が飾られていて、
結構見比べてみるのも面白いものだ。

嫌われないように目をくりんとさせて可愛らしげに笑っている蛇さま、
伸びやかに白い繊細な肢体に花飾りをした掛け軸の蛇さま、
蛇のごとき鋭い構えの蛇さま、などなど、
流石といおうか、それほどリアルな表現しているのは少ないけれど…。

へびを嫌いという人は多いけれど、
蛇を美しき生き物として体に巻きつけたり触ったり、
ペットとして飼ったりしている人もいる。

でもどうだろう?
ゴキブリ、ねずみ、ダニって類の生き物は、
どちらかといえば積極的に殺されもする。
むごいことだが、同情は少ない。

今日は何て事を書き始めてしまったんだろう。
今日は、ゴキブリの羽色がとても美しく魅せられると表明してやまない知人が居て、
ゴキブリ色(濃茶色?)にこだわりを持って、
限りなく透明なゴキブリ羽の濃茶色のベッドを捜し求めていて、
どうもその話に影響を受けたらしい・・・。

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