鰻の高騰に手が出んはずだったのに…!?

鰻の高騰ぶりに此の頃は驚くことなかれ の感じが定着してきましたが…。

一昨年って、一尾1,200円もすれば、まあ中並み~上並みで、
少し小さくても肉厚よろしく一人で食すには十分だったのではないかしら?
1,500円ならばもう上等鰻ぐらいの感じで買えたのではなかったかな?

今はもう1,780円は中並みで小さめ。
この値段見ても驚きはなくなりましたねぇ。
こんなものかぁって…。

とにかく今夏の残暑厳しく長続きする天気には、降参!
そこで先日、その高騰に懲りることなく、鋭気を養う栄養源として、
手が出んはずだった上等鰻重を食べてみたんですよ。

満足度は最高の味わいでした。

ところで早や9月、なんと秋刀魚が一尾500円以上。
育ちの良いぴかぴかの秋刀魚が、
手の出にくいお値段で店頭に人待ち顔で横並びなのであります。
あれはどう見ても美味しそうなのであります。

横目に通り過ぎた私、もうしばらくは模様眺め、
そのうちきっと食する機会もあるのでしょう。
食欲の秋、秋の恵みをたっぷりと頂き、
夏の疲れよさらば!といたしましょう!


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オリンピックな喧騒の後に

ロンドンオリンピックの開会式・閉会式を見る限り、
その国がオリンピック開催国として引き受けた誇り・主張・意義が盛り込まれ、
まさに英国は楽しげな喧騒でいっぱいなのだということを知りました。

驚いたことに、英国の誇りとして開会式会場で紹介されたのが、
医療現場=とりわけ小児病院の再現場面。
ホスピタリティー発祥のお国柄からして当然のことかも知れないけれど、
心からのおもてなし、人を人として大切にする
優れたコミュニケーションの場を医療の世界に表現していて、
差すが文化的遺産を挿し込んでファンタジックに展開していました。

歴史を繋ぎ、創造の伝統的な遺産は、世界的な視野を持つ長い歴史の産物であり、
誇らしげに多様性や活力を存分に押し出したオープニングの華やかさに圧倒され、
3時間もの開会式は少々疲れもしましたし、この時期(世界的には不景気)に
贅沢(無駄)な消費ではあるまいか?なんて思いもしたりして…。

そんな思いが過ぎったのは、日本大震災、原発事故を機に電力不足の影響を
最小限に止めようとする国民的な努力があったからです。
緑陰で節電に努めようと、キウイやゴーヤ、その他ツル性植物で直射日光を遮り、
冷房を入れずに涼風を誘う対策が各家庭に取り入れられるようになった今年の猛暑対策。
人にやさしい風景は、ビートの効いた音楽、花火の頻繁に打ちあがる会場は
かなりな贅沢感と暴風雨感があって、テンペストなのでした。

でも、さすがオリンピック。
日本の選手はよく頑張りました。
爽やかにスポーツマンシップに則って4年間の集大成を一瞬一瞬に懸ける
あの姿・躍動感は私たちに感動を与えてくださいました。
まずは、選手の皆さんに、「ありがとう・お疲れ様でした」ですよね。


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猛暑お見舞い申し上げます。

皆様~っ!いかがお過ごしですか?

ノンちゃんは夏にはめっぽう弱く、
あえぐ様な息遣いでこの夏場を耐え忍んでおります。

そんな折、何か琴線に触れる記憶の蘇りがあり、
ノンちゃんの目は、認知症の人を抱える家族に向かいました。

私自身は家族の中に認知症の人との出会いはないのですが、
認知症の人を抱えた隣人、友人を身近に見つめてきたことがあります。
家族の負担は重く、想像できないほど深刻な精神的・肉体的負担が
ひしひしと伝わるのですが、中学時代、
受け止める術を構築することなく見過ごしてきたように思います。

現在、少子高齢化・核家族化した中で
家族が抱える負担はより深刻化しており、
認知症の人と介護する家族との間での殺人事件に発展した
いたましい事件が多く報道されます。

小単位の家族が、持ちきれぬ(耐え切れぬ)負担を背負い、
社会倫理(社会規範)に基づくべくコントロール感を
支える力も萎え尽きるかのごとく残酷な日々を送る。

私の友人(男性)は父親をなくした後、勤め先を辞して10数年もの間、
言葉・日常生活動作の失われゆく母親と向かい合って生きる人生を選択し、
食事・着替え・入浴・排泄・体位交換などの世話に明け暮れる時間を過ごしてきました。
意思の疎通ままならぬ母親に対して限りなく声をかけ続け、
日々に示す母親の小さな動きを繊細に捉え、それに反応しながら、
ひとりの人間(母親の尊厳性)を大切に見据えつつ、
母親と家族であり続けるために「今この時」に眼差しを注ぎ、
繋がりを絶やすことのない生活をしてきました。

母と過ごした幼少時・青春時代の生活スタイルをそのままに、
クラシック音楽を流し、母の好きな歌を自分の声で歌って聞かせ、
合間には好きな書物に注力しながら、母の生活の基本動作を介護者として、
不器用なまでも許される形を駆使して築き上げた生活スタイルは、
よく聴けば、社会的資源を命いっぱいに活用しながら
小家族にかかる負担を切り抜けてきたわけです。

ですから、そこには色々と関係を繋ぎあう人々との間に、
納得できない主義主張のぶつかり合いも正直にあったようで、
人間関係の生みの苦しみもしっかり盛り込まれているのです。
お母様は90歳半ばまでを生きて亡くなられましたが、今、
友人は健康上不自由になってきた自分自身の人生をゆっくり楽しんでいます。

ノンちゃんは、"Make Happy"をどう生かせるかを考えさせられている此の頃です。

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