看護師という職業の選択

看護師の就職の選択肢は、今や多岐に亘っており決して狭き門ではない。
むしろ一般社会から見て恵まれていると認識するべきと思うのですが、
多岐に亘る、というのが少々??マークがついてしまうほど、
就労環境(労働条件)が整備されていないように思えます。

とはいえ、看護師が足りない、といわれる背景には、
早い速度で看護の専門分化が進み、
より高度なニーズへの対応力が育成されてきた一方、
看護分野の起業規制緩和、看護師配置基準整備、
在宅医療の拡大充実など、医療対策上の施策があるのでしょう。

一看護師が(この場合特に女性の看護師ですが)、
結婚・子育てのライフサイクルを経ながら、
看護師資格をどのように活用していくのかを問われるとき、
必ずしも提示される就職が、サイクルニーズに合っていないとか、
職場実態からして安価すぎるという問題があるようですし、
エネルギーを要して働くのを好まず、
楽に働ける仕事内容を志向する傾向が根強くあるように見え、
少々残念な思いがするかな?

看護師の職業は「さまざまな人との出会いと交流」があり、
身近なできごととして展開しますよね。
さまざまな人と自分との違いを知り認め合う進化を、
新鮮な感覚として体験できるのですからドラマチックでもあります。
違いから生じる価値観のぶつかりあいは、凄まじく苦い体験とも云えますし
希望へのプロセスと認識できることもできます。

あなたはどのようなエピソードをお持ちですか?

就職の選択、人との出会いと交流。
そこから始まるその人(看護師)の行動は、
どんな化学反応を生み出すのでしょうか?

そんな風に考えてみると、看護師にとっての多岐なる選択肢は、
実のなる木として興味深い恩恵ですヨネ。
看護師復活への活路を見つけていきましょう!

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希望の芽

いきなりな話ですが、政治の世界は、どんな不況にも左右されず
高額なお給料をいただいて活動出来るんですね。
(大層に僻み心がニョキニョキ芽を出してしまいます)

要人の揚げ足を取り野次を飛ばして議論をストップさせて、
リーダーを幾重にも引きずり落とす技は、
生得的なものなのか?生理的な体質か?

無駄に時間を浪費しても理屈を述べれば、
人相はどうであれ議員スタイルはとれますしね。
実績を示さなくても、何ら責任は問われることなく、
給料を引かれることもなく、なのですから大した職業です。

国であれ地方であれ議員さんになれば、「先生」と呼ばれて日々を重ねると、
人相が悪くなってくる先生方も居られて、選挙で選ばれたという
それだけを拠りどころにして民主主義を豪語される場合が
多いように思われますが、議員の品格みたいなバイブル書でもあれば
そこに手を置いて厳かに宣誓もでき、身の引き締る思い新たになるでしょうに。

それにしても、日本は名もない普通の人々が、
不況を嘆かず悲しまず落ち込むことなく、
あのような東日本大震災にあっても、
めげずに希望の芽を育み再生を図ろうとする英知と活力を力にして、
楽しく地道に労働するという生命力に、
大した国民なのだと恐れ入る喜びを感じる此の頃でもあるのです。

6月の梅雨だまりには、こんなことをつぶやいて、
わが身にバシャッと滴を浴びれば、少々気分転換になるかしら?
(否否!真面目に考えながら生きよう!医療・福祉現場は、
生き様の命を繋ぐ働きのあるところなのだ!!)

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