自然との共存

人が自然の中に共存するってことは…フィフテイーフィフティの関係だよね

蒸し暑い夏季の爽やかな涼しい話を探していたら、
「爽やかでお熱いお二人の活動」が
私を捉えたという夏の夜の夢話。
私には程遠き生活観、生命観な話なんです。

自然と共存って簡単に言うけど、決して無防備であってはならないわけで、
どんな怖さに対しても果敢に一生懸命守りの知恵を駆使するわけで、
また受けた負の痛みを潔く受け入れて
未知なる出来事への備えをするという学びから知識を蓄え、
知恵を創造していくわけですよね。

死ぬかもしれない不安から逃げることなく、
自然を共有する動物や植物たちとの
フィフテイーフィフティで穏やかな関係を築くという創造の世界。
科学の武器の脅威をやたら振りまいて身を守るってことではなく、
極めてワイルドで原始的で、
強力に可動する筋肉と感性と緊張と感性のある人の世界だ。

歌手でタレントの清水国明さんとだけいえば普通の人物紹介になるが、
ちょっと詳しく情報収集すれば、
なんとまあ自由奔放に人生を謳歌していらっしゃる。
普通ではなかなか実践しにくい事業・趣味展開というか、
40代の頃よりアウトドアの活動に意欲的に取り組んでおり、ユニークで精力的だ。

何しろ自然との共存をテーマにしたNPO活動に着手している
(これは生活を守るビジネスライフとして結構たくましい実業家)。
自ら木を伐採し、ログハウスの建設などにも手掛けている。
最近彼は、無人島を購入したのだと。そこに移住もするために準備中だと。

長年の夢であったのでしょうね。
夢を継続して持ち続けるのが、実現(成功)への最大の道というべきだね。
彼は釣好きでもあり、その無人島周辺の海は、釣りスポットで有名で、
四国・松山と本州・岩国の中間地点にある「片島」に、
「海の楽園」構想を実現するらしい。

そこへ最近、その無人島で米つくりをしてみようと、
TV局からの提案があり、清水さんの構想にはなかったらしいが、興味津々。
なぜならば、その耕作人は、なんと戸澤秀治氏。
コシヒカリ米の徹底した
「使わない3要素」=無農薬、無大型機械(昔ながらの農具のみ)、無化学肥料
で独自のコメを開発し、通常のコシヒカリ米価格の8倍で売れていることは、
多くの人たちが知っていると思うが。その無人島に戸澤さんが招かれて、
あっという間に田んぼを作り田植えをしてしまった。
鮮やかで肉体的な農具さばきで、
田んぼがこんなに簡単にできるなどとは思ってもみなかったから
驚きのシーンを見せていただきましたよ。

ノンちゃんの世界は、
完璧にそんなイマジネーションは決して湧き上がってこない。
残念ながら、筋肉力はおろか、脳の回転力もままならない。
自然界の知識すら未知満ちている。
ワイルドな身の備えは、非常時に備える最大の武器ではあるとよく解ったよ。

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7月季の味わいは如何に?

6月は水無月。
春暖、梅雨、五月雨、などとかく湿っぽいうっとうしさがつきまとうけれど、
一方、風物詩を眺めれば、若鮎踊り、田植え、雨露が似合う蛍狩り、
紫陽花の花など、味わい深い恵みに満たされる。

しかし月日の経つのは速いもの、早や7月の候となり、
30日から1日(この後も続く大雨強風予報)にかけて、
本降り強風の大荒れ天気。

悪天候が予報されながらも、1日、私は有馬温泉に出かけたものです。
内心、土砂崩れや崖崩れの無いことを祈りながら、電車とバスを乗り継ぎ、
山道を散策するという約2時間半の道のりを辿り、
たっぷりの雨水に滴る六甲山系有馬温泉の宿に行き着くことができた。
途中、湯けむり一人旅もまあ味なものだな?と思いつつも緑樹茂る山中を歩けば、
そこに屈強な男性一人とすれ違う時には、失礼ながら恐怖感の緊張に身体が強張る。
何事もなく時の流れは順調に運んでくれたので、
あとは美味しいであろうランチと温泉に
この身を浸らせることができる楽しみが待っている。

確かに、ほとんどディナーメニューに近いランチを注文し、
美味しくいただきましたが、ちょっと難を言えば、仕上げのごはんが不味くて、
「このごはんのお米は何処産を使っているのですか?」と聞けば、
「三田のお米です」とおっしゃる。
しっかり地元農産物を応援しているのだから、文句はつけられないんだけれど…、
炊き方の問題だろうか?ちょっと、否それなりに不満を感じた次第。ごめんなさい!

さて、有馬の温泉は、金泉で有名。(もうすでに皆さんはご存知か)
日本最古の温泉で、大地に湧き出ていた自然の温泉との案内。
含鉄、ナトリウム、塩化物強塩高温泉で、錆色=金色濁りの温泉でしたよ。
ラッキーだったのは人がほとんど居ない温泉に浸れたこと。
「よくもまあ一人旅なんて…。寂しくて悲しみて…
やがて可笑しみに苦笑い。ま、一人旅も良いじゃないか?
10月同窓会幹事を引き受けて、ここまでやってきたンだよ」と慰める。
“如何に関西バージョンのアップライトを仕掛けるか?”
随分と苦労しているのであります。

急に外国人旅行客が増え大阪のど真ん中は騒々しくてんやわんや。
ホテルの予約は儘ならずビジネスホテルの設えは、同窓会の雰囲気を相乗してはくれない。
予算に限度があり、幹事は労苦を惜しんでは成り立たない。
岐阜に住む同級生の支援に励まされて、有馬温泉まで乗り出してきたのでありました。
祈る成功!

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これは知らなかった!面白い!「梅雨」の拾いばなし

先日、梅雨入り宣言が出され、真夏日の暑さが続く上に梅雨入りとなれば、
どうなっちゃうのだろう?という心配なのだが、
その先にある思いは、高齢域になったわが身の健康状態。
とにかく湿気の多い暑さには、もう全身的に萎えきってしまう。
怠すぎて、活動の気力が湧いてこないから、困ったものだ。

私の事情はさておき、皆様の梅雨時における、健康状態は如何でございますかね?
梅雨時の長雨にうんざり感あり、真夏日の暑さにぐったりしたり。
食欲が落ちて、エネルギーの落ち込みを感じるような倦怠感に、
負けないで乗り切りましょうよね。

ところで、この「梅雨」という語源は、中国からの外来語って知ってました?
もともと梅雨(つゆ)の語源は、長雨の名前で、中国から伝わった言葉だそう。
そして、何故「梅雨」なのかは、2説あるそうで、

1.梅の実が熟すころの雨
2.長雨により黴(かび)が良く生えるから(黴雨=ばいう)と呼ばれ、
語感が悪いということで梅雨に改められた。

日本に渡ってのちの江戸時代頃より、「つゆ」と呼ばれるようになったと。
「日本歳時記」(1687年)に、これを梅雨・つゆと名づく。
とあるのが根拠になっている。Yahoo「梅雨のうんちく」より拾う。

また、TVの気象情報士さんが、こんな面白いことも教えてくれました。
(若い気象情報士さんなのに、こんなエピソード調べて、よく伝えてくれましたよ)
島国である日本の梅雨は、東日本・西日本で梅雨の性格が違う。
西日本は、ラテン系でスコールのような「陽性梅雨」、
東日本は、日本的で情緒的、シトシト降ったり止んだりの「陰性梅雨」と呼ばれるそうな。

こんな梅雨うんちく、知らなかったですねえ。
もしかしたら、昔の小説家たちの本か何かに、
梅雨の情景をこんな話を交えて書いているかもしれないね。

私は最近、タブレットで、発売から50年以上経過した無料配信小説を読んでいる。
結構、長編小説やら短編小説、エッセイ等々読めるのだけれど、
何よりも日本語の言葉が美しいし、描写が丁寧というか、巧みに表現されていて、
知らない言葉、忘れ去っていた言葉、使われなくなった漢字・当て字などが面白くて
興味津々といった満足感を味わっている。
ま、短いエッセイ風の読み物であれば、声を出して読めば、
口の滑舌もよくなり脳の活性化も図れるというのだけれど、
私はもっぱら、「へぇ~」「あはは~」「わァお~」
感動詞で奇声を発しているが、これって脳の老化防止になると思いません?
微妙な試みなんだけど。

速報!5月中旬に一番梅雨入りの沖縄は、
昨日(13日)、早や梅雨明け宣言。愛想ないね。

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第5弾!アーユポーワン! こんにちは そして さようなら

私たち3婆は、シンハラ文字にコケティッシュな親しみを覚えたスリランカの旅は、
ローマ字表記の発音に助けられ「アーユポーワン」出会い時のすべてのあいさつと
「ストゥティイ」ありがとうの二単語を駆使しながら、
穏やかで楽しい旅を満喫して帰国することができました。
今回で最終章になりますが、ま、つたない旅ブログをお読みくださいませ。

スリランカは多民族、多宗教が共存するという、
極めてデリケートで紛争の火種となりやすい世界共通の課題を、
難なく実践しているお国柄と思われますが、人々は穏やかに共存しているのですね。
歴史の変遷の深さを感じます。(ちょっと神妙すぎたかな?)

今回は私たちの旅程には組まなかったけれど、
スリランカ随一の聖地スリー・パーダ(アダムス・ピーク)という山があるのです。
その山頂には聖なる足跡があり、宗派を超えて信仰の対象となっていて、
多くの人々が一歩一歩祈りを込めて登るという。

この聖なる足跡は、
仏教徒ではブッダが残した足跡であり、
ヒンドゥー教徒ではシヴァの神、
イスラム教徒ではアダムが地上に降りたときのもの、
キリスト教徒ではアダムが楽園を追放されて地上に降りてきたときにつけた、
または南インドに初めて来た使徒、セント・トーマスのものなどと信じられていて
その様な謂われが理屈を超えて一つの山の足跡を聖地として共有している。
現実に難なく共有していて、3月が巡礼のシーズンのピークなのだそうで
人間の巡礼が一段落つくと、今度は動物たちが山を目指して登っていくと信じられており、
全ての生命に対して「境界線を引かない聖なる山」というようだ。
(そういえば、街中や村道に、野良犬、野良猫、野生牛、野生馬、野生象、
イグアナ、猿たちを見かけるが危害を加えることなく、
のうのうとそしてまた愛らしく行き来していたね。)
地球の起源はもともと、このような超越した懐の深さをもって進化してきているンだよね。

さて、スリランカといえばアーユルベーダ(スリランカの伝統医療)!
この語源は、古代のインド語で、「生命の科学」「生きる知恵」という意味を持つという。
健康で幸せに生きていくためには、日常の生活に気を配ることが一番というわけで、
包括的な医療システムの論理性を持っている。
西洋医学のように、病巣に働きかけるだけにとどまるのではなく、
食生活や精神面の健康も重視した全体的な体のバランスを考える。
それは、体内に存在する3つのエネルギーのバランスを調整するという考えで、
その人の体質を判断しながら、病気の原因となる毒素を排出し
バランスをもとに戻していくという治療の基本がある、ということです。

アーユルベーダの特徴は、何と言ってもオイル。
10種類くらい(ミキシングすればもっと多いことになるのかも?)のオイルは、すべて自然のもの。
体質診断により使用するオイルが決められるが、そこにミキシングされる材料は、
樹木の皮、実、枝、木の葉、根、花、ごま油、ココナッツオイル、他いろいろと揃えられていますね。
但し、オイルや材料は、病院(施療院)によって異なるというからには、
やはり信用できる病院にって…??楽しみでもあり不安でもありです。
旅目的の重要な一つであり、発祥の本場で受けたかったアーユルベーダですから、
現地の人々が通うアーユルベーダ病院(施療院)を選んで行きました。
ホテルを利用すれば、施療室が綺麗に整えられており手軽であるけれど、
エステティックな感覚で行われていて高い値段。
極めて営利的に展開しているから、そんなのは日本ででも受けられるじゃない?と。
アーユルベーダの原形に触れてみるのが良かろうと思いましてね。
何しろ、言葉がわからないし、頼みの片言英語で通じるものやら何やらと心配したのですが、
ともかくも、旅の終盤に私たちは、この施療を受けることになりました。

ところが、そこがスリランカとでもいうのかな?
現地の人たちが通う病院で時間予約を入れておいたのに、
私たちの到着直前に観光客がやってきたからそちらを優先したということで、
待たされること30~40分。
これには少々頭にきたが、まあ、日本的な感覚を持ち込まない、ここはスリランカ。
この国の国民性に同化してみる楽しみ方をしてきた自負もあり、
黙って順番を待って受けることになりました。
(ガイドさんは、静かな怒りを持って、責任者と交渉していましたがね)
夜の7時30分ころから3人一斉に別々の部屋で開始。
夕食をお預けにしての1時間30分程のアーユルベーダは、お腹空き空き~!
でも気持ちすっきり~っしたァ~!
ホテルに戻ったら直ぐさま食にありついてね。
あ~っ!!美味しかったァ~!あの時のごはん何食べたんだっけぇ~?
高原のホテルで、雲海に包まれて あぁ~、おやすみなさ~い ぐっすり爆睡。

今回のスリランカ旅は、とても良き旅であったし、良き旅人であったように思います。
帰国したら猫目線ブログに書こう…と。書き出してみたものの思いを描ききれなかったね。
本当はまだまだいっぱい書きたい材料があるのに…?文面に表象できな~かった~。

*スリランカは、まだまだこれから発展する国で、
インフラ整備をしながら経済発展させていくという途上にあるのですが、
急ぐ国建設、国民を疲弊させない開発・発展をと思ってしまいます。
(他人ごとながら、今の美しさに惚れてしまってね)
人々が化学的な人工肥料ではなく、自然の有機栽培法を守りながら、
緑の豊かさと癒しの文化性を絶やすことなく、
そして多民族・多宗教の共存性を維持してきた平和的な国スリランカ。
生きる知恵というか、人々が癒し合いながら共に生きる科学的論理性を
何千年も前から歴史的に秘められた教訓がいっぱいあるように思われ、
これがまた、ことごとく、看護に通じる技の秘策があると思いました。
この思いが、皆様に還元していけるよう考えてみますね。

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第4弾!スリランカの食文化に馴染む

スリランカに行けば、そりゃあもうカリーだな!と言われながら、
旅準備の2か月を過ごすうちに、
スリランカカリーと称する写真を何度も眺めながら、
インドカリーとどう違うのよ とか タイのグリーンカリーと同じやんか とか。

けげんな呟きを旅ブックに吐きながら、楽しみにするようにもなっていた。
何しろブックに紹介されるカリーは、ぜひ一度食してくださいとお薦めされている。
余程おいしいんだろうね。

スリランカの食文化の特性って?
スリランカは多民族国家故、食文化のタブーとも言うべきものが多々あろうに?
生活習慣や風習の故に伝統的で異なる食文化があるのだろうか?
解っておくのがよかろうと思って、ガイドブックを読んでみるも、頭に入ってくれない。
要するに何が何だか頭がごちゃごちゃになって良くわからない。
民族性、宗教など、信仰や伝統的な生活に由来するのだから、
私などの旅者は、要するにかれこれの食を感謝して味わえばよいのである。
そして大いに、食に感激して歓声を上げてみるのが、
もてなしを受けた側の態度だと思いながら現地を旅し始めたものである。

旅の全体を通して 魚・肉・野菜の「焼き物」はなく、
炊く・煮るなどの料理法で尽くされていたように思う。
勿論、果物は新鮮な生もので、バナナ・パイナップル・
蜜柑・トロピカル・スイカなどなど、いつも食べることができた。
1日3食は、ビュッフェ形式で、有機栽培のいろいろな野菜、野草が料理されて盛られており、
私は、大きなお皿に少しずつながら盛り付けていくと、もう一杯に盛つけたから、
食べることができるの?と心配されましたが、不思議とおなかに負担感なく完食しましたよ。
(実は、最後のホテルで、牛肉ステーキを焼いてくれて、ほ~っと息吹き返しましたが。
美味しくてね、体が欲していたんかしら?)

スリランカのカリーは激辛というから、それを楽しみにしていたにしては迫力がない。
ガイドさんがおっしゃるには、「スリランカのカリーは辛くないよ」と。 なるほどォ~!
ホテルや観光地のビュッフェ式食卓には、3種類~7・8種類のカリーが用意されていて
内1~3種類が辛い系。肉のカリー、魚・海老のカリー、野菜カリー、
ジャガイモカリー、豆カリー、などなどのほか、サブ食材に玉ねぎ、にんにく、生姜、
トマト、ココナッツミルクなどが一緒に煮込まれていたように思う。

スリランカでは、健康的で明るくて慎ましやかな人々が多い。
食生活の乱れなんかないんだろうね。
とにかくよく食べているように見えても、ヘルシーで胃もたれなし。便通良しなのだ。
ただ一つ、生水は飲んじゃダメ!! 氷がないから飲み物は温いよ!!

一度、旅すべし!お薦めのお国でございますよ。

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第3弾!今が旅どき ビバ!スリランカ

私たち3婆の旅期間は、4泊6日という高齢者にとっては、初めての旅故、
健全な日数が良いかと配慮したわけだけれど、まあ、あんなに小さな国とはいえ、
国中全体に旅処は豊かにあるんですね。
私たちの専用車は、日産製のワゴン車で乗り心地は快適でした。

スリランカの鉄道網は、まだまだ発展していないため
(一応、山岳地帯、海岸地帯へは整備されているけれど、路線の総延長が短く、
旅行者の利用価値のある線路は限られているといえる。
限られた旅程では車かバスを利用するしかない。何しろ安全のためにね。
お勧め路線は3つあるということですが、
そのうちの一つ山岳地帯を走る(バラデニヤ駅~ナマ・オヤ駅間の景色は圧巻)
セイロンティーの世界に浸る旅列車に乗りました。

スリランカ風高原列車=エクスプレス号とでも言おうか。
まさに今だからこそ体験できる山岳列車は古典的。
乗車時間が約3時間超と聞けばこの長丁場に「え~っ?」
素っ頓狂な声をだしてしまったけれど、まもなく歓声とカメラシャッター音の興奮に。
とにかく面白い。楽しい。目がテン。
満席で埋められ動きようのない列車内の味わい深い空気を、
外国人観光客達と存分に共有できた次第。

どのような山岳列車体験を味わい得たのか?ってぇと、まあ聞いてください。

駅舎は道路から一段引っ込んだ場所にあり、駅には見えない佇まい。
実際あの小屋ってなに?と思ったもの。勿論主要な街での駅舎は立派に整備されているが。
さあ、そこに入ってきた列車はディーゼル電気式機関車。
ブレーキがかかるとガタンゴトンキ~ン・ガチャンガタン・プシューッ!
きっと鉄道マニアなら大喜びするマニアックな機関車でしたよ。

山岳地帯を走る電車は、急曲線、急勾配のためか速度は遅く、このため所要時間を要する。
駅を出発してしばらくは、車内サービス弁当が配られ(お茶や水はサービス外)、
ま、興味につられて食べてみる。
日本の駅弁を想像してはガックリするけれど、ここはスリランカの田舎町、
彼らの精一杯の観光サービスに感謝して食すべきと心得て美味しくいただいた。

徐々に登り坂を上がりながら見る景色は、真っ青な緑(鮮やかな緑)の茶畑。
(列車は元々輸送用に建設されたものらしい)所々で、
茶摘みをする人々の姿も見る事ができ、車では味わえない。
右に左に前に後ろに揺れながら(波乗りしているような揺れ方が面白い)、
駆け上がっていく機関車は、一生懸命私たちの車列を牽引している健気さが伝わってくる。
やがて山の尾根をいきながら雄大な景色が広がり、時には小さな滝や清流の流れが見え、
ヨーロピアンな家々が点在する光景は、絶景かな絶景かな、
悔いることの無い旅ごころを醸し出してくれる。
そして爽やかな風に包まれるというごちそうは、どう言えばいいの?
便利さを所望しない快適な旅、今スリランカはそれに応えてくれている。

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第2弾!!カリーなる(華麗なる)遺産!スリランカの旅物語

スリランカは、その昔
(イギリスの植民地時代=1948年独立~1972年までは、セイロンという国名でした。仏教国ですが、長い間、シンハラ人タミル人(ヒンズ教)との間で内戦状態が続きましたが、イギリスから独立したのち1969年世界で初めての女性首相(バンダラナイケさん)になって、現在の国名に変更されているんですね。それまでは、セイロンの国名で、セイロン紅茶が私たちの時代には、とても馴染みがありました。

スリ : 聖なる(あるいは、光り輝く、高貴な)
ランカ: 美しい島

さすが、スリランカ人の誇りを感じる国名ですね。
こんな由来を聞かされれば、私も好奇心は、
楚々と女旅人となる身を如何様に清め、聖なる身だしなみとすればよかろうに?
心もち高貴な身のこなしを多少意識してスリランカ旅を楽しんだのでございますよ。

ところで首都名は、世界一長く覚えにくいネーミング=スリジャヤワルダナプラコッテ。
(この名前がワカランカ…とは、おバンギャグにもなランカ??!)
スリランカ民主社会主義共和国というからか、
国民の医療費は無料、小学校から大学までは無償で学べ、
幼稚園時より、英語教育を受けて誰もが英語会話に堪能という。
現に、何処に行ってもまずは英語で話しかけてくるンですね。
さらに、教育熱心な一端を垣間見た光景があります。

私たち3人は、旅中、日産の大型ワゴン車であちこちを回ったのですが、
人通りの多い場所でもないのに何故か、バイク人、歩行人が一定の方向に向かっているのです。
動きの止まるあたりに目をやると、そこはしっかり鉄門を閉ざした学校なわけで、
下校時間に合わせて、父母たちだが迎えに来ているのです。
一人一人我が子が門前にやってきて、
一種の歓声が上がり親たちに抱きかかえられるようにして、校門外に出ていく。
この光景は、当初異様な感じをうけたが、そのうち慣れてくると、違和感なく一つの悟りを得ました。
何処の国、どんな人種、どんな宗教者であれ、
世界の親たちの共通する原風景なのだと悟りましたね。
勿論スクールバスがあるので、それに乗って帰る子もいるのですが…。
(スリランカは、あらゆる宗教を穏やかに受け入れている国で同居しているのです)
国営の学校の制服は、全国すべて白く、男子は上衣ワイシャツ、下衣は民族衣装の巻きスカート、
女子は、何とも言えない可愛い民族衣装のデザイン上衣で、下はギャザーかプリーツスカート。
とても可愛かったんだから…。

世界の国々が観光立国化して、
スリランカもご多聞に漏れず観光客誘致の積極的な開発事業が展開しています。
スリランカ言語は、シンハラ語とタミル語が公用語ですが英語も公用語。
外国人には便利といえば便利です。
英語力は国の繁栄をもたらす重要な資源・財産であると、つくづく思い知りました。
国が、風物の遺産価値を高め、有機農作物やエコ資源を駆使して観光誘致施策を進め、
経済効果を高めるのはいいけれど、どうか、それ故に、
昔から引き継がれてきた国の存続性(国民のアイデンティティー)に知恵を凝らし、
世界中一律化しない良き意味の格差を誇りとし、人の質が変わらないようにと願うものです。

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カリーなる(華麗なる)遺産!スリランカの旅物語

3月半ば、約1週間のスリランカ旅行を楽しんできました。
素敵な旅でしたので、しばらくこのブログで紹介させていただきますね。

スリランカは、北海道よりもわずかに小さい(約62710K㎡/北海道83424K㎡)
島国でインドの南東部の下に位置し海に囲まれていて、8つもの世界遺産が登録されている。
紀元前5世紀から、シンハラ王朝が遷都を繰り返してきた証となる
ユニークな遺跡が歴史的価値を高めており、それぞれの遷都跡に立ってみると、
気のせいかもしれないが、当時の息吹を感じさせてくれる毅然としたものがありました。

歴代の王さまが、遺産として残してきたもの、農民のために造られた人工湖が、
あちらこちらに点在しているのですから、
改めて、私が育ち住み慣れた和歌山・奈良のため池に思いが及び、
確か農家の田んぼの渇水を防ぐためとは聞いたことがあるが、
王様とかお大名様などが関与したため池の由来を知らない。

貧困国から中進国への経済発展を目指して、
あちこちの道路工事や建設工事が多く行われていて、
まだまだ発展途上の自然環境の豊かさがあるようにも思われたものの、
4~5年後には、牛・象・犬・猫・アヒルやのんびり行き交う人々の風景はなく、
土の上を裸足で歩くこともないアスファルト路上を、
車・バスが行き交ったりしているのだろうか?なんて感傷的になりました。

そこかしこに生きる人間の群れ、動物、植物にいたる自然の命のなりわいの
全てを静かに受け入れ、すべての動物たちが、自然環境の中に共存させているようで、
旅行の行程距離は相当にあったけれど、何事にも急ぐ(急がせる)、
排除するなどの空気は感じられずに穏やかな時間を過ごすことができました。
また、子供たちや若者が至る所に大勢おり、国力の確かさを感じたものです。
どの人々を見ても、目が大きく、瞳がきれいで、微笑んでくれるというのですから、
何故か癒されるという快適さ。
お国柄でもあろう人間の質に触れ、なるほど、
アーユルベーダ発祥の由来がわかるような気がしたものです。

初日、コロンボ国際空港に到着(午後8時)してまもなく、
三婆(80歳、70歳、66歳)は、ハンサムで瞳がきれいに輝き、
日本語でスルーして下さるガイドさんと一緒にニゴンボのホテルに移動しようとした発車直後、
インド副首相のお帰り車列と遭遇して40分ほどの交通規制を受け、
ホテル到着は11時過ぎになってしまいました。
9時間の飛行と不満のはさみようのない国情に身を置くころは、さすが疲労感もピーク。
ホテルでは、一時停電にさすが驚きましたが、5分後には復旧。
シャワーしてそのまま眠りこんだ次第でした。

夜気は、クーラー止めていても寒く、風邪には用心!健康に注意して!
三婆たちは、わが身の程を心得て、毛布を足して寝ましたよ。

この後のブログ楽しみにしてね。

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習慣化するプロセス体験が大切

一週間前から既に、花粉の飛ぶ季節になったとの
注意報が流れていたにも拘らず、
感知する閾値が低かったのだろう(?)、
2~3日前から急きょ、鼻腔のむず痒さに襲われ、
ハクションの連発が始まった。
この後、鼻腔粘膜の浮腫と鼻水に悩まされるという進行を来さない前に、
ともかくも対処しなければならないと、現在警戒中!(半ベソ顔)

先日、一人の子育て中のお母さんから、
「人を育てる」ってのは、「習慣を作ること」なんですよね
と問いかけられ、それは、ず~っと昔、幼児教育の講義で受けた懐かしいフレーズではあり、
改めて新鮮な響き(この年にして、抹香臭い古典的な言葉に共鳴したかぁ~)で受け止めた次第。

つまりは、生活習慣を身に着けるということなのだけれど、
ここで各家庭の個性ある「子育て習慣」が展開されることにもなるのでしょう。
若いお母さん方の多くが(もちろん私自身の体験でもあるが)、
「何度言ったらわかるのよォ~」とは、わが子育て中の母の嘆きの言葉。
この嘆きの言葉発信そのものが、習慣化するという皮肉な現実があるものです。

何を伝えたいのか?なんですが、毎日毎日の生活習慣の促しが子育てなのであり、
何度も繰り返される促しが、ある一定の(飽和状態の)ところに来ると、
一気に解き放たれて「当たり前化」するという。
そういうことだから、1回1回の促しは、同じことを同じ位置で繰り返すという短絡ではなく、
確実にゴールに近づいていると受け止める必要があるのですね。
保育所、幼稚園の先生方も「育児・養育・教育を嘆かじ」の努力が実を結んでくるというものです。
注釈ながら、マイナー発信を、毎日毎回やっていると
「ゴールしなくてもいい」と言っているようなもの。
もったいないエネルギーを使っているとは思いませんか?

こうした目線でみると、お若い、経験不足の看護師・介護士さんの
人材育成に関しても、言えることではないかと思いますね。
繰り返し何度でも教えるのは、ゴールに向かってゴールに達成することを目指して、
職務・技術を確実に身に着け、習慣化を図ることの大切さを受け止める必要がありますよね。

話は変わって、今日、会社に出勤してきたら、植木職人さんが、
観賞用に置いてある大きな木に茂る小さい葉っぱの一枚一枚を、
柔らかい布でふき取っているのです。
私が「そんな小さな葉っぱの一つ一つを拭いてあげるなんて大変ですねェ」と彼に声かけたら、
「いいえ、このようにしてやらないと葉が土の中にいる
小さな虫達に喰われて萎えてしまうんです。それに葉が青々としますから」と。

何事も「育てる」というのは、ゴール(どうあってほしいか、どうありたいか)を受け止めて、
それに向かって飽くことなく促しの手立てをしてやることなのだと思った次第です。

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楽園!温泉湯けむりの苑庭と野生の猿たち

今話題になっている野生の猿たちの
「寒を温め、ほほ笑みの湧く」観光スポット。
話題性は外国人観光客のほうが、断然人気スポット。
冬場につよ~いあの寒い雪国=地獄谷野猿公苑は、長野県下高井郡山ノ内町にあるが、
志賀高原を源とする横湯川の渓谷にあるという。
何しろ、野猿の公園として1964年に開苑したそうであるが、
その趣旨は「猿と人間の共生を観光客に見せる」国際的な観光地になっている。

標高850mの山深い所(?かどうか)だが、野生の猿たちが1mを超える
積雪の冬山から下りてくるとそこは露天風呂の温泉であったという設定になる
地獄谷温泉(縦4m、横10m)を開放している。
なぜ露天風呂なのか??
開苑のころ、近場にある旅館の人用の露天風呂に仔猿が入浴し、
それを見て大人猿が真似をし始めたのがきっかけらしい。
まさに猿まねの原点というべきか?
観光客と猿が共にそこに(雪が舞い散っていてもである)共存している光景は、
誰が見ても「寒を温め、ほほ笑みの湧く」ハイライトな観光地であろう。

不便な道のりであっても、年間観光客は10万人を集客しており、
夏冬区別なく野生のニホンザルを観ることができるという。
観光客の多くは(老いも若きも幼児でさえも)、
「野生の猿って、もっと怖いと思っていたのに、全然可愛くてアメージング」と、
カメラのシャッターを下ろしたり、湯につかっている猿を身近に眺めたり、
傍に寄り添ったりしながら、誰もが温かいほほ笑みの表情でくつろいでいる。
あぁ…!素敵な眺めだなぁ!!

この秩序は、どのようにして形成されているのだろうか?
実は、観光客に対しての禁止事項がある。
最も厳禁なのが「餌づけ」。
見学者には、普段の猿姿をじっくり観察していただき、
餌欲しさの人を怖がらない猿になるのを防ぎ接触事故を防いでいる。
他に「猿を触らない」「猿からなるべく離れて観察する」
「猿の目をじっと見ない」「猿に馴れ馴れしくしない」
「猿に話しかけない」という禁止事項があるが、
これは、猿が半野生状態のため観光客には無関心であり、
ルールを守れば襲うことはないと。
野生の猿たちの荒々しい接触被害は多く報告されているが、
こうしたルールを徹底していない。
餌づけの禁止により接触事故を防ぎ穏やかな観光資源を確保しているようだ。

余談ながら30数年前、水彩画を楽しんでいた時期があり、
ある写真家が冬山の野猿を写した特集を見て模写絵を描いたことがある。
いろいろな猿の生態(動き)を写していて、可愛いのなんのって、
私は猿のいろいろを一つの画面に集めて野猿の楽園を描いたものだ。

人間社会の人種問題は、まだまだ共生秩序が成り立っていない。
どんなルールにすれば多人種の共生が図れるのだろうか?
今、曽野綾子さんの産経新聞コラムが悩ましい問題提起している。
医療介護の現場は、今後グローバル化してくるが異文化の共生を考えておこう。

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