カテゴリー別アーカイブ: 看護論

レジリエント(Resilient)な看護

こんな言い方があるのだろうか?
最近、目にした言葉なのですが、
実は「本当は看護活動の中にこの力が必要なンだよねぇ」と頭をめぐるつぶやき。
ちょっとオチがあって楽しめるお話ができるのでは?
と思い書き連ねてみたのだけれど、読んでいただけるだろうか。

レジリエント=この言葉を、しなやかな回復力(弾力的な回復力)と意味づけ考えてみれば、
看護としてどんな関わりがその力になって回復力を促進するのだろう?
…などと思いいたらせてみれば、
なかなかインパクトのある発想が出てくるものではないかしら?

大概いつも通り、看護師さんたちが行使するコミュニケーション力(話術)が思い浮かぶし
私自身もそのたぐいではあるけれど、面白いワクワクする話って、
何かの刺激において発想が湧きあがり、それが自分ひとりで空想することも良し、
誰かに話題提供することによって膨らんで行くこともあろうしに快い話の広がりなって行きますよね。
つまり、いつもの私自身の範疇では及ばない話題が、
何かの刺激(新聞・本・TV・車中の人々の会話・仕草など等)から
新しい見聞・見分によって提供されてくるンですヨネ。

そんなことを思いながら2~3日後、真夜中に目が覚めてトイレに行った後、
寝つかれないままに時間を過ごしていたが、ふと電気を付けて、
枕もとの本(国語クイズなるもの)を手にとって読んで見ることにした。

なんとまあ、日本の古来より「雨を表現する」ことばが、
優雅さへの期待と面白がりたき気ごころにはまることしきり。
眠る策が覚醒の策になると思いきや、適度な疲労感に促されて
気持ちよい睡魔に誘われて眠りつけたというお話になりました。

雨に関する本は、何冊かあって限りないそうだ。
そこでちょっぴり、どんな雨降りがあるのか知る人ぞ知るのでありますから、
皆さんもお知りおきの限りを突破して、いろいろな雨降り模様を楽しんでください。

土砂降り 梅雨 肘笠雨 紅雨 緑雨 小糠雨 甘雨 霧雨 細雨 膏雨
霖雨 慈雨  喜雨 村雨 群雨 時雨 にわか雨 半夏雨 夕立 凍雨……∞

4月の頃の雨もたくさんありますよね。
春雨 菜種雨 卯の花腐し 虎が雨 五月雨

その他もっとロマンティックに降る雨、もっといろいろ。
今日は久しぶりにブログ更新をしたものの、
話のオチとしての止めどころが解らなくなってしまいまして、お許しのほど。

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久しぶりにナイチンゲールのおはなし

最近、宮沢賢治の本「いのりのことば」を読んでいたら、
どうしたものかナイチンゲールを思い出してしまいました。
私のどんな琴線に触れたのか…?ちょっと不思議な気分ですが…?

ナイチンゲールについて語るのもずいぶん久しぶりです。
ナイチンゲールは私たち看護師に
「看護する力」「看護することの意味」「看護の先にある希望」
という事に関して多くの言葉を残してくれていると思っています。

個人(患者)が持つ自然治癒能力を引き出して、ケアする看護の力は
『命の尊厳性』に問いかけることのできる力であると思っています。

看護の現場はとにかく忙しい。
看護師は常に、歩きながら(というよりは走り回りながら)、
何気なくそこそこの場を往来していながら、しっかり場のエネルギー、
患者・医療従事者チームのエネルギーを感じ取り(看護体感)、構造を読み、
何らかの意思決定に向けて思考を整え協働への作業に向かって歩いています。

ここで言う「看護体感」というのは私流の表現ですが、
医療現場を隈なく歩いて看護り立ち止まりながら、
そこに患者さんがいる限り、プラスマイナス何らかのエネルギーを感じとり、つらい悩みに共感し、
闘病に疲れ、無気力になりそうな患者に寄り添って看護り観察するということなわけです。

さて、ナイチンゲールへの切込みをしてみようと試みてみましたが、
なかなか彼女の残してくれた言葉は深くて遠大です。
到底及ばない話に首を突っ込んでしまいましたが、
どなたか彼女の残した看護論から学びえた一辺の看護体験を教えていただけるとうれしいです。

私たちの看護疲れからのリセットは、自然の風景や小さいころの思い出に巡らせて見ると、
知らず知らずのうちに癒されている自分に気づくことがあります。

私たちの足は前を向いていますよね。
その足は否応なく前に向かって進むようになっているのですから、
仕事中歩いているとき、ちょっと意識して想いを変えてみてください。
どんなに嫌なことに出くわしても、前を向いて歩けば、
どこからともなく顔がほころんで勇気が湧き出でてきてくれますから。これほんと!

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患者さんからの「ありがとう」は元気を再生するエネルギー

看護を通して何かを成し遂げるとき、そこには職業に伴う責務があり、
ある意味不自由でもあり、全神経をその看護の技に注ぐのですから疲労感を伴います。

ですが、医療チームの一員としての看護実践ではあっても、
看護を展開する技は「個人の自己実現そのもの」であるというのが、
このブログ「ノンちゃんの猫目線」の基調となります。

看護師さんたちは患者さんからの「ありがとう」に癒され元気付けられることが多いようですが、
この一言の力強さを
“元気を再生するエネルギー”と捉えてみると
色々な感性の広がりがあるように思います。

私の看護経験のなかからちょっとエピソードを告白してみますと、
農家の笑顔がかわいい高齢の婦人が内臓疾患で入院をしてきました。
約3ヶ月過ぎたころには病状も安定期に入り、主治医から退院を勧められました。
彼女は入院当初、早く帰りたいと懇願していましたが、次第に看護師たちにも馴染み、
遠慮がちではありながらもよく話しかけてくるなど、良い関係になりましたから、
今度は「退院したくない!ここに居させて欲しい!」と涙ぐんで懇願しました。

家族関係に問題があるとは思えず、とにかく「具合が悪くなったらまたいつでもいらっしゃい」と
なんとか説得して退院することになり、退院の日には何度も何度も
「看護師さんありがとう!!」と涙ぐんでいました。

それから1週間後、この患者さんは再入院してきました・・・。
不安感におののくように、患者さんの人が変わったようなその状況に唖然としたものです。

この話には、いろいろとその後の分析があるのですが、
「ありがとう」の言葉が、喜びから無力感に変わったエピソードとしてお話しました。

ともあれ「ありがとう」の一言は、
新しい何かを生み出してくれる力があるように思います。

医療の現場で「ありがとう」の一言は、どんなときに発せられるのだろうか?
失敗の向こうに「ありがとう」の一言はあるのだろうか?
「ありがとう」の一言は、それまでの嫌な思い(負の思い)をすべて飲み込んでくれるものだろうか?

皆さんの「ありがとう」にまつわる深良い話(エピソードやご意見)も是非聞かせてください!


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