秋からの贈り物

マキ(槙)の木は、母の好きな木でした。
なぜこんな地味な木が好きなんだろうと
子供心に不思議な不気味さを感じていたものです。

我が家の常緑針葉高木の樹はイヌマキ(犬槙)。
ほんとに背が高く上のほうに枝葉が茂り常緑とはいえ深緑色。
緑っぽい実が秋半ば過ぎから赤らみ、
きれいな朱色に変わりながら暗紫色に色づいていくのですが、
まさかその実が食べられるなんて…??

私はこの世に生まれて60数年も、全く知りませんでした。
~皆さんは、ご存知でしたか?~

イヌマキ → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%82%AD

母は槙の実を食べようとはしなかったし、2~3年に一度は高野山参りをしては、
高野槙を持ち帰るなどしてましたから、
私は「槙」とは仏様にお供えするものと認識して不気味だったのです。
赤い実が美味しそうだという関心に高まることはなかったのです。

ごく最近、槙の実がほのかに甘いグミキャンデーのような食感であるのを知り、
早速服部緑地植物園に行って、園内のボランティアさんに説明方々、
案内をしていただき、イヌ槙の実とご対面させていただきました。

なんと!針葉が出ている裾付近に、可愛い緑色の実がくっ付いていて、
試食とはなりませんでしたが、なんともいとおしい昭和の実に感じ入りました。

秋は、植物の穂が実る時季。稲穂、ススキの穂、吾亦紅、紫式部、萩の花、
何しろ秋の七草に始まる豊かな実りを送ってくれるのです。
ちょっと淀川べりを歩きながら、緑地を散策しながら、どこかの町に足を伸ばしながら、
そこそこにたたずむ草木に優しく目を注いでみれば、
秋からの自然の恵みを感じることができるでしょう。
秋の実りを糧に、きっと脳の働きが蘇ることでしょう。

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「自助努力」の極みは、自分の助け方を見つけるユーモア精神…?

大熊由紀子さん(国際医療福祉大大学院教授)が、「くらしの明日」私の社会保障論のなかで
精神病とは対極に見えるユーモア精神です、と語っていて、
精神科の新しい医療の形が紹介されています。
(北海道浦河町「べてるの家」、東京世田谷の作業所「ハーモニー」)

べてるねっと(http://bethel-net.jp/
ハーモニー(
http://www.geocities.jp/harmony_setagaya/

紹介される内容は、健常者にとってはとっつきにくい発想ではある。
とっつきにくいというのは、あまりにも単刀直入な言葉表現に挑戦していて、
当事者の前でその言葉を用いていいの?と恐れを持ってしまったからなのですが…。

べてるの家のモットーは、

「安心してサボれる職場つくり」
「偏見差別大歓迎」
「弱さを絆に」 

なのです。

そこには恐れはなく日本生まれの挑戦なのであって、
ユーモア精神であり、最大の魅力になっているというのです。

「確かにハッとさせられる響き」を感じました。

専門家や家族に丸投げせず、自ら「苦労の主役」になるという理念に基づき、
「自身の生きづらさ」を持ち寄り、仲間と一緒に「自分の助け方」を見つけていこう
という試みは全国に広がっているのですが、ノンちゃんには知りえなかった世界でした。

今の世の中、騒々しい社会の中で、みなが生きにくい状況です。
マイナスなアプローチをもろに被りますし、人とのつながりを逃しやすい関係性など、
必ずしも心地よい土壌が用意されていないけれど、そうした苦しみを感じる社会風土、
身体状況に押し流されるのではなく、一種の自助努力でユーモア精神を培い、
豊かで恐れない言葉表現で打ち勝っていく必要がありそうです。

ノンちゃんの呟きでした。

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ロンドンパラリンピック

ロンドンパラリンピックが、9日閉幕しましたが、
その前のロンドンオリンピック時よりも、話題性が少なく、
一般の私たちへの発信力は精細を欠いていたように感じられます。

選手の前評判は、テレビや新聞で目にすることが少なく(と思うが…)、
200種目(?)のうち日本は何種目に挑戦し、どんな障がいの中で選手団を
送り出すのかが、なかなか伝わりにくかったのではないですか?

さて、世界の障がい者スポーツは、ハイレベル化し、
今回は200種を超える世界記録が次々と塗り替えられ、
全体的なレベルアップが顕著であったという。

その背景には、各国それぞれに競技環境が向上していると言われるが、
日本ではその辺の取り組みが明快に説明されていないし、メダル取得者への報奨金が、
オリンピック選手より少額であるという現実があり、また社会的には
障がい者が継続した競技の練習をするのは困難な環境なのだと。
(ちなみに、日本のメダル数は16個で24位、従来より大幅に減らしている)

日常的に、障がい者への意識は必ずしも大きくはないが、
それ故、こんな記念すべき世界的な大会が開催されるときには、
なおさら私たちにしっかり投げかけてくれる報道(新聞・テレビ・他)が欲しい。
見たくないと思っても否応なくそこに流れてくるみたいな執拗さが
あってもいいのではと、のんちゃんは思うのですが、皆さんはどう思われますか?

のんちゃんは、いじめによる青少年の自殺が報じられ続けているにもかかわらず、
解決の糸口がなかなか見えてこない陰湿な課題に対して、
社会的にはまだまだ差別を受けている障がい者の方たち。

こうしたパラリンピックの選手たちの死闘さながら
乗り越えてきた生き方を身近に知らされることにより、
生きる勇気に投影されていくようで、
いじめ自殺の歯止めにならないものかという気もしています。

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鰻の高騰に手が出んはずだったのに…!?

鰻の高騰ぶりに此の頃は驚くことなかれ の感じが定着してきましたが…。

一昨年って、一尾1,200円もすれば、まあ中並み~上並みで、
少し小さくても肉厚よろしく一人で食すには十分だったのではないかしら?
1,500円ならばもう上等鰻ぐらいの感じで買えたのではなかったかな?

今はもう1,780円は中並みで小さめ。
この値段見ても驚きはなくなりましたねぇ。
こんなものかぁって…。

とにかく今夏の残暑厳しく長続きする天気には、降参!
そこで先日、その高騰に懲りることなく、鋭気を養う栄養源として、
手が出んはずだった上等鰻重を食べてみたんですよ。

満足度は最高の味わいでした。

ところで早や9月、なんと秋刀魚が一尾500円以上。
育ちの良いぴかぴかの秋刀魚が、
手の出にくいお値段で店頭に人待ち顔で横並びなのであります。
あれはどう見ても美味しそうなのであります。

横目に通り過ぎた私、もうしばらくは模様眺め、
そのうちきっと食する機会もあるのでしょう。
食欲の秋、秋の恵みをたっぷりと頂き、
夏の疲れよさらば!といたしましょう!


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オリンピックな喧騒の後に

ロンドンオリンピックの開会式・閉会式を見る限り、
その国がオリンピック開催国として引き受けた誇り・主張・意義が盛り込まれ、
まさに英国は楽しげな喧騒でいっぱいなのだということを知りました。

驚いたことに、英国の誇りとして開会式会場で紹介されたのが、
医療現場=とりわけ小児病院の再現場面。
ホスピタリティー発祥のお国柄からして当然のことかも知れないけれど、
心からのおもてなし、人を人として大切にする
優れたコミュニケーションの場を医療の世界に表現していて、
差すが文化的遺産を挿し込んでファンタジックに展開していました。

歴史を繋ぎ、創造の伝統的な遺産は、世界的な視野を持つ長い歴史の産物であり、
誇らしげに多様性や活力を存分に押し出したオープニングの華やかさに圧倒され、
3時間もの開会式は少々疲れもしましたし、この時期(世界的には不景気)に
贅沢(無駄)な消費ではあるまいか?なんて思いもしたりして…。

そんな思いが過ぎったのは、日本大震災、原発事故を機に電力不足の影響を
最小限に止めようとする国民的な努力があったからです。
緑陰で節電に努めようと、キウイやゴーヤ、その他ツル性植物で直射日光を遮り、
冷房を入れずに涼風を誘う対策が各家庭に取り入れられるようになった今年の猛暑対策。
人にやさしい風景は、ビートの効いた音楽、花火の頻繁に打ちあがる会場は
かなりな贅沢感と暴風雨感があって、テンペストなのでした。

でも、さすがオリンピック。
日本の選手はよく頑張りました。
爽やかにスポーツマンシップに則って4年間の集大成を一瞬一瞬に懸ける
あの姿・躍動感は私たちに感動を与えてくださいました。
まずは、選手の皆さんに、「ありがとう・お疲れ様でした」ですよね。


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猛暑お見舞い申し上げます。

皆様~っ!いかがお過ごしですか?

ノンちゃんは夏にはめっぽう弱く、
あえぐ様な息遣いでこの夏場を耐え忍んでおります。

そんな折、何か琴線に触れる記憶の蘇りがあり、
ノンちゃんの目は、認知症の人を抱える家族に向かいました。

私自身は家族の中に認知症の人との出会いはないのですが、
認知症の人を抱えた隣人、友人を身近に見つめてきたことがあります。
家族の負担は重く、想像できないほど深刻な精神的・肉体的負担が
ひしひしと伝わるのですが、中学時代、
受け止める術を構築することなく見過ごしてきたように思います。

現在、少子高齢化・核家族化した中で
家族が抱える負担はより深刻化しており、
認知症の人と介護する家族との間での殺人事件に発展した
いたましい事件が多く報道されます。

小単位の家族が、持ちきれぬ(耐え切れぬ)負担を背負い、
社会倫理(社会規範)に基づくべくコントロール感を
支える力も萎え尽きるかのごとく残酷な日々を送る。

私の友人(男性)は父親をなくした後、勤め先を辞して10数年もの間、
言葉・日常生活動作の失われゆく母親と向かい合って生きる人生を選択し、
食事・着替え・入浴・排泄・体位交換などの世話に明け暮れる時間を過ごしてきました。
意思の疎通ままならぬ母親に対して限りなく声をかけ続け、
日々に示す母親の小さな動きを繊細に捉え、それに反応しながら、
ひとりの人間(母親の尊厳性)を大切に見据えつつ、
母親と家族であり続けるために「今この時」に眼差しを注ぎ、
繋がりを絶やすことのない生活をしてきました。

母と過ごした幼少時・青春時代の生活スタイルをそのままに、
クラシック音楽を流し、母の好きな歌を自分の声で歌って聞かせ、
合間には好きな書物に注力しながら、母の生活の基本動作を介護者として、
不器用なまでも許される形を駆使して築き上げた生活スタイルは、
よく聴けば、社会的資源を命いっぱいに活用しながら
小家族にかかる負担を切り抜けてきたわけです。

ですから、そこには色々と関係を繋ぎあう人々との間に、
納得できない主義主張のぶつかり合いも正直にあったようで、
人間関係の生みの苦しみもしっかり盛り込まれているのです。
お母様は90歳半ばまでを生きて亡くなられましたが、今、
友人は健康上不自由になってきた自分自身の人生をゆっくり楽しんでいます。

ノンちゃんは、"Make Happy"をどう生かせるかを考えさせられている此の頃です。

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急な坂道の住宅街の向こうで…

どんな坂 こんな坂 あんな坂 きゅうな坂 へんな坂 が、
豪奢な住宅に包まれて伸びている。

なにしろその坂道を辿って見なければ、
次なる道がどうなっているのか見通しが利かない。
こんな急な山面を開発する発想や如何にあらん、
そこに居住するという決断に至らしめる思考など、
ノンちゃんの頭には育ちようのない発想。

毎日の生活は、もっと手短に動きやすい
(日常的には体に無理な負担がかからない)
居住地が住み心地良いと思っている。
勿論、緑の柔らかな色彩がところどころにあるのが望ましく…ってね。

何しろこの急な坂道住宅街は豪奢な邸宅なのですから、
当然経済的には十分に満たされた人々が集うているわけで
私が小さな世界で心配しなくてもいい話。
高齢になじみにくい居住区だなあと、汗だくだく息ハぁハぁさせながら
坂道の向こうにある今日の目的の学舎にたどり着いたしだい。

7月14日、第9回日本高齢者虐待防止学会:共に支えあう虐待防止の地域づくり
に参加したのですが、看護師団体が医療・福祉・法律・政治
(地方自治体施策)の専門分野の方々を巻き込んで手作りのこうした学会を
開催できるようになっていることに驚きましたが、
時代がもたらしているタイトな課題に対して、幅広い問いかけ、
一堂に会して意見を交し合うダイナミックな学会に大切なエネルギーを感じました。

シンポジウム「東日本大震災と高齢者の人権擁護」に関して、
もう少し力強い具体的メッセージが聴きたかったと思うのですが、
あるシンポジストが「震災前の個別ケアが震災後には集団ケアになり
十分なケアができなくなった」と反省を述べられました。

これに対してあるシンポジストが、
「それまでに何をしていたか」が大事で、
集団ケアに変わったからできなくなったということではないのではないか?
多くの人々の支援がつながりあっていけば孤立化していくこともない。
社会的資源・財産を増やしていこう。
というような意見を述べられていたのが印象的でした。

ノンちゃんも、人の力を借りなければ生活の自立が
困難になっていく高齢への過程を受け止めて、
人の力を借りてそれでも生きる楽しみを
見つけ出して生きたいものだと思った次第です。

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看護師という職業の選択

看護師の就職の選択肢は、今や多岐に亘っており決して狭き門ではない。
むしろ一般社会から見て恵まれていると認識するべきと思うのですが、
多岐に亘る、というのが少々??マークがついてしまうほど、
就労環境(労働条件)が整備されていないように思えます。

とはいえ、看護師が足りない、といわれる背景には、
早い速度で看護の専門分化が進み、
より高度なニーズへの対応力が育成されてきた一方、
看護分野の起業規制緩和、看護師配置基準整備、
在宅医療の拡大充実など、医療対策上の施策があるのでしょう。

一看護師が(この場合特に女性の看護師ですが)、
結婚・子育てのライフサイクルを経ながら、
看護師資格をどのように活用していくのかを問われるとき、
必ずしも提示される就職が、サイクルニーズに合っていないとか、
職場実態からして安価すぎるという問題があるようですし、
エネルギーを要して働くのを好まず、
楽に働ける仕事内容を志向する傾向が根強くあるように見え、
少々残念な思いがするかな?

看護師の職業は「さまざまな人との出会いと交流」があり、
身近なできごととして展開しますよね。
さまざまな人と自分との違いを知り認め合う進化を、
新鮮な感覚として体験できるのですからドラマチックでもあります。
違いから生じる価値観のぶつかりあいは、凄まじく苦い体験とも云えますし
希望へのプロセスと認識できることもできます。

あなたはどのようなエピソードをお持ちですか?

就職の選択、人との出会いと交流。
そこから始まるその人(看護師)の行動は、
どんな化学反応を生み出すのでしょうか?

そんな風に考えてみると、看護師にとっての多岐なる選択肢は、
実のなる木として興味深い恩恵ですヨネ。
看護師復活への活路を見つけていきましょう!

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希望の芽

いきなりな話ですが、政治の世界は、どんな不況にも左右されず
高額なお給料をいただいて活動出来るんですね。
(大層に僻み心がニョキニョキ芽を出してしまいます)

要人の揚げ足を取り野次を飛ばして議論をストップさせて、
リーダーを幾重にも引きずり落とす技は、
生得的なものなのか?生理的な体質か?

無駄に時間を浪費しても理屈を述べれば、
人相はどうであれ議員スタイルはとれますしね。
実績を示さなくても、何ら責任は問われることなく、
給料を引かれることもなく、なのですから大した職業です。

国であれ地方であれ議員さんになれば、「先生」と呼ばれて日々を重ねると、
人相が悪くなってくる先生方も居られて、選挙で選ばれたという
それだけを拠りどころにして民主主義を豪語される場合が
多いように思われますが、議員の品格みたいなバイブル書でもあれば
そこに手を置いて厳かに宣誓もでき、身の引き締る思い新たになるでしょうに。

それにしても、日本は名もない普通の人々が、
不況を嘆かず悲しまず落ち込むことなく、
あのような東日本大震災にあっても、
めげずに希望の芽を育み再生を図ろうとする英知と活力を力にして、
楽しく地道に労働するという生命力に、
大した国民なのだと恐れ入る喜びを感じる此の頃でもあるのです。

6月の梅雨だまりには、こんなことをつぶやいて、
わが身にバシャッと滴を浴びれば、少々気分転換になるかしら?
(否否!真面目に考えながら生きよう!医療・福祉現場は、
生き様の命を繋ぐ働きのあるところなのだ!!)

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晩春の趣

5月も後半に入り、やっとのことブログ更新となりました。

5月といえば、その初旬より初夏の風物「目に青葉・初がつお」がぴったりの季節です。
旧暦では今年は5月20日で閏3月、晩春ということになる(5/11、毎日新聞:木語欄)というけれど、
まさにこの5月、寒さ続きで晩春を味わっています。

木語の中で、晩春の趣については、日本と中国の捉え方が違うといいます。

日本流晩春は、静かなFade out(フェードアウト=映像や音響が次第に消えうせていくこと)。
即ち、「春が行く」と考えるらしい。

中国流晩春では、「春が帰る」と表現され、
草木は色鮮やかな花を咲かせて「まだ帰らないでね」と、
にぎやかな春のフィナーレに春の気を引くらしい
(私なりに要約して、前出の筆者はそう教えてくださっている)。

世界中は、問題山積のフィナーレ(オンパレード)。
そして日本では、まだまだ原発の余波が漂い続け、震災後の復興状況も複雑にしているが、
人の心は困難な状況にめげず、晩春の芳しい味わいの季節を感じながら鋭気を湧き出させて、
それが生きる力にもなっているのではないかと。

晩春の味わい!
悠長なことを言おうとしているのではなく、晩春の感性について文化的な違いを知識してみると、
少し楽しく穏やかな心に触れるような気がして…。
これからは夏日よりに向かいます。皆さん!体調を整えて頑張りましょう。

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