ちょっと立ち止まって「昭和の日」

小保方晴子さんの「STAP細胞」論文の不適切な作成疑惑が
センセーショナルなニュースとして異常なまでに取り上げられ、
かなりうんざりするしつっこさでTVや週刊誌で流されつづけてきましたが、
そこへまた山中伸弥所長の初期論文(2000年に発表したES細胞研究論文)の疑問点が
ネット上で指摘されたという問題が持ち上がりました。

28日に山中所長が、記者会見して「不正はなかった」と発表していますが、
一部データが保管されておらず、完全に証明できないのが悔やまれるとも。
ニュースで見た限りにおいては、誠実さが感じられた会見でしたが、
両者の論文不正疑惑説明と謝罪の記者会見に対する姿勢(というか向き合い方)の違いは、
あるいは研究者としてのキャリアの違いは、
私自身がこんなにも好感度に影響されるものなのかと感じました。

さて、29日は「昭和の日」。あらためて「昭和」を味わってみようというわけです。
「昭和の日とは、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み国の将来に思いを致す」
という趣旨が祝日法に規定されています。
が実は4月29日は、昭和天皇の誕生日であり、元号「昭和」の由来については、
国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味であるということです。
(Wikipediaより抜粋参照)

ところで昭和の時代は、国民の平和希求どころではなく、
満州事変→日中戦争→第二次世界戦争ということで好戦的な時代という認識が強くあります。
さらに第二次世界戦争の終結時には、
アメリカによる広島・長崎への原爆投下という大惨事を受けて、
ようやく激動の時期を脱し、それこそ国民の平和、世界各国との共存に向けて、
大きな経済成長へと向かい、 国民の生活に潤いがもたらされるようになった、
とまあこのように言えるでしょうか。

国民の平和、世界との協調共存、行うが難しい。
世界のあちこちで戦争・内戦が止むことなく勃発し、
日本もまた隣国との間で摩擦が一向に収まる気配なしの昨今であるのですから、
今、「昭和の日」を立ち止まって、歴史的に「昭和」は何を教えてくれているのかを
考えてみる必要はあるのだと思います。

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若い世代の夢と希望は褪せることなく

4月2日、高校野球観戦は、在ろうことか優勝戦を観戦するということなのである。
何十年ぶりのことかしら?40?年にはなる高校野球観戦チケットをゲットした
興奮を背負いながら、友人と二人で甲子園へ。

電車は姫路行きの通勤特急へと案内されるままに乗り込めば、
地元大阪と近畿圏京都の高校野球の勝負とあって、乗客のいでたちは、
通勤者はかき消されるほどに応援モードの賑わい。
ほっと快い安心感に守られて座席に座るや、
沿線沿いに咲き乱れる桜の花を楽しみながら
甲子園駅へと誘われた幸せ心地ではありました。

10時40分頃には、球場の4・5ゲート(一塁側)から特別自由席へと余裕の闊歩。
一塁側スタンドは大阪履正社高校、3塁側スタンドは京都龍谷大平安高校であることを知り
地元応援できることを喜んだ次第。 日差しがきつく暑いくらい(予報では20度)で、
既に陣取っていた観客も一枚一枚薄着になり始め、早々とビールに焼きそば・たこ焼きなど
店屋ものを買って食べ始めれば、私たち淑女おばさんも、そりゃあビールの注文となりました。
簡単な手作り弁当を広げ、めっちゃ美味しく気分良く出来上がっていきましたね。
こんなことも、ホンとに40?年ぶりの追体験、褪せることのない若者気分が蘇えらせつつ
試合開始のサイレンに興奮しましたよ。

既にご承知の通り、6:2で 龍谷大平安高校が優勝、
履正社高校は準優勝という結果に終わりましたが、
何しろ春夏通算最多出場の京都勢と
6回出場で初めて決勝に進んだ大阪勢による始めての決勝戦。
龍谷大平安高校のあの堂々とした整然とした落ち着きすら感じるあの、
本塁打や初回2塁打など長打絡まる着実な加点、好捕、継投策等など攻守云うことなし。
履正社高校も前日の素晴らしい逆転激戦からのチーム一丸体制で、
塁に出ながら得点に結びつかず残塁に終わるシーンが
何度か繰り返され息のつまりを感じましたが、あの金岡選手の仲間を励ます姿は、
遠くからでも伝わってきて胸に響く感動を味わったものです。
優勝した原田英彦監督の感極まったインタビュー、
選手たちには「かっこいい監督と慕われているようで、確かにかっこよかったですよ。

まあとにかく、若い世代の夢と希望は褪せることなく
近畿の野球王国復活の試合を思いっきり楽しんだ一日でした。

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レジリエント(Resilient)な看護

こんな言い方があるのだろうか?
最近、目にした言葉なのですが、
実は「本当は看護活動の中にこの力が必要なンだよねぇ」と頭をめぐるつぶやき。
ちょっとオチがあって楽しめるお話ができるのでは?
と思い書き連ねてみたのだけれど、読んでいただけるだろうか。

レジリエント=この言葉を、しなやかな回復力(弾力的な回復力)と意味づけ考えてみれば、
看護としてどんな関わりがその力になって回復力を促進するのだろう?
…などと思いいたらせてみれば、
なかなかインパクトのある発想が出てくるものではないかしら?

大概いつも通り、看護師さんたちが行使するコミュニケーション力(話術)が思い浮かぶし
私自身もそのたぐいではあるけれど、面白いワクワクする話って、
何かの刺激において発想が湧きあがり、それが自分ひとりで空想することも良し、
誰かに話題提供することによって膨らんで行くこともあろうしに快い話の広がりなって行きますよね。
つまり、いつもの私自身の範疇では及ばない話題が、
何かの刺激(新聞・本・TV・車中の人々の会話・仕草など等)から
新しい見聞・見分によって提供されてくるンですヨネ。

そんなことを思いながら2~3日後、真夜中に目が覚めてトイレに行った後、
寝つかれないままに時間を過ごしていたが、ふと電気を付けて、
枕もとの本(国語クイズなるもの)を手にとって読んで見ることにした。

なんとまあ、日本の古来より「雨を表現する」ことばが、
優雅さへの期待と面白がりたき気ごころにはまることしきり。
眠る策が覚醒の策になると思いきや、適度な疲労感に促されて
気持ちよい睡魔に誘われて眠りつけたというお話になりました。

雨に関する本は、何冊かあって限りないそうだ。
そこでちょっぴり、どんな雨降りがあるのか知る人ぞ知るのでありますから、
皆さんもお知りおきの限りを突破して、いろいろな雨降り模様を楽しんでください。

土砂降り 梅雨 肘笠雨 紅雨 緑雨 小糠雨 甘雨 霧雨 細雨 膏雨
霖雨 慈雨  喜雨 村雨 群雨 時雨 にわか雨 半夏雨 夕立 凍雨……∞

4月の頃の雨もたくさんありますよね。
春雨 菜種雨 卯の花腐し 虎が雨 五月雨

その他もっとロマンティックに降る雨、もっといろいろ。
今日は久しぶりにブログ更新をしたものの、
話のオチとしての止めどころが解らなくなってしまいまして、お許しのほど。

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震災から3年

東日本大震災から、早や3年が経過しました。
3月11日は政府主催の追悼式が行われ、深い痛みへの思いを新たにしたわけですが、
被災地の皆さまは、今日までを必死に明るく、
悲しみを内に秘めて生きぬいていらっしゃいました。
その姿に私は、やはり立ちすくんだまま敬意を払ってお見舞い申し上げるしかありません。

各メディアは3年間のこれまでを特集番組で流し続けていましたが、
それはそれで「風化させてはいけない」ということで大切な取り組みではあり、
ことさら異論を述べることでもないのですが、被災された方々の苦しみ悲しみを、
私(たち)が共有するに難く、の思いが胸疼くのです。

驕るなかれ、「あなたはこの3年間、何を理解し、何をしたのか?」
何も解っていないし、被災された方々の受難への思いが想像力豊かに働いて
何らかの行動を引き寄せることができたのでもない。
震災直後の残酷な映像は、目を凝らして、目を伏せて、耳を澄まして、
時には怒りを覚えて、悔しくて、そんな思いを交錯させながら、
なにしろメディアニュースに見入ったものである。

状況は原子力発電所事故災害も重なった複合的で重大なものとなり、
頭の中は分散されてしまった。どうすりゃいいのよ!!
早速にボランティア活動に駆け込んだ方々も多くいて、
その方々からの切れ切れの報告をつなぎながら、
状況の悲惨さだけは了解できるに到ったのですが、私が行動に至ることはなく、
ただ後ずさりするばかりで、考えもまとまるどころか私の意識確立もないまま、
メディアの報道の流れのままに過ごしてきた3年間でしたね。

友人と出かけた先で、食材の震災復興東北展に出会えば、
そこに立ち寄ってしばしの想いを馳せた語り合い、
物品を購入するという細やかな思いをつないできたということくらいかな?

今あらためて、私たちができえる身近な行動は、風評被害に惑わされ続けるのではなく、
自分だけが確実な安全場所に安楽するのでもなく、
復興への取り組みに関心を寄せて寛容な協力支援をしていくことではないかと思っています。

頑張れニッポン!絆!東日本復興のためのオリンピック!などなど、
華々しい活況のなかで叫ばれ続けてきたけれど、実態は何も変わってなく、
復興の方向さえあやふやな現実が、今頃報道されているけれど、
具体的な復興手段・計画は示されていない。
被災地域の人々は、今からがスタート!自分たちが創りあげていくんだ
と明るく意気込みを語っておられたが、この方たちから元気をいただき、
共に歩める暖かい気持ちをいただいて、ノンちゃんは、
今年は東北への旅行を度々計画して訪れようと思うのであります。

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ソチオリンピックの味わい

オリンピックが終了し代表選手の皆さんが続々帰国され、
多くの出迎えの皆さんに、爽やかな表情を見せてくださいました。
改めて選手の皆様、お疲れ様でした。

多くの大きなプレッシャーの重さを背中に背負い、
呪文のように「競技を楽しみたい」「私ができることを精いっぱい出せればいい」‥など、
笑顔のインタビュー問答が多くあったように思います。

が、しなやかな容姿に恵まれ、常にガッツの力強い踊りを展開してくださった19歳の羽生君は、
インタビューを受けるたびに、日本のために!東北震災を受けた人々を元気づけるために!
僕のお世話になった多くの方々のために!ゴールドメダリストとしての誇りをもって!とか
まぁとにかく、しっかりしすぎる力みのあるコメント。

私には、ちょっと「う~ん?!」ご立派なんだけど…、
しんどくなるなぁと、つぶやきたくなったこともありました。
しかしやはり、競技を終えてメダルを勝ち取った方々のコメントは、さすがに素晴らしい。
入賞した方々のコメントも(要するにアスリートの方々すべてに言えることですが)、
感動的な、もう参ったなぁ!のコメントが多くありましたね。
それは、私たちに見せて下さった競技と連動したコメントの見せ場でもあってね。
もうホントにありがとうでした。
このあとは、パラリンピックがあり、どんなドラマがあるのでしょうか?
応援しましょうね。

オリンピック開催中、毎日新聞の「週刊漢字の答え」欄に、
雪の言葉を五輪に絡めた漢字言葉が紹介されていましたが、
とても美しいので、拾い読みでご紹介しましょう。

①六出花(りくしゅつか):「六花(りっか)」などともいう雪の異称。
結晶の形を花弁が六つある花に見立てた言葉。
*ソチ五輪の開会式で雪の結晶が四輪になった映像の記憶があると思いますが、
中谷宇吉郎著「雪」によれば、本物の雪も「四花」など
不規則な形の結晶があるということですから、ドンマイドンマイ!

②銀花(ぎんか):降る雪を形容する語で、雪を銀で表すのは「銀世界」で有名。
*日本はメダル銀の花を咲かせていると。素敵だね!メルヘン!!

③雪を回らす(ゆきをめぐらす):「回雪」を訓読みしたもので、
風が雪を吹き回す=風に舞う雪のように美しい舞を表すと。
*フィギュアスケートの羽生選手の「金」の舞、町田選手の魂の火の鳥、
高橋選手の穏やかに豊かに高橋の舞、それに真央ちゃんの渾身のパーフェクトな華麗の舞、
鈴木選手の大人な清楚で謙遜な舞、村上選手の若さの舞、
本当に快い私たちへの贈り物を届けてくださいましたね。

さて、現実の世界に戻してみれば、深刻なPM2.5のスモッグ状態。
中国からの影響と呑気にいうことも悲しい春の空。花霞ならぬスモック霞の不穏な春の空。
暫く(梅雨期ごろまで)は、つづくという。
皆さん!花粉症の季節でもあり、健康管理には十分に対策をとり、元気に過ごしましょう。

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レイと波音とトロピカルな日没

新年早々、厳寒の大阪から温暖なハワイ・オアフ島(ワイキキ)へと私も高っ飛び。
年末年始の恒例となるホノルル空港は、
芸能人等で華やいでいたであろうインタビューラッシュの宴の後。
慎ましやかに潮風を受けた椰子の木がサヤサヤと
揺れているという陽射しの良い景色ではありました。
ワイキキの浜辺に出れば、ザザザ~っバシャ~ンと打ち寄せる波音と潮風が心地よく、
あの狭い席(何をか云わん飛行機のエコノミストクラス)に縛られての
長旅の疲れを一気に忘れさせてくれるという
パノラマに身をおく幸せが味わえるというのがよろしい。

何を想い何を記念すべき旅にハワイを選んだのかは内緒にしておきましょう。
ただ、若き頃の何をしても栄光(?)の波に乗り、
昼夜の時間を気にせず活動できた健康不安など蹴してのける勢いがあった頃と違い、
無理してはいけない感が付きまとう健康意識が
大きく活動・行動範囲に影響してくる年頃になったのは確か。
やはり真面目に健康年齢を認識してみることは必要との思いが頭を巡ることしきり。

滞在2日目夜は、和やかな饗宴の中に身をおき、旅のクライマックスを盛り立ててくれた。
単に面白おかしくではなく、世事の歩み(歴史)を忘れないで、
其のとき其のときをひたすら歩み続けてきた自分史観が蘇えりもして、
穏やかな笑みが私を綺麗に照らし出してくれたようにも思う。
(ウ~ン!やはりハワイでよかった。これほどに開放感に包まれたのだから。
新しい生命力が吹き込まれた そんな爽やかな時間を過ごせたことに感謝!!)

さて、旅人の楽しみは、食にありですよね。
ハワイの色彩鮮やかな大盛りの食材は、旅の満足感を高めてくれます。
なのに私は大盛りとなると胃が痺れあがって受け付けられなくなる。
早々に食傷気味になりかけていたのだけれど、仲間と一緒に食を満喫しようと言うことになると
そのような感傷は吹っ飛ばさなきゃならない。
旅の最後の晩餐は、日没のトロピカルな食材を難なく堪能したというのだから、
どうも私の胃の調子は気のせいらしい。
(何を食べたかって? それは内緒! 大きい肉、大きいザリガニ、大きい海老、
ぶつ切りのような野菜、スイーツな果物、チーズバーガー、パンケーキ、
アメリカンなコーヒー、ハワイアンなドリンク、多々……あまり変わり映えしないって?
何の何の、盛り付けが半端じゃない、味付けが違う、甘さが違う、セットがワイルド)
っていうことで。

時は今、冬季ソチ・オリンピックが始まりました。
テロ警戒措置が厳重にとられていて、オリンピックを楽しめるものなのかどうかではあるけれど、
選手の皆さんは、日本の期待を背負って続々と現地入りし、
とにかく今までの練習の成果を出し切る場と認識しておられ、
しっかり楽しんできますと云って出発されました。
努力を積み重ね、天才と称されることに甘んじず
自己の持つ能力の技に磨きをかけて 臨まれるのです。
しっかりオリンピックの成功に声援を送りましょう!

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全国あちこちで、あんな話題こんな出来事!

自治体の首長選挙が行われており、なんとも賑やかなことです。
政治の様相は、結構物騒なややこしい話ばかり。
自治体の主体性を主張して中央(国政)からの自立を求める一方、
中央からの補助がないと自力では地域活性化が進まないと補助金への依存性を高める話や、
東京の知事選は本来ならばしなくてすんだはずの選挙であり、
問題山積の上に税金による出資が無駄に使われることにもなっている話などなど。
経済復興の流れは追い風となっているけれど、胡散臭い話が多すぎっ!
て気がしてくる。(浮かれていてはいけないね。)

通勤、買い物、散歩の道すがら、つくづく嫌んなっちゃうことに出くわすことがある。
歩道を突っ走る自転車。歩き喫煙。歩きながらスマホ。歩道真ん中でのママ友立ち話。
無神経なキャリーバック転がし(?)。雨傘の前後左右突き出し歩き。などなど。

昨日(21日)のニュースにも、女子高生の自転車と衝突した高齢(80歳)の男性が、
転倒したさい頭を強打して死亡した事故があった。
足腰を弱体させぬように姿勢よく歩きながら、
周囲の状況に耳を澄まして態勢コントロールしている。
けれど最近、私の耳は綿密な音キャッチをしてくれない。
車道の車の行き交う騒音などで前後の
ささやかな音・空気の動きの読み取りが掻き消されると云えば、
ある程度面目を保てるのであるが、実は聴力の機能低下は否めなくなっている。
後ろからさっと通りぬける自転車に、時には態勢を崩され転びそうになったり、
後ろから来る自転車に気づかず、急に歩きコースを右寄り左寄りに変えて
自転車とぶつかりそうになったりと危ないのだ。

私も歩道で自転車に乗って買物に出かけることがあり、
自分が体験している怖いことには神経を尖らせながら気をつけて操作しているが、
それでも慢心が脳裏を過ぎり、警戒心を甘く見て判断する時がある。
(そんな時は、やはりヒヤッとすることが起こりやすいものだが…)

あのキャリーバックの転がし方には、販売業者はマナー教育をしてくれないのかなあ。
面倒くさそうに人ごみの中をお構いなく後ろ手に引いていくし、
エスカレーターへの乗せ方も気をつけて欲しいのだ。何しろ無造作なのだ。

歩きタバコのマナーの悪さは、禁煙ゾーンが拡大するにつれ酷くなっている。
歩道に散らばる吸殻のなんと増えていることか…。
それに歩きながらの喫煙など、前に位置して歩かれている時は尚更大迷惑。
道すがら、ず~っと受動喫煙状態で「衣服に染み入るニコチン臭」を味わわなければならない。

季節は大寒を過ぎ、そろそろ春めいてくるものの、1月~2月は寒さ厳しく、ましてや
インフルエンザ、ノロウイルスが蔓延しており、皆様、感染に気をつけケアしましょう!

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新年明けましておめでとうございます

少々ご挨拶が遅れましたが、このテンポをお許しいただいて、
今年もまたブログ展開をしてまいりたいと思います。
多くの皆様に目を通していただけたなら私も元気づけられ、張りきれようというわけです。
ワークステーション メディカル事業部(メディカルステーション)に
ちょっとお立ち寄りいただけた皆様に何らかのメッセージ、語らいとなりますよう、
キーに気持ちをこめてお届けしようと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

私は、TVは騒々しいばかりで(との思いが強いのですが)、
普段、気を入れてみることはあまり無いながら、年末年始は歴史ドキュメントや宇宙の神秘
(物理学と数学の合体において神の領域に限りなく謙虚にいどんでいくというドキュメント?)など、
ゆっくり見ることができました。
年末に観たこれらの番組は、私のからだ全体に静かに染み渡りましたね。
穏やかで新鮮な宇宙生命の神秘さに齎される心の動きというか、
命の核なる広がりを深く感じ入った次第です。

また、新年から始まったNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」に関わる特集?などに気を惹かれ、
珍しく初回からこのドラマを見ることになりました。
主演の岡田准一はV6メンバー。
グループについては関心が無いながら、岡田准一には一目置いていて
(彼は歴史に強く、人の生き様に関してもしっかりした見識を持ち、
(若いのに)自分を磨き続けながら謙虚に生きているという人生スタイル)、
これに好感を持ってしまっているのです。

さて、30歳を過ぎた息子は
「お母さんも「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を見ようよ」
と私を誘惑してきましたが、まあ良いかァお正月だしね、
と彼に気軽く付き合って見たところ、なかなか面白くて(ま、受けられない場面もありましたが)、
二人で笑い転げながら新年を迎えました。
(息子がTV観賞途中に、お母さん今新年になったよと教えてくれ、
改めて新年のご挨拶をし合いTVに集中というザマでした)。

新年早々、TV三昧談義を綴って見ましたが、
要は、今年は情報の質を意識しながら、あまりせせこましく情報領域を設定することなく、
面倒がらず嫌がらず受けいれの幅を広く深くして、
皆様に何らかのメッセージ性を持ってブログをお届けしたいと思います。

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エレガントに1年を終えたし…!!望念のつぶやき

年の瀬ともなると、普通に忙しいだけなのに急かされている心理状態に支配される。
仕事の重積感が体に重く圧し掛かり肩が凝る。

お風呂でゆっくり、首・肩リンパマッサージをしてみるものの、
どうもすっきりしてくれない。12月はこんな体調不良に悩まされています。
一年一年、高齢領域へ誘われての加齢現象はは否応無く意識され、
そんなの認めないし左右されないと頑張ってみるには相当なしわ寄せがくるのが解る。
なにしろ体がノーサンキューのサインを出して動作が滞ってくるのだから逆らえない。

それでも、心底、疲労感を引っ張ってしまえばテンションが下がるため、
極めて優雅な動作を心がけて萎えちゃ駄目!と踏ん張ってはみる。
仕事して外出してショッピングして食事して喫茶して映画見て時々ハイキング…と、
心と体が温まる行動をとればなんとか生活動作はスムーズでエレガントになるものです。

ノンちゃんは、何も綺麗ごとに生きようとしているのではなく、
また無理をしない方がいいとして楽に生きようとしているのではない。
加齢を重ねて生きていくにはそれなりの覚悟はいるものだし、しんどい。
そして今さら泥臭く生きるとかいうつもりも無い。

できれば無理をしないで大切に生きたいだけであるが、
そんな時、五木寛之の新刊、老人階級の自立と独立を説く「新老人の思想」が出版された。
加齢とともに生きづらさを承認しながら、自分の助け方を見つける、決心する、
という誘いがあることを願い、この年末は、この本を読んで新年を迎えようと思っている。

このブログをご覧の皆様、どうか良いお年をお迎えくださいね。
来年もまたよろしくお願い申し上げます。

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力の抜ける痛ましいニュース

冬支度も儘ならぬ季節になり、寒さに追いかけられるように着重ねをする此の頃ではある。
(今はまだ布団から抜け出しやすいけれど。段々と朝起きが厳しくなってくるよネエ!)

しかしまあ私は、加齢とともに「早起きは苦しゅうない。」と平然とした構えができている。
布団から抜け出して常温水を飲んで用を足して顔を洗ってという
一連の動作は習慣化されたスムーズな行動である。
朝食の準備を整え、まあ、食べながらニュースをみるというスタイルになっている。

ところで、11月26日飛び込んできたニュースは、なんとも痛ましい限りのニュース。

輸血によるHIV感染の話はこうである。
HIVに感染した献血者の血液が、日赤社の検査をすり抜けて出荷され、
患者数人に輸血されていたことが25日発覚。2004年以降初めてのことなのだそうだ。
今回問題となった献血男性は、性的行動についての質問で事実と異なった内容で答えており、
厚労省は「禁止されている検査目的で献血をした可能性が高い」とコメントしているのだが…。

私は、いつかこのような問題が起きるのではないかと危惧していたことはある。
しかしそのうち忘れてしまっていた問題でもある。
既に感染したと確認された患者は2人いることが判明したということであり、
やるせなさが胸いっぱいに広がる…。

その後、引き続き流れてきたニュースは、60年前の新生児の取り違え事件。
60年間、おかしいと思いながらも不思議な思いのままに
現実を生きてきた60歳の男性はインタビューに答えていたが、
1950年代以降にしばし社会問題になった悲劇である。

病院のカルテを公開しない閉鎖性が問題解決に至らなかった指摘は、まさにそうではある問題だ。
さらに、実の家族と育てられた家族の間には、経済的な格差は大きくあったようで、
辿る人生はやはり大きく違っいる。この男性の実の兄弟3人の熱心な追跡追及で、
ついにというかようやく真実を突き止めることができたという。
取り違えられた男性は記者会見で苦渋の心境を述べておられ、
高揚する心情を抑制させてコメントを発しておられたが、
60歳までのこの間独身を通され現在は、実ではない10歳上の次兄さんの
介護を担っていて生活形態は結構ご苦労されているなどの様子が伝えられた。
無言のままに胸の痛みが増す。

「命のバトン」がこんな形で手渡されていく悲惨さを思いやると、
手違いで誤ってミスったではすまされない。
人生は自分の思い通りにはいかないが、自分の知り得ようのないところで間違いが起こり、
誰のせいであることも問われないままに、自分に課せられた人生として
生き継いで行くしかないのは、悲劇としか言いようがない。

しかし、悲劇に浸り悲しみ嘆いても前進すべき解決は得られない。
私たちはこの二つのニュースをどう受け止め、社会的であり医療的な問題を解決していくのか?
そんなことを考えてみようよ。

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